ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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【FF14】『暁月のフィナーレ』新要素のアートまとめ。新ジョブ、新規フィールド・都市、新たな脅威などをチェック!【随時更新】 - ファミ通.com



あらためて思う。FFとドラクエ

よくよく考えて、ファイナルファンタジー14の新パッチの発売まで約5ヶ月はある。だいぶ先だ。それまで何をして待っていようか。そんな矢先、わたしはドラゴンクエスト11Sをプレイしていないことに気づいた。そして体験版があることも知らなかった。それならやってみようと久しぶりにPS4を起動した私。それからドラゴンクエスト11Sにドハマリしてしまった。わたしはファイナルファンタジーを好きになる前はドラクエ派だった。と言うより、ドラクエしか知らなかった。ドラクエの良さは誤解を恐れず言えばわかり易さだと思う。どこに行って何をすればいいかという指示が的確で無駄がない。ストーリーも凝っていてとにかく安心して楽しめる。シナリオ、ゲームデザイン堀井雄二さん、キャラクターデザインの鳥山明さん、音楽のすぎやまこういちさん。御三方の素晴らしいセンスに彩られ、ゲームとしての完成度が高い。隙がない。特にわたしがいまハマっているドラゴンクエスト11Sはビジュアル面でのクオリティが素晴らしい。ストーリーもいままでにありそうでなかった展開だ。キャラクターデザインも過去の作品を踏襲しつつも新しい試みをしていて好感が持てる。エニックスらしい中身の良さと、スクウェアの美麗なグラフィックスがベストマッチした作品だと感じる。音楽も素晴らしい。ドラゴンクエスト8から始まったスクウェア・エニックス体制による新しいドラゴンクエストの最高到達点ではないだろうか。今まだ最序盤ではあるがとても面白い。特にファイナルファンタジー15をプレイした私からすると、キャンプが出来たり、仲間と楽しく会話しながら冒険したり、写真を撮ったりできるのは、ファイナルファンタジー15で楽しくプレイしていた私からするとすんなり入り込めた。そういう意味からすると、ファイナルファンタジー15で成しえなかった数々の惜しい点を、ドラゴンクエスト11Sでは見事にクリアしていると思う。ストーリーの面白さ、バトルシーンの軽快さ、仲間との冒険の奥深さ、どれをとってもファイナルファンタジー15では実現できなかった魅力に満ちている。比べるのも変な話だが同じスクウェア・エニックスが作っている作品であることを考えると、ちゃんと反省と改善が生きていると感じるのはどちらのブランドのファンだとしても純粋に喜ぶべきだろう。よくドラゴンクエストファンはファイナルファンタジーファンを嫌っているという話を聞くが、わたしのようにどちらも好きだというファンもいる。確かにドラゴンクエスト10は残念なことに楽しめなかったわたしではあるが、このドラゴンクエスト11Sは素晴らしい作品だと断言したい。特にベロニカが可愛い。ララフェル好きとしてはたまらない。見た目は子供ながら中身は大人という私好みドンピシャのキャラクターで、しかも着せ替えを楽しめるうえ、記念撮影も楽しめるのだ。わたしは両手を腰に当ててふんぞり返るベロニカを見る度に「あぁ、ララフェルだ」と感じ入るのである。ベロニカのコスプレでもしようかしら。ファイナルファンタジー14で。とにかく可愛くて私好みなベロニカを育てたくてまんまと製品版を購入したと言っていい。それは過去に好きだったドラゴンクエスト6のバーバラのデザインを見て6を買うことを決めた時と同じだ。また、ドラゴンクエスト8ゼシカもかなり私好みではあったが、いかんせん、ゼシカのあざと過ぎる体つきにややコレジャナイ感を感じてしまい、さらにドラゴンクエストの迷走ぶりを感じてしまった当時の私は結局初めてクリアせずにやめてしまったドラゴンクエスト作品になってしまった(10もクリアしていない)。あれから10数年。ドラゴンクエストは進化した。ドラゴンクエストらしい表現を残しつつグラフィックを向上させたのだ。そしてフルボイスという豪華な仕様。ファイナルファンタジーの最新作があれだけ豪華な仕様だったにも関わらず駄作のレッテルを貼られてしまったのに対して、ドラゴンクエスト11Sは素晴らしい作品となったと言えそうだ。1部でSwitch版を買ったコアなファンからPS4版のSは酷評されているという声も耳にするが、これまで頑なにドラゴンクエスト11をスルーしてきたわたしがこの、ファイナルファンタジー14の最新パッチまで5ヶ月あるというナギ節にこのドラゴンクエスト11Sを選んだことはまさに正解であった。存分に楽しむことにしよう。ここでふと思うのが、ドラゴンクエストファイナルファンタジーのふたつの作品群の辿ってきた軌跡の違いだろう。ドラゴンクエスト堀井雄二さんという生みの親が今も手がけている。ドラゴンクエストは回を重ねる事により深く成熟し、まるでワインのような見事な芸術作品となっている。伝統をしっかりと守りながらも、新しい表現、違った試みを少しずつ取り入れ進化してきた。12ではまたダークな世界観で大人なドラゴンクエストに挑戦するらしい。楽しみである。一方のファイナルファンタジーはどうか。