ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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"【FF14】炎上して再起不能から生まれ変わり、覇権MMOになるまでの復活の軌跡【ゆっくり解説、PS5、新生エオルゼア、吉田、吉P、漆黒のヴィランズ、暁月のフィナーレ、5.0、6.0、レビュー】" を YouTube で見る



わたしがFF14を愛する理由。続けている理由。

趣味に例えると分かりやすい。人から何を言われても楽しくて続けている趣味を想像して欲しい。スポーツでもいい。なにか手作りする趣味でもいい。どこかに出かけること。例えば海外旅行でもいい。なぜそれを愛し、今も続けているのか?なぜ辞めようと思わないのか。趣味は人のアイデンティティを構成する重要なファクターとなることがある。例えばプロにはなれなかったが、自分にはサッカーしかないと思い、休みの日は友だちとサッカーをする週末を過ごす人がいるとする。それはなぜか。その人にとってサッカーにこだわることがその人の矜恃だからに他ならない。上手いから、得意だから続ける人もいる。でも趣味は得意だからするの?じゃあ下手だったら趣味じゃない?練習してなくて下手になったら引退?辞めてしまうの?私から言わせてもらえればそれは趣味じゃない。上手い下手関係ない。ただそれに携わる。それに触れる。理由はかんたん。好きだからだ。好きな物に触れることは無上の喜びだからだ。それこそが趣味。そこにこだわる私。趣味とアイデンティティのまさしく融合だ。続けることがわたしをわたしたらしめる。だから続ける。趣味は楽しくなければならない。そして無理なく続けていくことが出来るものでなければならない。例え、お金と時間を無駄にするぞとか、ただの道楽だとか言われても。他人に向かって自信を持って言うことが出来るだろう。「これが私の唯一の趣味なんです」。まさにそれがわたしだ。わたしに与えられた趣味。それがエオルゼアで暮らすことだ。そこに至るまでに色んなことがあった。それらの出来事は確かに偶然かもしれない。だがそれがまたさらに別の偶然を呼び、連鎖して偶然ではないのかもしれないと悟ることがある。この辺から話を紐解いてみたいと思う。わたしはゲームに触れるのが遅い子どもだった。わたしが小学一年生の頃、ファミコンという画期的なオモチャが登場した。こぞって同級生たちはそれを買い求め夢中になってプレイした。わたしは親から「あんなもので遊んではいけない」と言われ、買って貰えなかった。理由は…よくわからない。確か、人と同じもので遊ぶのは芸がないから良くないとかなんとか。だからわたしはスケッチブックで絵を描いて過ごした。想像力を広げてあらゆる怪獣を作り出した。ビックリマンが流行っていた。それを真似したのだ。今思えば。そんなお絵描きだって人と同じ遊びだよね、お父さん。まぁいいや。そうやって遊びを作り出すことを課された子どもの私が、ファミコンを買って貰えたのは小学四年生の頃。私はそれを強く望んだ記憶は無いのだが、母親がお父さんを説得してしぶしぶ買うことを同意してくれたような気がする。なんでだろう。そして初めて自分一人でゲームをするという体験をする(それまでは友達の家でやっているのを見てるだけだった)。最初に買ったのは、テトリス。そしてドラゴンクエストだったと記憶する。もともと1人で遊ぶ性格の私はファミコンから流れる電子音楽に心を踊らされつつ飽きずにプレーし続けた。誤解があるといけないが、決して上手いわけではない。むしろやり方がさっぱり分からなくてトライアンドエラーを繰り返すだけ。テトリスは未だに苦手である。だが、ブロックをどうやって綺麗に並べるかという思考力が身につき、片付けが好きになった。そしてもうひとつのドラゴンクエスト。同じくやり方がさっばりわからない。何をすればいいのかもわからないわたしはただひたすらに敵を倒す。お金を貯めるを繰り返した。そして武器や防具を買い揃え、買えるものが無くなると次の街に恐る恐る出かけた。途中死にそうになると、街に戻ってまた出かけていく。そしてレベルが上がると強くなると分かると最初の街の周辺で5レベルまで上げようとか、もうちょっと頑張って10レベルにしたら楽になるかなとか考えるようになっていく。今思えばそれは知らないことに対する考え方や、苦難や先行き不安に対する自分なりの方法論をゲームの中で試していたのだと分かる。