ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「スポティファイを作ったのはアーティストのためではない」元幹部が発言(BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

誤解を招く言い方である。

アーティストのためではないとは何事か。言い換えると、アーティストにお金を払うためにあるのではないとも取れる。それは大問題だ。なぜならSpotifyは音楽を誰よりも愛し、素晴らしい音楽を作るアーティストを応援するために運営していると自社のCMで明言しているからだ。つまり、応援はするけどお金は払いたくないということになる。応援はアーティストの音楽を宣伝することであり、人々の耳に触れさせることである。それが巡り巡ってアーティストの認知度を高め、アーティストを応援することになる。Spotifyが目指すのは応援であり、金銭提供ではないという。有料サービスであるAppleMusicと比べると1再生で0.01ドル支払われるのに対し、Spotifyは250再生してやっと1ドルらしい。単純に1再生あたり0.004ドルだ。Spotifyが無料サービスであることを考えてもかなり安い。お金が好循環しないサービスはサステナブルなのか。そもそもSpotifyは儲ける気がないのか。たしかにSpotifyには広告がほとんどない。あるのは自社の有料サービスへの誘導だけ。サブスクリプションサービスは乱立している。ほかのサービスと差別化を図りユーザーを囲い込むことでサービスの継続を促すことが必要だ。だが、その差別化の中でアーティストの利益が損なわれているのであれば、アーティストのためでないのであれば、何のためのSpotifyだろう。聞く人のため。会社が儲けるため。そのために楽曲を提供するアーティストはひもじくても良い?三方よしでないサービスを今後も続けていくことは出来るのだろうか。この記事の意図するところはなんだろう。下げ記事といえばそうかもしれない。しかし、ひとりのSpotifyユーザーとしてちょっと残念。朝によく聴く人なので余計だ。……昔の話をしよう。昔、音楽がiTunesで販売されるようになり始めた頃、世の中では音源の無断アップロードが蔓延り、CDが売れなくなった。あまり大きい声で言えないが借りたCDを空のCDに焼けば買う必要は無い。そんなふうにCDはどんどん売れなくなった。Winnyというファイル交換ソフトも摘発された。そんなとき、わたしはアーティストを応援するつもりでCDアルバムを買った。なるべくたくさん買うように務めた。アーティストを応援することは突き詰めればお金を払うことである。わたしはそう思っていた。その気持ちに今も変わりはない。たしかに当時よりは払うお金は減ってしまった。CDも買わなくなった。CDプレーヤーすら今の私の家には存在しない。すべてAppleMusicに取って代わった。AppleMusicは月額制の有料サービスだ。だから例え1再生0.01ドルでもアーティストに入るのであればわたしは繰り返し繰り返し再生してアーティストにお金を払おう。もっともっとたくさん聴きたいから。アーティストにお金が回ればもっと新曲を聞くことができる。そうやって巡り巡ってわたしの好きなものが生きていける。そんな世界こそわたしのすきをすきと言える世界だ。最近、パラリンピックのテーマソングの件で小山田圭吾さんが槍玉に上がっている。実はわたし、彼の大ファンだ。いや、だった。学生の頃に聞き狂った1人である。それは、現実に対するカウンターパンチのような、現実を打破するような力を当時の楽曲からもらったのである。そこに、小山田圭吾さんはたくさんの力を注いでいた。たしかに褒められた人格ではない。そもそも人格者ではない。アナーキーな人だ。アナーキーであればなんでもやっていいという訳でもない。過去のやんちゃを暴露され、そのことについて謝罪することは当然だろう。それでいい。彼もいい大人になったのだ。自らの矜恃を守るよりもっと大切なものを守ったのだ。わたしは彼は辞退してもいいのでは……と思った。昔の彼ならなんの迷いもなくそうしたに違いない。だが現時点ではそうしていない。それをしたということは、もう音楽で勝負するしかない。万人の琴線に触れる音楽を作ってきた人ではない小山田圭吾さん。人選ミスだろう。デザインあの曲もかなり危ういバランスで成り立っていた。ファンタズマのあの作り物のデザイン性の上に成り立っている。その後のdropの延長にある。確かにそれはひとつの方向性だった。彼の中にある音をシンプルに鳴らした結果だった。だが同時にそれはかなり利己的でポピュラリティからはかけ離れていた。その後、彼はずっとひとりで自分の中にある音を時折鳴らす人になった。そんな人にデザインあはスポットライトを当てた。ただそれだけだ。彼は変わろうとしない人だ。その彼が今回の件で少し「変わった」のかもしれない。攻殻機動隊ARISEの楽曲も、わたしは聴いていない。今回はどうだろう。おそらくスターフルーツサーフライダーのような楽曲だろう。デザインあのような物だろう。当たり障りのない空気のような音楽に違いない。わたしはそれが寂しくもあり、切なくなるのだ。どっちに転んでも、今の世の中は、彼のような歪なキャラクターを、空気を読めない人を、徹底的に排除する。わたしも弾かれるひとりだ。だからひっそりと目立たないように過ごしてきた。こうしてブログやTwitterでもわたしの意見を広めようとは思っていない。むしろ私の本心などどれぐらい発信しただろう。人と違うことを忌み嫌う世の中でありつつ、心の底では個性を求めているいまの時代。僻み、つらみ、妬み、そんな負の感情に流されず、人それぞれがそのまま生きられる時代になってほしいと切に願う。

 

それじゃあまたね(了)


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