渡辺範明と宇多丸『ファイナルファンタジー15』を語る
まず文字起こしを読んで欲しい。…読んだ?
まず最初に訂正。ファイナルファンタジーアギトのくだりで、
(中略)…次に『ファイナルファンタジー アギトXIII』というのがあって。これはタイトルとかゲームハードとかを変えたんだけれども、『ファイナルファンタジー ヴェルサスXIII』というタイトルでなんとか発売しました。ここまではまよかったんですけど、もう1本。『ファイナルファンタジー ヴェルサスXIII』っていうのがありまして。これがですね、なんか黒い服の黒い髪の男の子が主役で。割と期待値も高かったんですけど、ずっと音沙汰がなくてね。…(中略)
(本項記事リンク先文字起こしより引用)
…とありますが、これは間違いです、はい。正しくは、ファイナルファンタジーアギト13は、ファイナルファンタジー零式として発売されました。以上、修正終わり。ラジオの文字起こしだから言い間違えしたのかな?それとも文字起こしの担当者が間違えたのかしら。どちらでもいいけれど。
…と思っていたら、上のWikipediaを見てみたら、ファイナルファンタジーアギトは存在していた。無料アプリ(ゲーム内課金)らしいけど。世界設定自体は零式と同じらしいから、ほぼ零式かな?でも、もちろんファイナルファンタジーアギト13は発売されなかったけど。ややこしい。でもまあ、ファイナルファンタジー14民としては、零式は、レイドボスの零式ってイメージだけれど。この辺の話は完全にスクウェア・エニックス社の黒歴史のひとつになっていると思われます。ノムリッシュの黒歴史。あれ?ファイナルファンタジー15のイメージカラーが黒だから、文字通り黒歴史で合ってるんだ。もしかしたら、そういう結末を見すえて黒歴史って言ってるのかな?つまり、そういう結末になると予想して…。(ここで日記は途切れている)
Wikipediaはほんとに有能だなぁ。さて。ファイナルファンタジー13から始まる「ファブラ ノヴァ クリスタリス ファイナルファンタジー」というプロジェクトは、個人的には、膨張し続ける物語性への期待感に対して、毎回別設定を考えることに疲れたスクウェア・エニックス(主にノムリッシュ)が、壮大な神話を作り上げ(…でいいんだよね?)、そこに紐づく形で作れば、より難解でより壮大な物語を作れる(=見る人を感動させられる)と思ったからそうしたと思ってる。でも、僕ら一般ユーザーからしたらあまりにも難解すぎてついていけなかったし(今もそれはネタにされる)、ファルシのルシがコクーンでパージされたと言われてもなんの事やら分からないというのは、13が発売されてから数年経った今でも同じなのです。
毎回ストーリーを変えることに「若者らしいイキった性格」を与えられていたブランド「ファイナルファンタジー」。そのラストを飾る作品群として、「ファブラ ノヴァ クリスタリス ファイナルファンタジー」という幻想を抱いたノムリッシュ。その発想自体は悪くなかったのだろうけれど、そのための開発コスト、開発費用を考えていなかったがために、開発は破綻。巨額の投資をしたにもかかわらず、その投資に見合った売上を計上することはできなかったファイナルファンタジー。若者らしいイキったブランドは、高すぎる理想に押しつぶされ、崩壊し消えていく運命にあった。「ファイナルファンタジーは終わった」、そういう表現は正しい認識だったのだろう。もはやこれ以上幻想を紡いだところで、それは理想だけを追い求める若気の至りである。現実は理想ではなかったのだ。
そう考えると、究極の理想を掲げたファイナルファンタジーが行き着く先が、現実的なファイナルファンタジー15という事実は見事だ。文字起こしの中で元スクウェア・エニックス社の渡辺さんが指摘していたことは、僕の心にひとつの答えをくれた。
(宇内梨沙)ただ、やっぱりオープンワールドとFFらしいドラマチックさって、当時ちょっと相性が悪いなっていうのは感じていたんですけども。やっぱりとロードムービーをやればやるほど、物語ってどんどん間延びしていっちゃうじゃないですか。そのへん、渡辺さんはどのようにお考えですか?