確かめて確かめてなんとなく上手くいったからこのやり方を続ける。そんなコツコツ進める姿勢をわたしはゲームから学んだのだと思っている。そんなわたしがドラゴンクエストにどっぷりハマっていた頃。ドラゴンクエスト4の発売からだいぶ経って何周目かのクリアをして遊んでいた頃に出会ったのが、ファミコンファイナルファンタジーIIIである。当時、ファンタジー小説を元にした映画が流行っていた。ネバーエンディングストーリーとか大好きで何度も見たわたし。デビットボウイのラビリンス、スターウォーズバック・トゥ・ザ・フューチャーとか、子ども心にときめいた。そんな頃、私の中に外国産の文化に強い興味が芽生えていく。「英語とか、よくわからないモンスターとかが出てくるゲーム」という印象からファイナルファンタジーIIIを知ったわたしは、友人のすすめでなぜかすぐに興味を持った。今思うとなんで買おうと思ったのか不思議である。確か、ダメージの桁が、4桁という情報だけでわたしは即決したような気がする。ドラクエでは頑張っても200とかが限界のダメージ数字が、ファイナルファンタジーIIIでは9999という訳の分からない巨大な数値をたたき出せるというのだ。この9が並ぶかっこよさに引かれたのである。我ながら単純である。ただそれだけの理由でわたしは未知の世界に旅立つことにしたのだ。そして見事にハマってしまう。キャラクタの名前を6桁まで決められる。好きな職業で最初から始められる。現実ではないゲームの世界で、わたしの趣向を限りなく再現して自由に旅ができる。繰り返しプレイするうちに攻略法が分かってきて、さらに効率的なジョブ選びが楽しくなってくる。無駄のない動きを研究したり。逆に縛りプレイを設けたり。あとは名前。お気に入りの名前をひとつ決めたら、そこから関連する名前を残り3人に付ける。この人は男にしよう。こっちは女の子。この子も女の子…そんな具合に。ストーリーとは関係なくわたしの趣味丸出しの名前。男の子ならこんな名前がいい。女の子の理想の名前はこれ。わたしは和英辞典を引っ張り出し、名前に使えそうな単語をAから順にノートにビッシリ書き記した。特に名前決めは重要である。名前が決まらなくて半日潰したこともある。または付けた名前が気に入らなくてまた最初から始めたことも1度や2度ではない。それほどまでに名前決めは重要である。4人いるので関連性が無ければならない。今思うとあの頃からわたしは自分だったらどんなキャラクタが理想的かについて深く考える癖が付いたと思う。そして、そのキャラを作り出すまでの時間を年齢が上がるほどに短く、そして悩むことがなくなっていった。ある意味で深く決めることを感覚的に瞬間的に決めるスキルを会得していったように思う。前置きが長くなった。そろそろ結論と行こう。前置きが長くなったのには訳がある。ここまで書かなければわたしがMUSICAとしてなぜエオルゼアに誕生し、今も続けているのかという真の理由を説明できないからだ。その理由とは何か。私の理想とするキャラクタを作ることが出来る唯一のゲームだからである。そして、その味付け、着せ替えにおけるバリエーションも豊富で、終わりがないからだ。それはオンラインゲームだからである。オフラインゲームはクリアという決まったエンドがある。だから新しいキャラを作るにはまた最初からやらなければならない。だがこのエオルゼアでは幻想薬を使えばすぐに生まれ変われる。何度でも。繰り返し初めからプレイする必要はない。もちろん最初はたくさんのキャラクタを作った。その中でお気に入りの5人には特別な名前を与え、ムジカとゆかいな仲間たちという位置づけを与えている。だが、やはりわたしの最高傑作はムジカなのだ。音楽好きの私にとってこれ以上の理想はない。そしてこのムジカ以上に他人に認識されたわたしはこれまで1度も存在しえなかったのである。繰り返しになるが、わたしがエオルゼアを愛して続けている理由は、ムジカなのだ。このキャラを愛している。そしてそれを演じ続けることがわたしの趣味であり、アイデンティティなのである。誰がなんと言おうとわたしはムジカであり、これからも未来永劫、私が生き続ける限り、エオルゼアで生きていく。私はそう決めたのだ。それがわたしの矜恃なのである。この世界では何にでもなれる。あなたらしい主人公になろう。ファイナルファンタジー14。ようこそ、エオルゼアへ。すべての冒険者たちよ、集え。仲間たちの待つエオルゼアへ。

ありがとう。

 

それじゃぁまたね(了)