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『FF14』吉田P/Dインタビュー 新ジョブ“リーパー”や『暁月のフィナーレ』のボリューム感について訊く - ファミ通.com

 

吉田直樹さんの夢に関わる夢について。

ファイナルファンタジー14とは、つまるところ、吉田直樹さんの夢に関わることだ。こう言うと、なんだ大袈裟にと思うかもしれない。だが、そう思えてしまうのだから仕方がない。15日、16日の2日間開催されたファイナルファンタジー14のファンフェスティバル。最初は基調講演だけにするつもりだった。しかし、蓋を開ければほぼすべてのコーナーを見たわたしである。結論から言えば楽しい時間を過ごすことが出来た。とても楽しかった。途中と、終盤に感情がぐちゃぐちゃになる場面があったが、それも含めて非日常的な刺激に飢えているわたしにとってとても刺激的過ぎる体験だったと思う。その事に気づかせてくれた事は貴重な経験だった。その分、週末をマルっと2日間このファンフェスティバルに、費やしたわけであるが、その点についてはどんなに他の時間の過ごし方を考えてみても、あの過ごし方以上にベターな週末はなかったと断言出来る。ゲームの新情報がてんこ盛り!という単に楽しいだけの新作発表会のようなものを想像していたわたしは完全にいい意味で裏切られたと言っていい。完全に初見殺しだった。ファンフェスティバルはお祭りだから。そんなわかりやすい言葉のギミックにまんまと嵌められ、無事、床を舐めた新米ヒカセンである。吉田直樹さんの用意するコンテンツ(あえて今日のイベントをそう呼びたい)は、いつも一貫して、観る人をエキサイティングさせるという目的に彩られている。それは、新情報に触れることで興奮させる、過剰なファンサービスに感動させられるだけで終わらない。吉田直樹さんの人生の記念日に立ち会わせる、吉田直樹さんの心情にシンクロさせる、そう言った、私的な側面をそのまま披露する場所と言っていい。これはなにも、ファンフェスティバルに限ったことでは無い。漆黒のヴィランズを発表した2年前のあのイベントも思えばそうだった。光のお父さんの映画化という発表会も兼ねていたと記憶する。主演の2人に登場してもらい、あらゆるメディアの取材にもみくちゃにされながらも、当時の新作、漆黒のヴィランズを盛大にPRしていた。それは今回も同じである。神木隆之介さんを公式アンバサダーに任命するというサプライズによって、ファイナルファンタジー14の最新パッチ「暁月のフィナーレ」をPRすることにしたのである。それは成功したのか?答えはこれから出るだろう。客観的に考えればそれなりにPRできたと言える。それは私たちのような従来のファンに向けた発信ではない。まだ見ぬ、未だ冒険に出ようとすら思っていない未来の冒険者に対する宣伝である。その効果はどうか?といことで言えば、単純に比較できる訳では無いが、前回の漆黒のヴィランズと同等のインパクトを世の中に与えることは出来ていたように思う。それはネットニュースなどで取り上げられ、神木隆之介さんという共通項と共に、広くあまねく宣伝効果は波及されることであろう。その本番はむしろ、月曜日から効果を発揮するのでは無いかと思ったりもする。それはファンフェスティバルの成功と同時に語られるからだ。その成功は何を持って成功と表現されるのか?なんだろう。視聴者動員数であり、コメント総数であり、新作の予約数であるだろう。そのどれがひとつもしくはすべての数を持ってファンフェスティバルがいかに盛大に行われたのかが明日以降流布されるのだ。その2日間をオンラインで間近に体験した私たちは今だその破壊力がどれくらいのものだったのか?ということを客観的に測定出来てはいない。それは吉田直樹さんの夢を、間近で見てきたゼロ距離からの測定ではそれがどのくらいの速度で世間に広まるのか?ということは予測しようにも身内贔屓で見てしまう。