ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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ゲオ,2021年4月4週目と5月1週目の新品ゲームソフト週間売上ランキングTOP10を公開



「あなたは根っからのゲーム好きだね」

と、3歳年上の姉に言われた。本当にそうだろうか。ゲームは好きか。そう言われて無条件にYESと言える自信がわたしには無い。ゲームとはなんだろう。このGEOのランキングに入っているような話題のゲームたち。それらにわたしは全く興味をそそられない。わたしはゲーム好きではなかったか。そもそも、ゲームとはなんだ。私の言うゲームとはなんだろう。それは一言で言えば「やりたいことが出来る世界」だったように思う。そこには、うるさい両親や学校の苦手な先生や、あの嫌いな人もいない。わたししか、いない。そんな世界でわたしはのびのびと行動できる。いわば怒られる心配のない現実逃避の場所であった。わたしは極端に怒られることを恐怖した。怒られない世界に行きたい。そう思ったわたしがまず最初に見つけたのがゲームの中だった。そこに没頭している時間は、誰かに咎められることは皆無である。しかも、遊べば遊ぶほど、ゲームの中でお金や経験値が溜まり、そしてレベルアップする。レベルアップするとさらにできることが増え、世界を救う勇者になって、世界中の人たちから祝福されるのだ。私が逃げ込んだ仮想空間でやっていることはあくまで現実世界の時間の浪費であって、単に暇を潰しているだけなのであるが、それを続けることで強くなり、世界を救うことが出来る。欲しかった物を買い求めることすらできる。また、出来なかったことが出来るようになったりする成長を擬似的ではあるものの体験出来る。私の言うゲームとはそういう成長物語だった。わたしのような努力を嫌う人間でも褒められることがあるのかと強く思った最初の体験がゲームである。クリアした時の達成感はゲームで初めて体験したし、誰かを好きになってそれが報われる(ヒロインと結ばれる)体験もゲームが初めてだった。他人に期待されてそれに答えられる自分を体験出来たこともゲームである。わたしが体験したくてもできなかったあらゆる初めてを得られる場所。それがわたしの好きなゲームという世界だったのである。そこには、コントローラーをカチャカチャ触ることで得られるテクニックとしての醍醐味はない。なので難しい操作を要求される格闘ゲームなどはとにかく苦手だった(ゲームデザインは好きだったけど)。また、あまりにも現実に則したゲームも苦手である。シュミレーションゲームとか。スポーツとか。そういったの。現実から逃げているわたしが現実を感じられるゲームなどするはずがない。また、難しい攻略法を努力させられるのも嫌だ。なぜなら努力からも逃げていたからである。ただなんとなく、ダラダラと同じことを繰り返して行く中でペースをつかみ、ある意味で無我の境地に至るような陶酔をもたらしてくれる単純作業の繰り返しがわたしの基本的なプレイスタイルである。だから、わたしは自身の成長とともに、現実逃避よりもリアルで経験したいという欲求の高まりから、ゲームの存在意義が薄れていき、歳をとるにつれていつしかゲームをプレイすることは減っていった。それよりも、ファッションや流行などの異性にモテるための情報収集に興味が沸いてゆく。結果的に必ずしも明るくなることはなかったが、それなりの青春時代を過ごした私である。わたしのゲーム熱というのは青春時代の始まりとともに、そこで役目を終えたのだ。そんなわたしはゲームを好きと言っていいのだろうか。あれから十数年。久しぶりに触れたゲームは、いわゆるレトロゲームである。ファミコンだった。いくつか久しぶりにプレイしてみたがよくこんな難しいものをやっていたものだと思わされるほどに自分の中のゲームのセンスは枯れていた。もう現実逃避をする必要もない歳である。今思えば、わたしの第2の趣味である音楽もまた、現実逃避のためのものであった。しかし、ゲームよりも遥かに短時間で現実逃避できる上、移動しながら聞けるという手軽さで大変にハマった。現実逃避ができること。それこそが、わたしがゲームに求めた最大の理由だったのである。そう考えれば、その現実逃避をもたらしてくれたゲームは好きだ。とても感謝したい。コツコツと続ければ報われるという努力の基本を教えてくれたのはゲームだったし、わたしの精神面を安定させてくれた最高のパートナーだったと強く思う。それは必要な存在だったのだろう。いまもまたこうしてFF14というゲームをもう4年以上もプレイできているのはまさしくその素地があったからに他ならない。でも、現実逃避を求めて飛び込んだエオルゼアは、どこまでも現実に繋がっていた。そのことに始めは面をくらい、戸惑った。だがおかげでわたしの好きなことが出来るゲームの世界はいつしか現実と繋がって、現実の私に好きなことをする大切さを教えてくれた。他人との関わり方を教えてくれたのはエオルゼアだし、心地よく過ごす生き方を教えてくれた。そしてたくさんの友達が出来た。そして、常にわたしをワクワクさせてくれる話題を提供し続けている。現実逃避を求めたわたしは現実逃避をしている場合じゃないと教えられ、現実を見つめ直すことにした。そして、生き方を改め、転職を決意し今の職場にたどり着いた。それもこれもすべてエオルゼアのおかげだ。今日も神木隆之介さんがエオルゼアの民だとわかってとても興奮している。そんな話題に一喜一憂できるこのエオルゼアという世界はわたしを根本から変えた。努力が人を成長させるという当たり前の事実を教えてくれたのはエオルゼアの4年間の実体験だと思っている。わたしはムジカ。そしてムジカはわたしである。これからもどうぞよろしく、ムジカ。そんなことを思いながら今日も寝ます。ぐう。

 

それじゃぁまたね(了)


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