ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

雨が降れば「傘」をさせるエオルゼアの世界──『FFXIV』リードアイテムデザイナー林洋介氏インタビュー – PlayStation.Blog



なんて素敵なんだろう。

雨が降れば傘を差す。現実ならそうだろう。だがこれはゲームの話だ。ゲームの中の話だ。ゲームは現実ではないので、雨が降っても濡れないし、大して困らない(景色はどんよりするが)。雨になることで得られる特別なステータスもない。せいぜい限定のモンスターや魚なんかのアイテムが登場するくらいである。ではそもそも何故エオルゼアに雨が存在するのか?現実に近づけるためという理由ではまだ浅い。なぜ現実に近づける必要があるのか?まで考えないといけないだろう。現実に近づければ近づくほど、気候や天候の揺らぎが生まれ、その世界に何度も足を運ぶプレーヤーが新たな発見と出会いやすくなる。それは分かりやすくいえばゲームを続ける理由になるだろうし、まだまだ知らない世界があるという事実を教えてくれることは、そこに行く理由になる。つまり、何となくでもログインさせる大きな理由になるのだ。わたしはメインクエストの物語の先が気になって最初は意気揚々と続けていたものの、ついに最新の物語まで駆け足で進んでしまったとき、あれだけ未知と冒険に溢れていたエオルゼアがふと気づけば色あせてしまったような感覚に襲われた。そこで辞めてしまおうかと思ったぐらいにわたしは喪失感に襲われたのである(辞めなかったけど)。では、なぜ辞めなかったのか?と言われれば、わたしは、まだ知らない世界があるという事実を知ったからに他ならない。それは大きくわけて3つ。1つ目は女性キャラクターでおもいっきりオシャレをしてみたいという世界。2つ目は3ヶ月ごとに更新される新パッチやシーズナルイベントのお誘い。そして3つ目が、スクリーンショットである。むしろこの3つ目がいちばん長く、そして強く私をエオルゼアに引き止めた。いや、1つ目と3つ目、だろうけど。つまり、自分好みのキャラクターメイキングを施し、その上で自分の好みのど真ん中を突いてくる服装に着替えて撮るスクリーンショットは、まさに人形遊び。いや、アクションフィギュアを好みのポーズにして写真を撮る興奮に似ていた。いやいや、アクションフィギュアであっても、背景まで凝ることはなかなかできまい。それがエオルゼアなら好きな風景をバックに好きなだけ撮れるのだ。現実でそれをやろうものなら、まずモデルさんが必要だ。しかも、自分好みの顔やスタイルでなければならないし、都合もある。そしてファッションを私好みにしていいという心の広いモデルさんはそうそういまい。いやいや、そんな奇跡的に優しいモデルさんが万が一居たとしても、衣装を揃えるにはお金がいくらあっても足らない。作る?そんな技術もなければ、時間もない……。それが、エオルゼアなら全てが叶うのだ。ロケーションも選べる。天気は……コントロールはできないが、心配はいらない。雨でもすぐ天気は変わるし、夜でもしばらく経てば朝はすぐやってくる。つまり、それまで何重にも不可能だったものがエオルゼアというたったひとつのソリューションによっていとも簡単に単なる時間の問題にすり変わってしまったのだ。これこそがわたしがエオルゼアを辞められない理由であり、辞める理由を見事に消し去った主な要因でもある。わたしは私の中の「好き」を追求する世界を手に入れたも同然なのだ。わたしの「好き」を諦めずにいていい世界は現実にはなかった。しかし、手を伸ばせばエオルゼアにある。それも無限に広がり、終わることの無いオンラインゲームという名の生きた理想の世界である。つまり、天気というのはそれだけ大きな要素であるということだ。だから、エオルゼアには雨がある。雨があれば傘を差す。それは雨が楽しくなるアイテムであると同時に、ほかのプレイヤーが差している傘を見て「なんかいいな」と思わせ、それを手に入れようとする動機づけにも一役買っている。ファッションアイテムとして。エオルゼアの手に入れようとさせる動機づけに、ファッションアイテムがあるのだが、そのトリガーとなるのが、天気。それは晴天の清々しさであり、雨天時のアンニュイな空模様なのである。まるで1枚の絵画を眺めるように、空を見上げよう。現実では?わたしはやらない。雨は雨だからだ。濡れてしまうし、雨は気分が沈む。雨は好きではない。だが、エオルゼアでは違う。雨を肯定するほど好きではないにせよ、雨があるから晴れを待ち望むし、夜が来るから、朝を期待する。人の一生とは本来、表と裏を行ったり来たりするだけの単純動作こそ幸せが詰まっているのかもしれない。そんなふうに思うのだ。

 

それじゃあまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210619003924j:image