家族で登山中、スマホいじる子どもは「可哀想」?思い込み覆すマンガ
物の見方はフクザツ。
わかっている。誰もがそれぞれの思惑で生きている。誰も第三者の目線を100%理解して生きてなどいない。もちろん逆も然り。
ある一方の見方だけで理解したような気持ちになるのはよくない。だが、理解できないともやもやしてしまう。そうすると、人はとりあえずの答えを当ててしまう。なぜか?その問題をとりあえず心の中で解決しておけばもう忘れてもいいからだ。つまり自分本位。でも、だからといっていくら相手の見方でものを考えたつもりでもそれでもやっぱり一方の考え方でしかない。つまりわかった気になるのもまた、一方の見方に縛られている。
そうなると?他人を理解したような気分で接してはいけないのだろう。見て判断したつもりではいけない。もしも気になったのなら話しかけるなり質問してみるなりしてコンタクトを取るしか方法はない。そうするとこで意外な答えが帰ってくるはずだ。それをしてはじめて相互理解となる。わかったふりは、よくない。これは私にも言える。相手を分かったような素振りだけで相手を慮っていると勘違いしていたのだから。聞いてみてようやく、理解出来る。そう、人の心なんて誰にも分からない。話してみてその話を理解しようと務めることこそ、相互理解のファーストステップ。
なーんてね。そんなの一人一人やってたら日が暮れちゃう。その他大勢の人とはなるべくかかわらなくしなくちゃ。こっちがパンクしちゃうよ……。難しいね、人間関係って。
それじゃぁまたね(了)