それは仕方の無いことではあるが、少なくとも私たちの心に何かを残したことは確実である。それは吉田直樹さんが始めたひとつの夢であるが、いつしか仲間が増え、理解者が集まり、賛同者がそれぞれに力を寄せ集めて巨大な夢のカタマリとなって、転がり続けている。夢。夢を持つ者に、私たちはどうしようも無く惹かれてしまっている。その夢を一緒に見続けたいと願ってしまっている。それこそが、吉田直樹さんの夢に関わる夢そのものの正体だ。そこに永久に関わることは不可能に近い。なぜなら、1年やそこらで終わるような短いスパンのそれではないからである。また方向性は定まってはいるのだけれど、明確なゴールが決められている夢ではない。その形のない夢に魅せられ、そこに影響された人々が見る夢。そこからこぼれ落ちる誰かの人生の終着点。それを吉田直樹さんの夢はひっくるめて前に進めようとする。なぜなら、人の一生は短い。また、開始地点がそれぞれ異なる群像劇そのものだ。そこに関わる人達一人一人を大切にするという無謀な巨大な夢。それは喜びも悲しみも大きく含む一大叙事詩。ゲームが好きという共通項だけで繋がる巨大コミュニティ。いつか終わりが訪れる。それは物語を閉じる日。終わらないネバーエンディングストーリーは存在しないことと同じくらい人生もまた終わりを内包する物語そのものだ。今日見た人生の出来事は、奇跡のような1日である。それは吉田直樹さんの周りで起きた奇跡だ。それを私たちは目撃した。意図した部分もあるとは思う。だがそれ以上に、私たちはサプライズとしてその事実を、彼の周りの人達の人生の出来事を受け入れた。もちろん、傍観者として受け取ることしか出来ないだろう。しかし、リアルタイムにその事実を共有することが出来た事はあらゆる経験の中でよりリアルに、身近に感じ取ることの出来た出来事として深く心に刻まれる。確かにHappyな報告ではなかったかもしれない。しかし現実としてそこに居る。生きてそこで笑っている。その事実を共有することが出来たことはこれ以上ない喜びとしていまは受け取ろう。泣きながら抱き合って今生きていることの喜びを分かち合いたい気持ちでいっぱいではないだろうか。この気持ちは特別な気持ちでは無いのかもしれない。人として当たり前に感じる感情の1つかもしれない。けれど、少なくとも、私個人で言えば、これまでにここまで心にダイレクトに響く気持ちはなかったかもしれない。家族。両親。飼っていたペットの犬。そんな私の周りの人達との思い出や、出会いや、別れや、悩みや、これからの不安や、希望。そして明日への葛藤。それらをこんなにも吉田直樹さんの周りの人達に感じることがあるとは、正直思いもよらなかった。それはギフトであると同時に問いかけである。あなたの人生にそんな気持ちにさせてくれる人はいるか?という強烈な問いだ。人はいつか別れるときが来る。だからわたしは人と深く関わることを避けてきた。いざ別れるときに寂しくなってしまうから。その寂しさに耐えられなくなることが怖いから。1人という寂しさに耐える勇気がまだ残っている内に他人と共存して生きていきたいと願っている。だが、家族、大切な人や大切な存在が嫌でも出来てしまう。それが人が歳をとるという事だとしたら。わたしは今日この日を迎えたことは喜ぶべきことなのだろう。歳をとったのだ。私は確実に死に向かって生きている。それは全ての人が向かう終着点。嫌だ嫌だと途中で降りることは出来ない。気づいた時。それは明確に目的地としてセットされている。そこに向かうまでの間に見る夢。その夢のひとつに、吉田直樹さんの夢がある。わたしはこの命が尽きるまで、彼と彼の周りの人達、そして私たちが一緒になって作る夢の行く末を共に生きていきたい。それが、途中下車して行った人達の思いを引き継ぐ私たちの旅路であると思うから。

 

スタッフの皆様、2日間本当にお疲れ様でした。

 

それじゃぁまたね(了)MUSICAより。


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