ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「好きなことは仕事にしちゃだめ」「いい学校、いい企業」…… “古い価値観”の呪いにかかっていた人の漫画に大きな反響(1/2 ページ) - ねとらぼ



古い価値観を打破することと、やりたい事をやることは同列ではない。

「いい大学に入っていい会社に」「やりたいことを仕事にしてはいけない」この2つはわたしも小さい頃に言われた。これを「古い価値観」と呼ぶべきものなのか?は、わからない。けれど、私の小さい頃の教えだ。たぶん、「古い」のだろう。この漫画で描かれている主人公の女性も、そんな「古い価値観」に囚われていた。そしてその価値こそ正しいと思って暮らしていた。つい最近までは。価値観が変化するきっかけは姉の存在。姉がやりたい事を仕事にしたことで自分の中に価値観に対する疑問が生まれた。やりたい事を仕事にしてもいいのではないか?そんな疑問が頭から離れない主人公は、ついにイラストというやりたい事を仕事にする第1歩を踏み出す……というストーリーである。起承転結。なるほどわかりやすい話だ。だがわたしはこれを見てそのまま、その通りだ!と思う部分と、世の中そんなに甘くないよ、と思う部分の両方があるなと思う。前者から説明すると、やりたい事をしない世界は確かに味気ない。やりたい事を仕事にしたいと思うのはごく自然である。ただし、やりたい事を仕事にするということは、やりたくない事をしないということと同義語で語られてはいけないのではないかと思ったりもする。やりたい事が絵を仕事にすることであるなら、絵に関わる仕事をするだけで生きていけるのか?例えば、絵を売る営業だったり、経理、指導、管理、様々な要素が関係して、ようやく絵を描くことを仕事にできる。そして仕事になれば納期があり、締切がある。やりたい事を仕事にしたつもりが、やりたくない事を強要されることもあるだろう。理不尽な要求ばかりされて、描くことが嫌になってしまうこともあるかもしれない。それがまさに「好きな事を仕事にしてはないけない」という格言であり、好きな事を仕事にするといういわば覚悟である。好きな事を仕事にできて幸せになれる人はどれくらいいるのだろう。ひと握りの天才?いやいや、天才ですら、苦悩の日々に悩まされている。果たしてそれは幸せなのか?ぼちぼち働き、ぼちぼち絵を描くことの方が幸せではないのか?そうやって主人公もそこそそ働き、伴侶を得て結婚した。子育てに追われる中、私の本当にやりたかった事は何か?という疑問をぬぐい去ることが出来ず、イラストの道をあゆみ出す。それは美談だろうか?確かに自問自答の中で自分の本心に気づき、道を進んでゆく様は勇ましく、見るものを勇気づけるだろう。だが考えてみて欲しい。それで仕事になるのか?たまに売れてラッキー程度ならいいが、それで生計を立られるほど、今の令和の世の中は甘くはない。旦那さんがフルタイムで働いて、奥さんである主人公がやりたい事を仕事にする、という構図はよく見かけるものだ。男性は仕事に追われ、最低限の生活をするのがやっと。そんな中で奥様は専業主婦をしながらやりたい事を仕事にしようと努力している。なんとなく。なんとなくだけど、それは美談か?男性側にもやりたい事を仕事にしたいという夢はあるだろう。だがどこかで現実と折り合いを付けて、我慢して働いているかもしれない。その気持ちはわかる。いや、少しでもやりたいことが含まれているのならいいのだが。私個人的にもこの話は胸に刺さる。まさに一昨年のわたしだからだ。やりたい事を仕事にしたいと思ったわたしは一念発起。4度目の転職を心に決めた。そして転職活動を開始。初めは意気揚々と面接を複数社受けたが、どれも残念ながらお祈りメール。焦り始めた時、不意に目に止まったフリーマガジンを作る営業という仕事に応募。そして今に至るわたしだ。本当にやりたかったことはゲーム制作だった。けれどそれは専門知識が必要な専門職でありかなりの門前払いを食らった形となった。結論を言おう。やりたい事を仕事にするなら、早いうちからその道に関する勉強をするべきだ。進路にも大きく影響する。その進路を進めなかったのなら、趣味で留めて置くほうが無難だろう。人生をハードモードにしくないのだとしたら選ぶべき道は他にあるはずだ。誰もが自分の才能を過大評価しがちである。それは私にも言える。結局は現実と折り合いをつけて行かなければ幸せな人生とは程遠いものとなるだろう。人はいつからでも何にでもなれる?というキャッチコピーは、ただし1部の人間に限るとか、ただし相当の勉強と努力を継続してできる仕組みを作れる人に限るという注釈を明記すべきである。なんてね。わたしは夢は夢のままにしておく方がいいなーなんて思うので根っからの「古い価値観」の持ち主なんでしょうね。スマホがこれだけ普及した便利な世の中では正解もすぐに書き換えられる。その点にさえ気をつけながらアンテナを高くして敏感に情報をキャッチさえすれば出来なくはないだろう。それこそが「新しい価値観」であるように思う。中田敦彦さんがシンガポールに移住した話もおそらくその文脈上にあるに違いない。

 

それじゃあまたね(了)