ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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ホリエモン「学歴は究極のオワコン。これからの時代に必要なのは学歴ではなく“学び歴”だ」|新R25 - シゴトも人生も、もっと楽しもう。

 

究極的には不要だと思う。

昨日までのストレスフルな日々から一時的とはいえ、解放されたわたしは、今日という日をただひたすらに惰眠を貪るように過ごすことに成功した。おかげで眠くて仕方ない夜は久しぶりである。話は逸れたが、堀江貴文氏が言わんとする大学不要論、そして、学歴ではなく、学び歴であるとする論調にはかなり同意する部分がある。わたしも同じことを考えていた。それは現役世代、なぜ大学に行くのか?というリアルな問としてわたしも疑問視していた。事実、学費を工面するだけの経済力が当時の私の実家には残されておらず、半ば強制的にその選択肢を剥奪される結果となった。わたしは当時、大学に行かなくていいという安堵と、その選択肢を選ぶことを諦めざるを得ない悔しさの両方の気分に苛まれていた。冷静に考えれば大学に行くという選択が良かったのだろう。事実、受かったのだから。だがそれはどうしても行きたいそれではなく、なんとなく、今の私なら行けると言うだけの選択肢のひとつに過ぎなかった。そう思えばわたしはわたしの希望通り行きたくもない大学へ進学するという選択を拒否することができた。そしてどうなったか?引きこもりとなった。それは確かに無益な時間かもしれない。しかし、エスカレーター式に進学してきた感のあるわたしにとっての、初めての立ち止まった時間は今思えば有益であった。わたしは本当に何がしたいのかという問いに対して本気で取り組めたと断言出来る。毎日遊んでいたわけではない。ただひたすらに惰眠を貪るようなことはしなかった。いや、怖くてむしろ眠れなかった。そう、最近の私のように。それは危機感がそうさせた。未来を選ぶということ。それは無数の選択肢から1つを選びなさいと言われていることと同じだ。それをやすやすと選べるほどに人生経験は豊富ではなかったのである。そして出来ることから始めることにした。それは人生初のアルバイトである。わたしという価値がどのくらいなのか?それを肌で感じるにはそれしか無かった。そういう意味でわたしは、ようやく、学びを始めたのである。それこそが私がずっとやりたかった、学びの第1歩。生きた社会での経験を得るという、イバラの道の幕開けであった。もちろんそうしなくて済むのであればその方がいい。つまりそうなるまでに自分で学べる姿勢を獲得するという意味で。わたしはある種の背水の陣を敷くことでようやく自分に発破をかけることになった。わたしはかなり荒療治ではあったのだが、私自身の理想とする生き方、人生の歩み方をそのときに学んだと思っている。決して王道では無い。けれど私らしい道の選び方。そのリスクとリターンを両方学べたという意味で、引きこもり、フリーターであった2年間はわたしの貴重な学び歴となった。あれからまた今私は学び歴を重ねていると実感する。それこそが、人生は学びの連続という真理そのものと感じる毎日だ。

 

それじゃあまたね(了)