ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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備忘録:または墓標としての記録。FINAL FANTASY XIV ORCHESTRA CONCERT 2022 -Eorzean Symphony-

 オーケストラコンサートに12月17日の土曜日昼に参加してきました。その気持ちが消えないうちにnoteに書き記します。なお、コンサートがどういうものだったかを端的に表現するなら↓の記事が正しいので概要を知りたい人はこちら見てね。

 みましたか?はい。おかえりなさい。ぼくは、このコンサートからもらった気持ちを記してみたいと思います。

 【注意】率直な意見を述べている場所なので、あまり褒めてません。褒めてないけど悪かったとは思ってません。でも褒めるばかりが感想じゃないと思ってます。だから、あの感動を穢すようなこといわないで!と少しでも思う人がいたら、ここから下は読まない方がいいと思います。それでもいいよという方だけ、読み進めて下さい。なお、個人的な感想なのでご了承ください。

 でははじめます。



 
 個人的にぼくのコンサートの楽しみ方は、昔から変わらない。それは「会場の音に身を任せる」この一点に尽きる。会場から発せられるあらゆる楽器の音、音の響き、人々の話し声、歩く時の足音、人の口から漏れた息遣いまたは独り言。もしくは、開園前の会場で流れる導入動画の音。ぼくは、音に興味がある。音が発するメッセージに一番の関心がある。それはある意味でとりつかれていると言っていい。なんせ、本来一番メッセージ性を含むはずの歌詞のストーリーの考察にはなんら興味がないからだ。歌詞は大切だが、それ以上にその歌詞がそこで鳴る、もしくは発せられる「意味」のほうに意味があると思っている。

 どういうことかというと、なるべく多くの音を逃すまいとしている姿勢で、その時に鳴ったあらゆる音が僕にとって「音楽」なのだ。だから、そこに込められた歌詞を考察するという行為は文学のそれであると理解している。つまり、コンサートでは不要だ。前もって歌詞カードを眺めて「これはどういう意味だろう?」と考えることをまったく無意味だと言いたくはないが、僕個人にとって言えば、それは別の楽しみ方なので、音を楽しみに来ている身としては、コンサート会場における言葉はほとんど意味をなさない。むしろその言葉がどのような音程や強度や息遣いによって発せられ、僕の耳に届くのか?というその瞬間こそが最大の醍醐味であり、ここの体験はその時、その場所でなければ体験できないものなのである。そこにこそ、LIVE体験というものの真の価値があるとぼくは思う。

 前置きはこのくらいにして、今回のコンサートについて。上記の事から、ぼくはまず、会場の雰囲気に圧倒されてしまった。これまで体験したことのあるオーケストラコンサートとは違った雰囲気があったからである。それは「いい意味でオーケストラコンサートらしくない」会場だということだ。オーケストラコンサートらしい雰囲気はどういうものかを定義すると、ステージ上のグランドピアノが似合うステージである。もっといえば、お住まいの市町村が持つ大きめの文化会館がそれにあたる。それはどういうものか?と端的に言えば、「厳か(おごそか)」であり、「学校や市町村にありがちなダサさ」があるものである。だが、今回のコンサート会場はとてもじゃないが、「ダサくない」。いい例えが思い浮かばないので思い付いたまま言うと、「bluenote」みたいな、livebarみたいな雰囲気。お酒でも飲めそうなカジュアルさがある雰囲気である。また、ステージ上に吊り下げられた大型スクリーン×3台もまたなんだかダサさからは程遠く、なんというか、オシャレであった。佇まいが。(ほめ過ぎ?いえいえ、褒めてません)

