ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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推しにも友達ライバーにも「投げ銭」。10代に浸透する「スパチャ」、なぜモヤる?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

"推しにも友達ライバーにも「投げ銭」。10代に浸透する「スパチャ」、なぜモヤる?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース"

 

なぜスパチャが人の心を掴むか。

    この手のサービスは使ってみないとわからない。ましてや、親として……などという意味不明な理由つけをしている限りはおそらく理解できないだろう。自身の息子を通じて若者の世代の問題や親世代との違いを扱うライターさんということで、同業他社として呼んでみたが思ったよりも面白くはない内容だった。むしろ理解しようとする姿勢がまるで感じられないばかりか、結局は理解できないという結論で終わっている。モヤモヤをモヤモヤのま放置され、読者の私はさらにモヤモヤしたままである。

 

    なぜ、サブスクが良くて、スパチャがダメなのか。この筆者が言わんとするところはおそらくこうだ。サブスクは過去には実際の物として取引されていた商品をネット上に使えるようにしたサービスなので良い。スパチャは好きなタレントや好きなライバーなどを応援するために使っているというが、どれも画面が光ったりプレゼント(のようなもの)がグラフィックとして表されるだけで実際には何も無いからダメというのである。つまり、実際には何も無いものにお金を払うことは「無駄使い」であり、なんの意味も、生産性もないのだから、そんなものにお金を使うことは望ましくない。それよりも友達の好みに合うプレゼントを買ってあげる(またはそれを探すこと)が、人生経験になるのであってお金をプレゼントするような感覚でスパチャに慣れてしまっては寂しいのではないかという意見だ。

     確かにある意味では正しい。だが、ライバーや配信者に「自分の存在を認識してもらえる」という投げ銭(つまりスパチャ)は、ライバーと自分を結ぶコミュニケーションの一種となり得る。それは自分が肯定された瞬間であると私は理解している。それを喜びとして感じることは果たして悪いことであろうか。

 

     確かにのめり込みすぎて、一日に何万円もスパチャ(またな投げ銭)をしている無謀なファンがいるが、それは流石にやりすぎだ。わたしも一時期、一般の配信者と繋がれるアプリにハマったことがある。それは自分を認識してもらえる喜びに対する対価だった。明らかにお金を使いすぎているファンもいたが、わたしはせいぜい100円か、多くて300円くらいだった。一日にである。それでその当時は自分にかまってくれる人がいるという喜びの方がはるかに大きかった。その対価として数百円ならば安すぎるくらいである。

 

     これだけSNSで簡単に繋がれる時代。誰かと繋がる際に共通の趣味というだけでは無数の枝葉が存在するあまり、共通を見つけにくくなってしまった。共通の趣味を軸に気軽に話せなくなっている。つまり、話しかけるためにお金はいらないが、相手に自分を印象付けるという意味で使用するスパチャなのだ。そう考えれば、それはある程度節度を持った範囲内において問題はないとわたしは思う。

 

    では何が問題なのか?それは使いすぎてしまうマネーリテラシーの低さであり、クレジットカードを不正利用しようとする狡猾さだ。隠れて擬似クレジットカードを作ってしまったり、知らぬ知らぬうちに高額になるというよくあるあれである。それをすべてスパチャのせいにするのはどうだろう。わたしは親の思考回路にこそ問題があるのではないだろうかとすら思う。親もネットリテラシーやマネーリテラシーを学ぶ姿勢を持って子どもと一緒に学んでいく姿勢を忘れてはならない。そうすれば、親と子の中に「嘘」や「狡猾さ」などというすきま風は吹かないはずである。

 

     つまり、スパチャが悪いのではない。悪いのは新しい遊びに対する理解をする努力を怠っている大人側にあるのだ。子どもと一緒に学べる親でありたい。わたしは常々そう思っている。

 

それじゃぁまたね(了)


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