ファイナルファンタジー9を最後に、坂口博信さんはファイナルファンタジーから引退。10からは別の人が引き継いできた。北瀬さん、野村さん……様々な挑戦的なクリエイター達がファイナルファンタジーという作品に挑み、新しいファイナルファンタジーを模索してきた。映画を見るような感動的な10、オンラインゲームとして船出をした11、タクティクスの世界観を取り入れたひと味違う12、野村さんらしい近未来感に彩られた13、我らがよしPが海外のオンラインゲームを超えるために海外目線で再構築した14、13の派生作品から脱皮して旅をテーマにオープンワールドに挑んだ15……。ファイナルファンタジーとは挑戦の歴史だと言える。最新のグラフィックを駆使しつつ、新しいゲーム体験を生み出そうとする日本のクリエイター達の血と汗の戦いの跡である。だから時に歪だし、未完成である。ファイナルファンタジーとは何かに挑んだ結果、空中分解しそうになりながらも、作品性と売上とを両立させることを期待されるビッグタイトル。ドラゴンクエストのように決まった見せ方などない。ドラゴンクエストのようにトップクリエイターが最初から構えている訳でも、ない。いつもあらゆる制約とせめぎあいに押しつぶされそうになりながら、1歩ずつ歩んでいく戦いの歴史。それがファイナルファンタジーであるかのようだ。先日のファイナルファンタジーオリジンもそうだった。面白いかどうか?は未知数。方向性もあやふや。誰もわからない。荒削りな仕上がりになることの方が多い。なぜなら、過去にファイナルファンタジー挑戦したクリエイター達は皆、ファイナルファンタジーから卒業していくからだ。1度きりの大勝負。ファイナルファンタジーに関わるということはまさにそういう覚悟を求められるのかもしれない。刺し違えてでも、ファイナルファンタジーを、自分自身の力を出し切って自分のものにする。そんな覚悟を求められているのではないだろうか。坂口博信さんはミストウォーカー社で、話題作となった新作「ファンタジアン」をAppleアーケードで発表した。あれは紛れもないファイナルファンタジーだった。あれをフルボイス付きの完成版としてPS5で発表出来れば、間違いなく名作となるだろう。わたしがドラゴンクエスト11Sで感じたこの安心感をきっとファンタジアンでも感じることが出来るに違いない。わたしはファンタジアンは残念ながら途中でプレイすることを辞めてしまった。それはスマホで遊ぶというプレイ環境の悪さが際立ったからである。具体的には大きな画面に写し出せないというデメリットである。ミラーリングでやればいいかもしれない。しかし、起動できるか?カクツいたりしないか不安になりながらプレイするのはいちゲーマーとして耐えられなかった。やはりゲームはハードに対する安心感が先ず必要なのである。その点において、ファンタジアンを動かすiPhoneというハードは決定的に能力が足らなかったのだ。PS5を手に入れてプレイしてみて、ますますそう思う。ファイナルファンタジーとは何か。ドラゴンクエストとは何か。一言で言えばそれぞれ日本が誇るゲームタイトルである。と同時に、ドラゴンクエストは日本国内向けであるのに対して、ファイナルファンタジーはどこまでも海外向けである。ドラゴンクエストを好きな海外勢もいるだろうが、どうしても子どもっぽい。ゲーマーの年齢層は子どもか、または私たちのような社会人だ。そうすると子ども向けに作られたドラゴンクエストはどうしても日本的な目線が目立つ。海外の子どもが楽しめる内容か?と言われればその答えは懐疑的だ。一方のファイナルファンタジーはオトナ向けか?と言われればそれもまた懐疑的である。しかし、HDゲームとしてファイナルファンタジー15は日本のゲームの底力を世界中に知らしめた。その結果としてファイナルファンタジー7リメイクの期待感がある。今はまだファイナルファンタジーとして最高レベルの最新作を世に出せていないかもしれない。しかし、そのポテンシャルはある。ファイナルファンタジー7リメイクで分かるように、圧倒的に時間とお金と才能が足らない。世界のゲームと対等に肩を並べるには余りにも足らないものが多すぎる。世界一のゲームを目指す必要があるのか?ニーアオートマタのようにニッチなオトナ向けアニメ風ゲームの大ヒットがその答えになるのかもしれない。オトナ向けのゲーム。それはドラゴンクエストファイナルファンタジーも次の作品で提案してくるだろう。これからはオトナ向けに作らなくては世界に通用しない。任天堂のゲーム作りが素晴らしいのは、子ども向けに特化しているからだ。PS5はそうではない。もちろん、ドラゴンクエスト任天堂でも発売されるだろう。だが、子ども向けゲームデザインで世界に通用させようと思ったら、どうぶつの森であったような、世界共通の世界観でなければならない。それは、ドラゴンクエストでも、ファイナルファンタジーでも出来ないだろう。だからこそ、その世界を好きになってくれる往年のファン。すなわちオトナ向けのゲームとしての挑戦をせざるを得ない。次のふたつの作品こそガチンコバトルとなる。私はそのふたつの作品をどちらも心から楽しみで仕方ないのだ。

 

それじゃぁまたね(了)


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