ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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27歳パチプロ男性が「経営者目線」で語る違和感 | ボクらは「貧困強制社会」を生きている | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



社会との接点が失われるんじゃないか。

この一言がもっとも重い。記事内で、履歴書に書けない、とあった。パチプロでした、とは言えないというのだ。パチプロとして働くことは不安定な状態。いつ仕事が無くなるのかわからない。社会保険……なんてものはあるのだろうか。ローンを組むことも難しい。まして結婚もよほど相手の両親に反対されるだろう。社会的な地位を失うということがどれほどセーフティネットを失うことになるのかということを感じさせる。この話を政治家は認識しているのだろうか。認識していてもどうしようもないというのが現実ではないだろうか。わたしも似た経験を持つ。パチプロではないが、最初に就職した先は何の手当も無く、社会保険も一切入っていない職場。休日の考え方も適当で、劣悪な労働環境であったと言っていい。そのとき、わたしの中にはある言葉があった。それが、「どんな結果になろうとも納得する。それは全ての選択の責任はわたしにあるからだ」という考え方であった。だからそんな環境であっても「給料が貰えるだけマシ」だったし、休みがなくて忙殺されていても「殺されないだけマシ」だったのである。しかし5年続けた。余りにも辛いと感じ、これ以上耐えられないと判断「できた」。今考えるとそれが普通の感覚。そのとき感じたのはこのままだと結婚できないという不安感だった。まず、収入が少なすぎた。そして休みがないので出会いがない。そのふたつに気づいたわたしは転職することを決意する。そしてインターネットが普及しだした当時にわたしは転職サイトなるものに縋ることにしたのだ。そして次の転職先を見つけることに成功した。それは今思えばかなりラッキーだったと思う。自分にそれだけの能力があったのだと当時は思った。今思えば単に若かったのだ。若くて伸び代があるから採用された。そのとき履歴書にはあらゆる全国紙に携わった経歴を華々しく書くことが出来た。そしてもう1つ良かったのが経歴に穴が無かった。ただそれだけ。ただそれだけで、2つ目の職場は社会保険を完備しており、休日もちゃんとある。残業もない。素晴らしく生活は改善された。そして人生初の恋人もできたのである。そのまま私の人生は好転すると思った。だが、わたしの中の能力に対する驕りが職場不和を引き起こした。そして結局、1年も経たずに辞めてしまった。わたしは役員室に呼ばれ、ずらりと並んだ役員……(確か5、6人はいた)に詰め寄られた。その場で何か咎められた記憶がある。なぜだろう?なにか大きなミスをしたのだろうか。単に職場不和を引き起こした害悪として裁判を受けたような印象であった。その後も私以外に採用された人もいたが同じように職場に慣れず私よりも早く退職した。程なくしてわたしは総務に呼ばれた。その時の言葉が忘れられない。アルバイトとして再雇用する。と言われたのである。つまり、辞めるかアルバイトか選べと言われたのである。今思うとあれはどうなんだろう。普通のことなのだろうか。その言葉にわたしは内心激高し、それなら辞めますとはっきり言った。そのとき総務の人がなんか慌てていたのは何だったのだろう。そして次の春までに退職することが決まった。あれは確か秋のことだったので、転職して約半年でさらに転職決意だった。退職を決めてから5ヶ月位先に退職が決まったのである。ちなみに退職金は貰っていない。そしてすぐにまた転職サイトに登録。同じように転職先を探した。当時の恋人の意見から職場の場所を絞ることになったが。今思えば都会以外でもいいと条件を弛めたのはその時が初めてだった。……ここまで書いてきて、余りに綱渡りだったと思わされる。私自身は自分の能力を過信して自分の力で渡り歩いてきたという自信があった。だが、この記事の、パチプロの方の話を聞いて思った。パチプロの方と同じような気持ちだったのだ。ギリギリのところで社会との接点を持っていたことが、セーフティネットとなった。ある意味でハッタリのような転職を繰り返した。それが出来たのはキャリアイメージを持って履歴書を華々しく書けるような仕事を選んできたから「だけ」である。実際は能力など、ない。だから職場不和を引き起こして退職した。わたしはそのことをトラウマ、と呼んでしばらく引きづった。ここまで他人に拒絶されることがあるのか、と思った。そしてもう二度とそんな気持ちになりたくないと思った。そしてその次の職場で決意する。「嫌われないように振舞おう」と。自分のキャラクターを封印し、好かれる努力をする。それがわたしの新たな人生のテーマだった……。そのおかげで今がある。今という奇跡がある。結局はその当時の職場も10年で退職。いまの職場にたどり着いた。今の仕事は、最初に就職した劣悪な職場ほど悪くは無い。だが給料は安い。2つ目の職場のような、職場不和を引き起こしそうになった。つまり、前職の反動である。前職ではキャラクターを封印しすぎて自分がわからなくなった。年齢もあり脆さもあったのだと思う。今はもう無理をしても難しい。だから2つ目の職場のような職場不和を引き起こしかけた。だが、すんででわたしは思い直した。それは過去の失敗から学んだことだ。それにもう歳だ。あまりカッカしても意味が無い。そう思えた。そうしてわたしはようやく普通になったのだろう。わたしという労働力を買ってくれる職場に出会えたのだ。社会保険もある。休みもちゃんとある。これ以上望むとバチが当たるくらいに……。この考え方はおかしいだろうか。わからない。だが、この記事の人に同情してしまった。わたしもそうだったかもしれない。また、貧困はすぐ近くに来ている。いつ私がそうなってもおかしくはない。それは不幸だろうか。わからないけれど、私の中には今も「全ての選択と結果はわたしの責任である」という矜持がある。

 

それじゃぁまたね(了)


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