 会場に11時30分過ぎに到着したぼくは、所在ないこともあいまって、早速会場入りし、指定された席に座っていた。13時開始を思えば1時間30分もその場で待つことになったわけだが。しかし、12時になった頃ぐらいから、その大型スクリーンに映し出されるこれまでのパッチトレーラーが僕の耳を楽しませた。新生のエオルゼア蒼天のイシュガルド、紅蓮のリベレーター、漆黒のヴィランズ、そして、曉月のフィナーレ。そのどれもなぜか初見のものだったこともあり(YouTubeにあるとおもうけど僕はふれてこなかった)、その映像から漏れ聞こえるキャラクターボイスにいやおうなしに感動させられてしまった。これはここに1時間30分いて正解だ。早く来てよかったと思った。

 先ほども言ったように、「音を楽しみに来ている」僕としては、こういう響きの一つ一つがすでにいいのである。むしろ、ここで「良さ」を感じてしまったら、本番がかすむのではないか?と心配したほどだ。いや、こういう感覚の人僕以外にもいますよね?朝起きてから初めて聞く音の響きを楽しみたい人なので、ここである程度の音楽の「響き」を体感してしまうと、コンサートのそれがかすむんだって。

 実際、一曲目に披露されたバトル曲は、音圧がトレーラーのそれを下回って聞こえてしまい(つまり、自分の耳がトレーラーのボイスに調整されてしまい)、音声のないオケ(それにしたってすさまじい演奏だったが)に物足りなさを感じてしまった。どこかでキャラクターボイスがSEとして入らないかなあと思って(もちろんそれはなかった)。

 ライブコンサートの音声という「音楽」は、それが仮に音楽とはほどとおいMCであったとしても、「響き」という意味では同じ。同じかそれ以上の価値がある。つまり、会場でいかにして響くか?が大切なのであって、そこに至るまでの過程(例えば、生演奏なのか、CD等の音源の再生なのか、はたまたDTMなどの合成音なのか)は、まったくの同列扱い。もちろんこれは僕にとってという注釈付き。ぼくはそう思う人なのです。
 
 そういう意味で言えば、トレーラーのそれが僕の求めていた「響き」に近かったので、そこから耳を「生演奏」に合わせるのに時間がかかった。具体的には「dragonsong」でトレーラーの声を超える、高いキーの生の歌声にようやく出会うことができ、LIVEコンサートの醍醐味をやっと体感したのである。あ、MCの吉田直樹さんの声にも感動したよ?ああ、同じ空間で同じ空気を吸っているんだあ。みんな、LIVEでアイドルを見る時はそう思いますよね?

 あれはよかった。あれはとにかくアマンダさんののびやかな歌声が、ゲームの中で聞くそれを大きく凌駕していた。音質がいい。音の厚みがすごい。耳に迫ってくる「響き」としての甘美さがしっかり耳に届いた。そして、その力強くも物悲しいメロディラインがぼくの涙腺を刺激し、すぐに決壊した。オルシュファンが守りたかった英雄の笑顔は貴方の、貴方の犠牲のおかげで守られています。でも時々泣いてしまうけれど(それが今だ)。僕はそういう気持ちになった。そういう意味では、前半の新生編はほとんど心に響かなかった。もっとやったことない曲が聞きたかったかも。同じ理由で紅蓮変もほとんど何も感じなかった。クガネの曲か、ドマの街の曲が聞きたかったなあ(FF6のカイエンの曲ね)。

 後半は漆黒のOP曲でしびれた。トレーラーのときに同じ曲を聞いて、自分の好きな悠久の風が入っていることも含めて、すでに「体感済」なのにである。つまり、ボーカルのジェイソンさんの声がとんでもなく、哀愁を帯びた、力強く透き通った男性ボーカルだったので、僕の耳が未体験の響きに打ち震えたのである。あれは本当によかった。だが、その後の戦闘曲「to the edge」はそれを超えることはなかった。あと、その後の「tomorrow and tomorrow」とか「Your Anser」はまたしても、僕の未体験の「響き」により、またしても僕の涙腺を大きく刺激してとんでもないことになった。
 