(渡辺範明)それはおっしゃる通りで。僕はだから『FF15』の本質はその部分にあると思ってるから。なんならムービーシーンはそんなに大事じゃないと思っているんです。で、みんなで仲間同士で旅してて。その時間の積み重ねが、でも限りあるノクティスの人生とか青春とかっていうものを描いてるって思うと、そのこと自体がすごく胸にくるものがあるんですけど。ただ、たしかにおっしゃる通りFFらしい、大上段に構えた全体的な、もっといわゆるドラマチックなストーリーっていうのは、それはそれであるわけですよね。特に後半に行くに従ってそれの色合いが強くなっていって。
で、実はオープンワールドじゃない部分のゲーム進行がすごく多くなっていったりとかして。なんか、たしかにそこの組み合わせでうまくいってないところもあるんですよ。全体的にアンバランスなゲームであることは否めないんですけど。だからそこのところに注目する場合と、さっきのチャレンジングな部分に注目する場合でたぶん15の評価は結構分かれちゃう。
(宇多丸)とはいえ、みんなが期待するFFらしさではないとこを狙ってくるところこそが……。
(渡辺範明)そう! そこがFFらしいっていう(笑)
(本項記事リンク先文字起こしより引用)
つまり、ファイナルファンタジーらしさは「若者らしいイキった作り」にこそあって、誰もが「ファイナルファンタジーってストーリー重視だよね」っていう定説を覆すところに、「らしさ」を求めているゲームだから、「あえて」不釣り合いなオープンワールドを組み合わせた「ストーリー重視じゃないチャレンジ」にこそ、「ファイナルファンタジーらしさ」が宿っている。つまり「ファイナルファンタジー15が未完成であること」すら、ノクティスの「若者らしいイキった人生そのもの」だし、それこそが「ファイナルファンタジーらしさ」なんじゃないか。
という事になるんじゃないかと。長年ファイナルファンタジー15はディスられてきた。未完成作品を売りつけるなと怒られてきた。つまり、ファイナルファンタジーらしさが何処にあるのかという考え方がこの「若者らしいイキった物語」という点にあれば、このファイナルファンタジー15もまた、ファイナルファンタジーらしいのである。往年のファンならそう理解してもいいはずだ。しかし、渡辺さんが指摘しているように後半にようやく「ファイナルファンタジーらしい」重厚なストーリーが語られ始めた…といういいところでファイナルファンタジー15はゲームが終了してしまう。だから「未完成」ぽく見えるし、「物足りない」。
だがそれにしたって追加コンテンツで補完する計画だった。DLCで補完すればよかったのだ。エピソードグラディオ、エピソードプロンプト、エピソードイグニス。エピソードアーデン。すべて重厚なストーリーを語っていた。素晴らしい作品だった。特にエピソードアーデンは1本の独立した作品と思わせるくらい見事なゲームだった。これにさらにエピソードアラネア、エピソードルナフレーナ、エピソードノクティスが続けば、ファイナルファンタジー15は完成していたに違いない。ここまできてやっと、ファイナルファンタジー15は完全版となるのである。今思えばそこまで開発できる時間の余裕があれば…。もう何度思ったことだろう。
ファイナルファンタジー15のディレクターが言った言葉「小説が売れればまた作る機会があるかもしれない」はあまりに切ない。わたしは全力で小説を買って応援した。しかし結果は今もまだ実現されないままだ。夢は潰えたのか。いや、夢は諦めたときに終わる。諦めてなどいない。先日、スクウェア・エニックス社から新作が発表された。その作品の名前は「キングダムハーツ4」。その作品のイメージトレーラーが発表された。そこに映っていたものは、ソラが新宿を駆け回る姿。ノクティスではない。インソムニアでもない。けれど、フラッシュバックするファイナルファンタジーヴェルサス13の記憶。そして、叶わなかったファイナルファンタジー15の完成版。その先を見せてくれるのかもしれない。もう、わたしは覚悟した。死ぬまでにファイナルファンタジー15の完成版が遊びたい。わたしはファイナルファンタジーと共に生きる。完成版を見るまで、わたしは絶対に死ねない。ノムリッシュ、期待してる。そして、我らが吉田直樹さん。きっと、ファイナルファンタジー16をめちゃくちゃ成功させた後は、ファイナルファンタジー15を復活させてくれるよね?完全版を出してくれるよね?
それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"