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月7万円で「生活保護廃止」 竹中平蔵氏が提唱するベーシックインカムは何が問題か?(今野晴貴) - 個人 - Yahoo!ニュース



竹中平蔵氏を非難することに意味なんてない。

ベーシックインカムという言葉を知ったのはいつだろう。夢物語のように感じたその言葉は、子ども手当を貰い始めたわたしはだんだんとその意義を感じ始めていたことに気がついた。そして。今年、もっとも信じられないことが実現する。国民一人一人に政府から10万円が支給された事実だ。最初は実現するわけないとたかをくくっていた。しかしそれは実現した。そして3人家族の私の家は30万という大金を手にした。日本に住んでいる日本国民であるという理由だけで、である。それを受け取った時正直信じられなかった。戸惑った。しかしそれを受け取った時わたしはある思想を思いつく。ベーシック・インカムとはこういうものかもしれない、と。生活費に困っている人は生活費に使えばいい。そして、わたしはそうではなかった。そしてそのお金をどうしたか?すべて使ったのである。わたしはそのお金が税金であることは知っていたし、お金は私たちに使わせるために給付されたということを十分すぎるほど理解していた。つまり、わたしがそのお金で飲食店を利用すれば普段飲食店を使わないわたしという顧客を飲食店は得ることが出来る。つまりその分売上が上がる。そして私のような人が多ければ景気が回復するのだ。そのための給付金なので1番ダメなのは使わないこと。私でいえば、欲しいものを買った。娘は液タブを。嫁は細かく使って普段買えないものを10万円分。わたしはその分をゲームやレジャーなど家族のために使った。使い切った。それこそが、給付金の狙いであるし、それはベーシック・インカムでも同じであると思っている。もちろん生活費の足しにしたいひとはすればいい。そうでなければ全て使い切るべきだ。以上のことからわかるようにわたしもベーシック・インカムを支持するひとりである。全ての国民がもらえるものであればスティグマを感じることなく受け取れる。そして所得制限付きなので無駄がない。ここの仕組みはわからないがすべて配ってから税金として再度回収するのか?まあそれはどちらでもよい。だが、問題は、その財源だろう。ベーシックサービスもこの記事で知った新しい単語ではあるが、年金や、生活保護を廃止するという所がとんでもなく危なっかしい。もしもこれがその2つを財源として実現したのなら、わたしの両親は月に14万円で暮らすことになるだろう。いま、わたしの両親はふたりで合計25万円程度もらっているのにである。およそ半分だ。その足らない部分はおそらくアルバイトで稼ぐことになる。70歳を過ぎている高齢者はまだまだ元気だとはいうものの明らかに人生の難易度は跳ね上がる。それは生活保護を受給している人にも当てはまる。生活出来なくなる人もでてくるだろう。それでは生活の最低限を保証する社会保障制度とはいいがたい。まあそれもやむ無しと言い切ればそれまでなのだが。あ、今思ったけど、生活相談所みたいな役所を作って、生活できない人達に地方移住を進めたり生活の見直しを勧めたりするのはどうか。……とにかく。わたしはベーシック・インカム論議がされることは望ましいことと思う。それは人口が減っていくことが決定している世の中ではもはや止めようのない事実として受け入れるべきものだ。そこにズルいとか、卑怯とか、怠けてるとか、そういう類の論議は必要ない。ある意味で社会主義的な政策ではあるものの、ベーシック・インカムによってあらゆる金銭的問題が軽減され、生活のための仕事から、やり甲斐のための仕事に生まれ変わる。……まあそんな簡単に行かないとは思うものの、仕事が辛くて生活ができず生活困窮者が自殺してしまったり、犯罪に手を染めてしまうような世の中を作るよりはいくぶんかマシに思えるのだが。まあ、菅内閣には金融危機が迫っているし、コロナ対策もある。デジタル庁は素晴らしい考え方かもしれないが、そんな中長期的目標よりも、まずは日銀との金融緩和をどのようにして緩めていくのか(やめるのか)をそろそろ手をつけてほしいと思ったりはするわたしです。なんにせよ、やってみればいいと思います。あとは、消費税の増税分を、法人税を下げたぶんに当てるのはどうかとずっと思っていたりはしますけど。売上に対して取る法人税より、売上の多さに関係なく一律で回収する消費税はほんと中小企業を潰すと思うのです。日本のほとんどの家族を支える中小企業を潰したら……それこそベーシック・インカムどころではなくなってしまいますから。

 

それじゃあまたね(了)