ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫!」が、文章の最高のお手本である理由 | 短いは正義 | ダイヤモンド・オンライン

"「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫!」が、文章の最高のお手本である理由 | 短いは正義 | ダイヤモンド・オンライン"

 

短いは正義だ!

    長年コピーライティングに携わっているわたし。言いたいことを短い文にすることの難しさを感じることが沢山ある。いや、短くする行為にはだいぶ慣れた。たぶんさっさとやれてしまう。けれど、この書き手の方がいうように「説得力」を持たせようとするとそれがなかなかうまくいかないのだ。

 

   それには大きくわけてふたつの理由が存在する。ひとつは単に言葉選びの引き出しが甘く、芯を食っていない場合だ。よりよい選択肢があるはずなのに、時間がなかったり、クライアントの担当の方にそれ以上のセンスを求めるには酷なケースである。その場合、「まあこれくらいでいっか」という安直な選択となり、結果思ったよりも伝わらず、反応も伴わないものになってしまう。プロとしてそれらの手を抜いてはいけないとは思う。しかし、時間は有限なのだ。締め切りも待ってはくれないのである。それならば限られた時間と猶予の中でえいやっとやるしかないのである。もちろん、時間が許す限りの努力は惜しまないのではあるが。

   

   もうひとつの理由はこうだ。実はこっちの方が深刻だったりする。つまり、自分の考えをうまく相手に説明出来ずに、クライアントの指示通りの意味不明な文章になってしまうケースだ。例えばイナバのケース。コピーライティングの担当者が閃いたとする。「そうだ、100人乗っても大丈夫!といえばいい。60トンまでの重さに耐えられますというよりも分かりやすい!」となったとする。そこでクライアントに提案して、「やっぱりイナバ」といれてくださいとなったとする(これはありそうな話だ)。それで、最終的なコピーが「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫!」になるわけだ。

 

   しかし、これが次のようになったら?つまり、コピーライティングの担当者が閃いた。「100人乗っても大丈夫と言った方がわかりやすい!」そして、クライアントに提案する。すると「いやーそれじゃあ60トンの重さに耐えられるって数字がわからないから、60トンの数字を強調してほしいです」と却下されて、散々戦ったのだが、結局は、「会長の一声で、60トンの重さに耐えられます!に決まりました」という末路だ。これは割とよくあるケースである。

 

   つまり、言葉というのは伝える手段であって、芸術ではない。ましてや、コピーライターのセンスの塊ではあっても、不可侵の神域ではない。どんなにセンス良くまとめても、伝わらなければ無意味だ。誰に?クライアントに。もっというと、クライアントの上の人に。コピーライターとして言わせてもらうなら理解してくれよと嘆きたくなるケースだ。

 

   プロとしてイナバ物置のようなコピーに憧れないはずはない。世の中に残る名コピーを生みだしたいという欲求は常にある。しかし、わたしの生来の性分なのか、伝わらない。コミュニケーションがとにかく下手なのだ。それを悟ってからわたしはとにかくクライアントの言いなりになってきた。それでは君(わたし)の存在意義がないじゃないかと痛いところを言われたこともあった。だからわたしはそのスキルを磨くべく、いま営業の分野に挑戦しているのである。営業兼ライター。かっこよく聞こえるだろうか?わたしにはわからないが、おかげでわたしはわたしの権限の拡大に成功し、わたしから営業に伝える手間と、営業からクライアントに伝える齟齬の両方を解消することにしたのである。

 

   常々思う。コピーライティングは誰のためにあるのか。コピーライティングはクライアントのためにあると思っている。書き手が望む世に残るコピーは結果であって、世に残すために作ったわけではないだろう。つまり、依頼者と提案者という2人の人物がいて、その共同作業によって生み出されたコミュニケーションの証である。わたしが学びたいのはまさにそれなので、今日もわたしはコミュニケーションの神秘を学ぶ毎日なのである。あぁ、世の中に残るようなコピーを作りたいなあ!

 

それじゃぁまたね(了)


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