ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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ひろゆきの教え「この二択を間違えると一生、不幸です」(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース



すべての選択は私の責任で行うのだ。

自分の責任で選ぶのだから、なにかミスがあって失敗しても自分の責任である。自分で選ぶのだから、100%自分の好きなように選べば良い。それで後悔する結果になっても仕方ないのだ。それを選んだのは自分自身である。常に選択肢は自分がする。誰に何を言われようとそれだけは絶対に曲げてはいけない。逆をいえばそこさえ守れば良いのである。全ての選択を自分だけで行うのは難しい。悩むし、これで良かったのかと思いたくなる。しかしそれでいい。悩まない選択などないし、悩むくらいなら好きな方を選ぶべきである。それで後悔するなら本望であるはずだ。しかし社会人をやっていると、この考え方を否定されることが多いと感じる。どういうことか?それは、なぜ自分だけで判断したのかという叱責である。ここに気づくまでに時間がかかった。結論から言うと、自分の人生の選択は自分一人ですればいいが、組織で行動する会社はそうではないということだ。なるべく人に聞いて、人の判断に従え。これが社会人としての最低限のルールである。もっと言えば、誰もとも仲良くできない社会人はもっともリストラに近い存在なのだ。つまり、社会人として上手くいく人は人生における選択肢を間違えやすいのだ。逆をいえば人生の選択肢を間違えない人は素直ではあるが、社会人としては落第だ。はっきり言って鼻つまみものである。人生の選択を間違えずに素直に生きることと、社会人として成功する生き方を両立できず反発する。ひろゆき氏が人生の教訓をこれだけ指摘できるのは、彼が社会人として究極的に落第生であるからである。それでも彼がこれだけ成功者として自分の地位を確立し、経済的にも満たされているように見えるのは彼が自分の人生における選択を自分で選んできたからである。そして、自分を高める努力をしてきたからである。その点についてこの記事でハッキリと実感できるだろう。わたしがひろゆき氏が好きなのは彼が正しそうなことを言ってあらゆる人を論破するからではなく、彼が彼自身の正解を選び続けることができる勇気と選択センスがあるからである。この人生における選択のセンスとは、自分にとっての最善な選択を選び続けることができるかどうかという能力である。ひろゆき氏にとっての正解が私にとっての正解であるはずがないし、そうであって欲しい。あくまでひとつの例であって、彼の選ぶ正解はほんとうに私の正解かどうか?という視点はわたしも常に持っていたいところだ。

 

それじゃあまたね(了)


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