ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「私たちは特別な感性の世代」という若手社員にどう対峙するか〜本当はそこまで変わらない中年と若者〜(曽和利光) - 個人 - Yahoo!ニュース



あなたとは違うと思いたい20代。きみとわたしは同じと思いたい40代。

マネジメント視点で、20代を分かろうとする40代は滑稽である。20代が40代を仮想敵とするのは仕様であり、20代同士が繋がり合うための手法である。同調圧力。人と違うことは村社会において忌み嫌われることを意味する。あなたも私も同じ。そう思いたい。しかし、わたしは特別な存在なのだと言う20代。分かり合うためには共通言語が必要だ。そのためのアニメ。ゲーム。コンテンツ。それらに向けた一定の評価が20代(精神的な20代も含む)を結束させる。コンテンツの中の一つが40代を仮想敵にする層が含まれるという論調である。私がこの記事を取り上げたのは40代に向けたマネジメントのあり方に共感したからではない。むしろ20代の頃に感じていた「私こそが特別な存在なのだ」という孤独の末にたどり着いた悲しい結論が、あらゆるコミュニケーションを拒む理由になってその後10年も他人との接触を拒み続けたわたしの黒歴史の最大の理由なのだという指摘に共感したのである。それな。40代は20代を「わかる」と思っている。だってわたしたちがそうだったもの。いまの40代ほど、20代を実感値を持って理解しているのも珍しいのではないか。同調圧力から解放され、自分は自分で特別であるという感覚を持ち続けて早20年。同調圧力に屈することなく、かといって個を殺して集団に埋没することも是としなかったわたしたちだ。だからこそ「あなたとは違うんです」も痛いほどわかるし、「あなたとわたしは同じだ」と心の底から思うことが出来る。そうやって日本人は同調圧力の呪縛から1つずつ解き放たれているとしたら未来は明るい。自分は唯一の存在であると理解しながも、だからこそ、個性の違う誰かを理解し、わかり合い、協力し合うことが大切だとわかるのであれば、違いを受け入れ、違うからこそその違いを愛し合い、理想的な友達関係、恋人関係、家族関係が芽生えるだろう。その先にある次世代の子どもたちを作り出すことが出来れば。私たちの苦労は無駄にはならない。いまの個性が際立つ令和において、孤立しがちな個性を積み上げることで強固な心の壁を築き上げてゆくことに終始してしまうわたしたち。あの人と私は違う。私とあの人が分かり合うことなど、ない。だからわたしは一人で生きていく。一人がいい。一人でいい。一人は気楽だ。それでもいいだろう。十分に一人を味わえばいい。その時間があるのは幸せな事だ。20代ならまだ両親は健在である。すぐに誰かを無理やり理解して(または自分を押さえ込んで)他人のために人生を消費する必要などないのである。1人で生きるをやり切ってから、やり終えてから、2人で生きるをやればいい。2人に飽きたら。3人で生きるをやればいい。3人で生きるに飽きれば、4人になればいいし、1人に戻るのもいい。自由である。わたしはこの記事の言う仮想敵としての40代は、まったく機能しないのでは無いか?と思っている。たぶんさらに上の50代なら機能するだろう。40代は同じである。20代と同じである。全く同じだ。偉くもなければ、あなた達の20年後ですらない。同じ世界線に生きる「他の人」だ。だからいい。だから共感できる。共有できる。それはこれまで日本が経験してこなかった連帯感ではないだろうか。むしろ、わたしたちと同じと思う反面、20代は可哀想だなと思うこともある。気にしなくてはいけないことが多すぎる。むしろいまの20代のほうが同調圧力に苛まれている。なんだそれ。わたしたちが解放したハズの同調圧力が、今度は20代の中で機能している。内戦状態と言っていい。仮想敵が機能していないのだから、20代同士で戦争するしかない。犯罪も身内で起きることが多いこともそこに理由がある。他の人とコミュニケーションをとる機会が減っている。コロナ禍だ。さらに少なくなっている。むしろ、減る一方だ。狭いコミュニティで生きていればその中で社会が形成される。大きな社会で起きているイジメの構造が、小さなコミュニティの中で起きていく。そんなフラクタル構造が何層も何層も構成されていく。それをそうと気づかない20代は不幸に見える。だから分かる。わたしたちはその構造の辛さを知っている。それはわたしたちが当時の40代から勝ち取ったわたしたちのテリトリーだ。だから分かる。だから守りたい。その笑顔。そのために出来ることは限られているし、私ができることにも限界があるけれど、それでも心の開放区だけは用意してあげる。わたしがいる。だからあなたもいていい。そのままでいい。私がいる限りあなたはあなたのままでいい。あなたを救うのはわたしを、当時の悩める私を救うことになる。それは巡り巡って私を救うことだ。情けは人の為ならず……である。遠慮なく受け取ってください。その準備はいつでもできている。好きと言ってくれる。わたしもあなたが好きだ。好きの輪を広げていこう。住みやすい世界を作っていこう。

 

それじゃぁまたね(了)


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