ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

中国の若い女性の間で「ガチャガチャ」が大ブーム…それが「異常事態」と言えるワケ



リスクのある買い物をするのは信頼関係のある相手だから。騙されないという確信がないと買わない、それが中国人のリスク管理

 

その変化の理由に、中国の物質的な豊かさがある、と筆者は指摘する。豊かさ。日本に住んでいると豊かさを実感することはない。この30年は下がる一方だ。いつしかそれは世界中でそうに違いないと思うようになっていた。それは爆買いで騒いだ中国であっても。そう思っていた。いや、もしかすると。その考えは間違っていないのかもしれない。この記事からはその先を指摘する記述は見当たらない。間違っていないというのはどういうことかと言うと、このガチャガチャが流行るというブームは、日本にもあったからだ。あった、というか、今もあるが。それが何時からあったのか?を考える。そうすると、どうだ、平成の中期だったように思う。つまり、景気がかげり始めた頃。つまり、中国もまた、そういう下り坂にいるということ。私はそう思う。人が国の違いによって大きく享受する未来が変わるとは思えない。多少の差はある。しかし大きくは違わないと私は思う。あるのは時間の過ぎ方のスピードの差だ。歩んできた歴史こそ違えど、向かう先はどこも同じ。それは破滅という意味ではなく。経済が成長すれば、それは終わりの始まりであり、いつか終わりが訪れる。それは終わりであるがまた別の始まりである。終わることなどない。それがどんなに悲惨に見える時代でも。ちょうど今のようなコロナ禍で疲弊しているように見える世界でも。終わりが来る。少なくとも既に世界はコロナに慣れつつある。それを危惧して押さえ込もうとするのはいつの時代も、年配者の役目だ。あれはダメ。これはダメ。そうやって規制しようとする。しかし世界は終わらない。コロナ禍が世界を終わらせるなんて有り得ない。コロナが無くなることもないけれど、それにしたって世界は続いていく。要は世界の形に合わせて、生き方を変えるだけ。それだけだ。話は少し変わるが、こないだ、ロシャオヘイセンキを、観た。とても面白い中国産のアニメ映画だ。もろにジブリの影響を受けているらしい。素晴らしい作品だった。それを見た時、わたしは日本が元気だった時代を思い出した。ジブリが日本を元気づけていた時代。それをいま中国に広がっているムードなのだとしたら。ガチャガチャが人気になったりするのも理解出来るような気がする。中国が上とか、日本が上とかそういうことを言っているのではない。中国の方がとてつもなく大きな市場を持っている。日本の10倍以上だ。それが陰り始めているということなのだろう。それは終わりの始まりである。それでも。終わりが来る訳では無い。新たな始まりである。人も。世の中も。そうやって繰り返しながら輪廻転生の螺旋階段を下ってゆく。世界も。私という存在もまた、そういった同じようなフラクタル構造によって形作られているのだ。そんなふうに思ってしまった。それと同時に、これまでになく、中国という国がとても近くに感じている。もしかすると、もうアメリカよりも近いのかもしれない。アメリカは、もうダメだ。西の国と仲良くする方がいいのか。中国と仲良くすべきなのか。それはわたしにもわからない。しかし、どこの国にもメリットとデメリットがあり、少なくとも日本と中国にはわかりやすく繋がれる文化的な繋がりや、歴史的繋がりがある、そう思うのだ。(中国共産党は……いや、やめておこう)

 

それじゃぁまたね。おやすみ(了)