ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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発売33周年!『ドラクエ』と並ぶ国民的RPGとなった、初代『ファイナルファンタジー』を回顧 | ふたまん+



ファイナルファンタジー1 と出会ったのはいつのことだろう。

わたしが初めて購入したゲームは、ドラゴンクエストテトリスである。一度に2本も?と思うかもしれない。だがわたしがファミコンを手にしたのは世間でファミコンが流行しだして数年後だ。わたしが小学校1年生の頃に流行りだしたファミコン。それを手にした時、わたしは4年生になっていた。だいぶ遅れて購入したゲーム。それがドラゴンクエストである。1本じゃつまらなかろうと、2本許してくれた両親に感謝したい。我ながら甘やかされて育ったものだ。そこからのめり込むようにしてプレイした。RPGゲームを初めてプレイしたわたしだがすんなり理解することが出来たことを記憶している。それは調べなくても何度か繰り返していく中でやり方を覚えて行けるシステムにあった。あとは、レベル。いくら弱い敵であっても経験値はもらえる。経験値が貯まればレベルは上がる。レベルが上がればそれまで倒せなかったボスキャラも倒せるのだ。そこにゲームセンスとか謎解きなど存在しない。あるのはそこにかける時間の長さであり、お金を貯めた末に手にする武器防具の品ぞろえであった。つまり、クリア条件はプレイヤースキルではない。飽きずにプレイできる粘り強さ、それだけである。話をファイナルファンタジーに戻そう。ドラゴンクエストをクリアし、2、3、4と順当に進めていったわたし。その頃、ドラゴンクエストで経験した転職システムに心が動かされたわたしに友人から耳寄りな情報がもたらされる。「転職してもレベル下がらないから転職し放題なゲームがある」。そしてトドメは次の一言だった。「ダメージの上限が4桁ある(つまり9999)」。加えるなら、「敵を呼び出して戦わせられる(召喚魔法)」と「武器を2つ持って戦える(FF3では二刀流システムが標準装備だった)」それらのときめくワードに心動かされたわたしは、すぐさまFFというタイトルに興味を持つ。そしてその友人に誘われるままに、何の予備知識もなくFF3を手にしたのだった。確か中古ソフトショップで高値で売られていたそれをクリスマスプレゼントか何かで買ってもらったと記憶している。意志を感じさせる真っ白なカセット。そこに描かれた、天野喜孝先生による二刀流の戦士、とんでもなくカッコイイ。それはまるで、邦楽に飽きた子どもが、先輩の手引きで洋楽に触れ、洋楽にかぶれていくそれと同じであった(実際、その後、わたしも洋楽にドハマリしていく)。ゲームデザイン、イラストのセンス、音楽のセンス。何から何まで日本人離れしたオシャレそのものという印象を強烈に植え付けられたわたしは、鳥山明先生の万人受けするキャラクターデザインではなく、天野喜孝先生の恐ろしくも悲しいキャラクターデザインに傾倒していった。瞬く間にFFファンになったわたしは、過去作に遡ってみることを決意する。それがファイナルファンタジー1&2というファミコンソフトだった(ややカセットが大きかったと記憶する)。そこで触れるファイナルファンタジー1。3に比べると難易度は高めに設定され、しっかりと準備を整えて進まなければ即全滅という恐ろしいゲームシステムに小学生だったわたしは早々にクリアを断念。しばらくしてFF4が発売され記憶から忘れ去られていく。その後、ワンダースワンというハードでリメイクされると聞き、ワンダースワンごと購入。そこではじめてファイナルファンタジー1をクリアした。その後、ゲームボーイアドバンス版で2をクリア。続くリメイクの5、6をプレイしていく。次はDS版のFF3だったか。わたしにとってのファイナルファンタジーの原点はファイナルファンタジー3だ。ファイナルファンタジー1ではない。ロックマンで言えば、ロックマン2が原点であるように(ロックマン1はクリアしたことがない)。当時のファイナルファンタジーの難易度は小学生に設定されていなかった。とても難しく、大人向けだった。それが今も続いている。ファイナルファンタジー14を始めて早3年。来年で4年だ。ファイナルファンタジーとの付き合いは大人になったわたしといよいよ私向きの作品だと感じている。今回のビックリマンコラボもそうだが、つくづくわたしという人生と見事にフィットしている作品だ。ファイナルファンタジーとともに成長してきたわたし。ファイナルファンタジーとともにこれからも歳を重ねていきたいと思う今日この頃である。

 

それじゃぁまたね(了)