ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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『ファンタジアン』植松伸夫氏ロングインタビュー。ゲーム音楽を作ること、音楽への想い、そして“これから”の話にまで展開したファン必読のテキストをお届け!【サウンドトラック先行配信記念】(ファミ通.com) - Yahoo!ニュース



ぼくが植松伸夫先生を愛してやまない理由。

AppleMusicに音源がリリースされたと聞き、早速聴きながらこのブログを書いている。わたしが植松伸夫先生を知った(認識した)のは、ファイナルファンタジー3だった。その後、4、5と彼の作る瑞々しい音楽に打ちのめされ、音楽を聴くためにゲームを起動することもよくした。あの頃、ドラゴンクエストの音楽と、ファイナルファンタジーの音楽はそれぞれとんでもなくエッジが立っていて、ゲームの中だけで考えるにはあまりにも「はみ出していた」。わたしは子どもの頃から音楽が好きになれるかどうかはゲームを好きになれるかどうかとほぼ一致していたし、好きな音楽があるか?という期待感はわたしを新作FFに駆り立てたのである。もちろんドラゴンクエストもまた同じであった。他には?ロックマンコナミの和風BGM、任天堂のマリオ系だろう。ゲームをやるためのモチベーションに音楽はかなりの部分担っていた。わたしが植松伸夫先生を愛してやまない理由だが、大きくわけて3つある。ひとつはインタビューでも言っていたが彼の引き出しの豊富さだ。あらゆるジャンルの音楽を、植松伸夫というフィルタを通して噛み砕いてもらえる。それは植松伸夫という敏腕シェフのいるレストランののうに安心感があった。だから安心して耳を傾けられたし、期待を上回る何かを期待してきたのである。当時子どもだった私は音楽と接する機会が少なく、それこそ映画館のジブリ作品かゲームくらいだった。だから冒険心をくすぐる植松伸夫先生の愛すべき音楽はわたしの求める音にドンピシャであった。そしてファンタジアンである。ファンタジアンはとても素晴らしいゲームだと断言できる。それだけのクオリティを備えている。しかし、何かが足らず、わたしはもうプレイしていない。それはなにか。ふたつある。ひとつは単純にわたしがオフゲーをやれるだけの時間や情熱がないこと。もうひとつはiPhoneというデバイスとテレビとの相性の悪さが際立った点だろう。後者は大人の事情がかなりありそうではあるのでどうしようもないのだが、あれだけAppleが革新性を持って世界を席巻したのは、テレビを駆逐できるデバイスを世に生み出したからである。だが、我々が求めているゲーム環境というのはどうしてもテレビとセットである。または、パソコンである。そのどちらとも親和性のないApplearcadeでは、もはや、期待するだけ無駄だ(MacBookでは出来るのかもしれないけど残念ながらわたしは持っていない)。つまり、ゲームとして完成度が高いことは認めるがゲーム環境としてはけして良いとは言えないのである。月額課金というスタイルもまた奇抜である。過去の名作を定額で、なら話は分かるが、新作を定額でという考えはいささかまだ時代が追いついていないと言わざるを得ない。前者についても同じでわたしは人間である。人間であれば歳をとるのだ。他人とのコミュニケーションの場としてゲームを再定義している私にとって今更オフゲーをやる理由など皆無に等しい。いまのエオルゼアのようにやることが無さすぎて別ゲーに手を出すようなことでもなければ長続きはしまい。事実モチベーションを保てなかった。なので、ここで提案なのだが、植松伸夫先生の生み出す音楽を、かつての子どもだった私たちに100%届けるにはもはやゲームだと弱い。せめてドラマか、アニメ、もしくはあのジブリのような映画にして欲しい。それくらいのポテンシャルがある。このファンタジアンにはある。かつての子どもだったわたしたちに送るファンタジー冒険活劇としての劇場版としてこの作品を世に出して欲しい。その際の曲として、これら珠玉の名曲は十分に機能するだろう。ゲームの中だけで聞くにはもったいなすぎるほどに、「はみ出している」。これは植松伸夫先生が無類の音楽好きであることが雄弁に物語っている。ゲームのストーリーパートを映画という形に再構築して音楽を生かしてはもらえないだろうか。Appleの専売特許にしたい気持ちは痛いほどわかるが、この作品はそんな小さな会社のエゴに収まる作品ではなさそうである。おほん。植松伸夫先生を愛してやまない理由。2つ目。それは植松伸夫先生が音楽を好きだということが伝わってくるところだ。つまり、音楽に対する愛が伝わるところ。それが魅力である。音楽に対する愛のかけ方には2通りある。ひとつは自己表現として使える道具としての愛着。もう1つは音楽が与える無限の可能性に対する尊敬の念。植松伸夫先生の愛は圧倒的に後者である。わたしが音楽に期待するところもまさに同じだ。音楽が、メロディが、和音が、聞き手に与える感動という波を操作するその様はまるで魔法のようであるかのように美しく、そして可憐に舞う。その見事なメッセージに気づいた時。私たち受けては涙するのだ。この曲に出会えて本当に良かった、と。歌詞のある曲はメッセージを、文字に載せられるが、ゲーム音楽は歌詞がないことの方が多い。そのサウンドに込められた愛、恋、喜び、悲しみ、それらを汲み取るとき。まるでそれまで気に求めていなかった異性からのラブレターを受け取って恋に落ちるかのようなドキドキがある。この音は私に何を伝えたいのか?それを探ることは物語の行間を読むことに等しい。それができるのは世界はひろしといえど植松伸夫先生を超える人はまずいないだろう。そのくらい、音楽に物語性を盛り込んでくるのだ、植松伸夫先生という人は。植松伸夫先生を愛してやまない理由。3つ目。最後のひとつはずばり、植松伸夫先生の人柄だと思う。彼の可愛らしさ、彼の人間ぽさ。坂口博信さんに簡単に口説かれる人の良さ(笑)。そのどれをとっても可愛い。可愛いがすぎる。その可愛さを求めてわたしはこうして彼の生みだした音楽を聴くのだ。今回はわたしが植松伸夫先生を愛してやまない理由を説明した。全ての曲を好きなわけではない。だが必ずと言っていいほど、1曲は好きになる曲がある。1曲じゃないことの方が多い。それはその作品のテーマとなる曲である。今回のファンタジアンで言えばやはり、「キーナ」である。あれは本当に名曲だ。このゲームはまだ完結していないようだが、やはり1ファンとしてはしっかりプレイしたい。それにはまず、Appleさん。専売特許を辞めていただきたい。プレイステーション、ないし、NintendoSwitchにて再リリースしてほしい。そうすればわたしは必ずやるだろう。どんなに時間が無くとも、コミュニケーションにならなくても。あ、でも。今回AppleMusicに全曲出してくれたのは良かったね。Appleらしい戦略だと思います。AppleMusicユーザーとして全面的に支持します!植松伸夫先生のコンサートで先生に直接話しかけちゃったわたし。うふふ。しかもタッチしちゃった。あれはわたしの最高の思い出です。FF14のオケコンでも会えたし♡ 植松伸夫先生の博物館を建てましょう?

 

それじゃぁまたね(了)


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