ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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体温

愛とは体温だなあと思うのです。

あ、急にこんなオモタイ話をしてすみません。

愛とは体温だなあと思うのです。

もう一回いっちゃいました。

とはいえ、ここではっきりしておきます。

別に自分のロマンティシズムを露呈したい露出狂なわけではなく。

もともと、運命とか、そういうのをあまり信じていない性質なので、

そう誤解されると自分としては赤面モノですが…。

根本の部分でロマンティストであることは認めますよ?

でも、それを現実に照らし合わせて考えられるほど、

夢見る少女してませんよ、28歳にもなって。

もう、いい歳ですしね。

で、最初の話題に戻って。

愛とは体温だなあと思うのです。(3回目)

体温、すなわちそれは、だいたい36度前後の温度。

自分の体温など、それが当たり前のものである以上、

それを、客観的に感じることはほとんどできません。

しいていうなら、自分が病気をして発熱したときに

平常とは違う違和感を感じるぐらいでしょう。

つまり、ここでいう「体温」とは、あくまで他人の、です。

三者の、です。

ふつうに考えて、自分以外の人の体温を感じることって

ほとんど皆無ですよね?

赤ちゃんのときにお母さんに抱かれて感じる親の体温。

それぐらいでしょう。

次にそれを体感できるタイミングは、恋人の体温ぐらいなものです。

とかく、恋愛経験の少なく、そのうえ、その時期も短かった自分は、

それを、そうだと感じる前に有耶無耶になって消えてしまいました。

正直、わからなかった。

でも、ひょんなことから飼うことになった犬を抱いたとき、

自分はそこで、初めて、自分以外の体温を感じたわけで。

意識的に。

それが、愛情なんだと。

ただ、抱きしめるだけで愛情は伝わるってあれです。

犬が僕に向ける純粋な愛情と、自分が犬に向ける愛情とが、

体温という媒介をもって、双方に伝わっていったのです。

それは、もはやひとつのコミュニケーションです。

ああ、だから恋人というのは常に触れ合っているものなのですねえ。

それと、最近この考えに至ったひとつの経緯に、

好意を持つ人間が自分の近くに寄ってくると、

触れなくても、ただ近くに寄るだけで、自分の体温が上がる。

なんか、オーラみたいなものを感じるんですよ、その人の。

それが、なんともはや、心地よい。

それが、知らず知らずのうちにお互いの心地よいフィールドを作り、

話も弾む、というわけです。

この距離感、すばらしい発見でしたね。自分としては。

こういう距離感を、パートナーとなりうる人と模索していくんだなあとか。

なんとか、そら寒いことを真剣に考えている、

28歳の男が、この愛知県にいるのであります。

とにもかくにも、今日は楽しい一日でした。

この「選択」が、自分にとって有意義なものになりますように、

そう願わずにはいられません。

毎日の選択こそ、

自分を作り上げる

大切なエッセンス。

選択の先に、

自分の望む未来がある。

そう信じたいものです。

なんちゃって。

なんちゃって。

恥ずかしいので、このへんで。