ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「書ける人」が話せる人より有利になったワケ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



話の上手い奴は出世していった。

友達を作るのが上手い奴は、会社の中での人間関係も上手く渡り歩きどんどんと出世していった。それが一昔前のサクセスストーリー。いまほど「書くこと」に重きを置く世の中はないという指摘は、普段から駄文ばかり書き殴っているわたしには大変に嬉しい指摘である。わたしも長らく、話をするのが苦手なタイプであった。いまもそれは本質的には何も変わっていない。ただ、私の場合は、私自身が私自身を信用できるまでは危うい。どんな状況でも私が私を信用できるようになって初めて落ち着きを得られる。落ち着けられれば、落ち着いて話せる。会話が成り立つ。

 

しかし、この議論には決定的な穴が存在する。ここで語る私、と、リアルの私を同一視させることが難しいという欠点である。有名人ならば名前を記号としてどんどんと日の目を浴びるだろうし、その人の名前とその人が書く文章がイコールで結び付けられてその人の印象を上げてくれる。それこそが、リアルがあれでもネットでいい文書が書ければ敗者復活するだろう。だが、わたしのように匿名で(ムジカと言う名前はあるものの)文章を公開している身分のものは、それすなわち、リアルの私の魅力の補完になりえるだろうか?それこそ、わたしの仕事の名刺にTwitterアカウントや、Facebook、このはてなブログのリンクを貼って置ければよいのだろうけど。会社員として帰属する私個人に、個人のブログを紐づけることなどできやしない。まあ、百歩譲ってFacebookならそれができるとしよう。しかし、誰が私の名前でわざわざFacebookを検索するのだろうか。よほどの人でなければ検索などすまい。よって、この記事の指摘は天に舞い上がる気持ちのよい指摘であるものの、実効性という意味においてはまるでないと言わざるを得ない。至極残念な、トホホな状況は変わっていないのである。つまるところ、リアルで出世するのは話のうまい奴。ネットで名を馳せることはあってもそれは本人の趣味の域を出ないのだ。でも、それでもわたしは続けたい。なぜなら、そのことで少なくとも私自身の自信になっているからである。わたしは自信が無いと落ち着いて話ができない質(たち)なのだ。

 

それじゃぁまたね(了)