 このコンサートで一番楽しみにしていた「響き」は、「Close in the Distance」である。僕はこれを聞きに来た。だが、その冒頭。違和感があった。ギターのリード音がない。いや、あったかもしれない。でもぼくはわからなかった。そのため、そのギターの音に合わせて歌い出すはずのあの「響き」を感じ取ることができなかった。そして、それはそのまま「違和感」となってぼくに「響いた」。あれ、リズム合ってる?ずれてない?そういう違和感ばかりがぼくを支配して、結局、この僕の大好きな名曲を楽しむことができなかった。あれだけ楽しみにしていたのに。ここが今回のコンサートにおける最大の残念な点だ。

 あとは、よく覚えていない。途中、祖堅さんのいつものステージ(おもしろかったです)があったけど、音を楽しみにきた僕としてはどうしても「音外し」をしている演奏はつらかった。あれはあれで、音外しという演出なのだろうが、それでも。

 つまり、僕のオーケストラコンサートは、「Close in the Distance」で終わった。その後のあらゆる演奏は、僕の耳を震わせることはなかった。もちろん、東京フィルハーモニーオーケストラの演奏は見事だった。コーラスも素晴らしい。アマンダさん、ジェイソンさんの声、素晴らしい。そこを聞くだけの価値はあった。後悔はないだろう。だが、もう一度こういったコンサートに行きたいか?と言われれば、よほどの名曲がなければ、ぼくは首を縦に振ることはないかもしれない。それは誰かの失敗や、何かの演出ミスがそうさせたわけでは決してない。さきほどの「違和感」ももしかしたら僕個人的なものかもしれない。けれども、東京まで新幹線でわざわざいくほどの「響き」や「体験」があったか?といえば、それはかなり難しい質問になる。実は2回目のコンサートをスルーした理由がここにある。

 今回は3年ぶりの開催だ。それも曉月のフィナーレを終えて初の、である。しかも、僕にとっての名曲がどんな響きをするのか聞いてみたかった。ただそれだけである。ただそれだけであるなら、わざわざ実際に足を運んで聞く必要はなかったのかもしれない。それこそ、後日リリースされるブルーレイDISCで事足りてしまうのである。費用は今回の旅費+チケット代の4分の1程度だ。それで十分にその価値にあった体験ができてしまう。

 つまり、これは、お祭りだったのだ。オーケストラコンサートに行ったことが無い人に向けた入門編としての。だから1回目で体験済のぼくとしては、2回目に価値を見出すことができなかった。1回目を超える何かがあると信じて今回は参戦したが、やはり音を楽しむという一点においては、1回でよいものである。もしこれが、FCメンバーとのオフ会を兼ねてたり、仲の良いフレとのオフ会をセッティングするなら、これほどわかりやすい目印はないのだが(僕にはその予定はないし、今後もない)。

 現に、女性の参加者はとくにコンサート後のディナーを一番の楽しみにしている人も多くいたように感じられた。つまり、コンサートはきっかけなのであり、音を楽しむ場ではないのである。いや、それ自体は全然いいことだよ。そこから始まるラブストーリーもあるわけだから。

 なんというか、音を楽しむ場であるはずのオーケストラコンサートが、それをきっかけとした、巨大なオフ会の開始の合図だったように思えた。これは運営もどこかで意識していることだと思う。プレイヤー同士が付きあったり、結婚したりすることは、これだけ少子化や晩婚化が叫ばれている現代における、わかりやすい「出会いの場」であるし、その意味を考えれば、そいう利用方法のほうがむしろ正しいとすら思える。

 そういう意味で考えると、ぼくはその目的を持っていないのであるから、オーケストラコンサートに参加する意味の半分は失われていると言っていい。だからこそ、これは、これまで体験したことが無い人がオーケストラコンサートに触れる場所であり、巨大なオフ会の会場なのである。

 最後に。オーケストラコンサートは今後も続いてほしいと思う。僕は参加しないかもしれない。よほど僕の琴線に触れる名曲が今後のパッチで生まれるようならその限りではないけど。


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