ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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考察。

考察。

別に一般論を振りかざして、知識を披露しようという、

利己的かつ自意識過剰な観点からモノを言うつもりはさらさらなく、

あくまでそういうモノ言いで書き連ねるとカッコがつくからであり、

そもそも、自分には他人に披露して誉められるほどの知識・経験はなく

あくまで創造というか、想像の産物なのであり、

結局は時間つぶしに、ちょっと哲学者ぶってみた、程度の

ちゃらちゃらした理由なので、それほど期待もしてほしくはありませんし、

ただ、ふっと思ったことを思いついたままに、徒然なるままに、

書き連ねているわけですので、書いたことは正しいといいはるつもりもなく、

ただ、一個人がなんのきなしに考えたことをまあ、記録するというか、

ログを残すって言うか、そうすることでなにが楽しいかというと、

あとで見返したときに、自分の愚考さがはっきりと見えてくるからであって、

それはもう、自虐趣味というか、ぶっちゃけ、M気質っていうか

まあ、そういう気質なもんで、でも、なぜか人から言われる前に、

自分で自分をある程度いじめておきたい、なんてそんな変な防御意思が

働いちゃうのもまあ、事実なわけでありまして、

そういった、過去の自分と、現在の自分とのせめぎあいといいますか、

今日の自分を乗り越えろ的な発想というか、

そんなところなのであまり気にしてほしくないのですが、

まあ、ある一人の人生について考えてみようということです。

人生について考える機会というのは、よっぽど意識しないことには

あまり深く考えることなんてないのが常でして、

かくいう自分も、ちょっと道外れた生き方を選択したがために、

それぞれの岐路において考えることがあったというだけで、

別にそれは深いわけでもありませんし、

何かの教訓を得ただの、何かの達観にいたっただのという

目に見えた成果があるものでもありません。

あくまで、現在進行形で悩んでいるのが現状であり、

ここで、ちょっと他人の見識を引き合いに出すと、

京都のどっかのお坊さんが言っていた言葉に

「人生とは何かを考えて悩んでいた時期があった。

しかし、考えても考えても答えは見つからず、袋小路にはまるがごとく

悩みは難解さを増すばかりだった。

しかし、ふとあるとき、悩みは尽きないのではないかという考えにいたった。

人生とは、尽きぬ悩みを思い巡らすための時間であり、

悩み続けること、それ自体が、人生なのだ」

って、結構自分の都合のいいように脚色していますので、

真に受けてもらっては困りモノですけれども

まあ、そういうことで、悩み続けることは決して悪いことではなく、

むしろ、悩まないといけないっていうか、

自分なりの答えを見つけないといけないっていうか、

答えじゃないな、自分を納得させるだけの考え方っていうか、

それを追い求めること、それを自分はなかば趣味のようにして

ときおりこうして考えにふけっているのであります。

まあ、はたから見ればかなりの根暗な人間に思われるかも知れませんが、

単に、自分の場合は、人が一度に2つのことをやれるのが普通だとすると

それが極端に不得手で、物事を考えるときはほかのことが一切できなくなる性質で

あるだけのことに思いますので、おそらく、みなさんは

僕以上にいろんな場面でいろいろ考えて、しっかり判断されていると思います。

が、残念なことに、自分は決断するのが苦手で、ついつい時間をかけすぎてしまう

傾向にあり、チャンスを逃すことはざらです。

まあ、そんなことはずいぶん前にわかりきっていたことなので、

義務教育の終了とともに、その幻想は捨てました。

自分のペースで生きていこうと思ったわけであります。

誰に迷惑をかけるわけでもない、自分の人生だから、

納得のいくペースで納得しながら人生を選択したいというのが20歳そこそこで

決めた指針でありまして、それをずうっとやっているわけです。

ま、それも今思えば、自己防衛の鎧のほかならなかったわけで、

時代、うーん、社会?は、僕の指針とか、ペースとかお構いなしに

かなりの速度で進んでいき、社会の一員ともなれば、その速度に

着いていかざるをえなくなるのはあたりまえの、自然の摂理ともいうべきことでした。

人間、ひとりで生きているんじゃない、っていう決まり文句のあれです。

他者との関係性において、自分が生かされる社会構造の中では、

個ではなく、社会とか会社とかチームとかの集合体が重視されるのです。

その運営?をいかにスムーズにこなすか、

欲を言えば、スムーズに進めつつも、自分にしかできない個性を発揮しなくてはいけない。

そこで、ようやく個というものが認められる土壌ができるわけですね。

昨今、個性個性といわれていますけれど、社会性がなくては

個性はただの自分勝手と同じです。

そのへん、誰も教えてくれないし、自分で体験してみて初めてわかることですから

もし、なんで個性を認めれくれないんだ!って怒り心頭の方がいたら

まず社会に適応してみる努力を始めてみてはいかがですか?

かくゆう、自分がそうで、今そのことを痛切に感じている身ですから

あたらずとも遠からずな答えにいずれ出会えるはずですよ。

話は戻って、悩み。

悩むことはいいんです。

ただ、ちゃんと納得できる答えが導き出されていないのに、

しょうがなく、とか、親がとか、社会がとか、お金がとか、歳だからとか、

そういう自分以外のモノの所為にして、とりあえず選択してしまうと

その後の人生は大きく狂ってしまいます。

時間がかかってもいい、悩んで悩んで悩みぬいて

ちゃんとした理由と裏づけを持って、人生を選んでほしい。

狂ったあとに、「あのときああしていれば」というのは

人生においてかなりの遅れをとってしまいます。

人生は長くもあり、短くもありますが、有限であることに代わりはありません。

いつか誰しも死を迎えます。

それまでにどこまでの高みに手が届くか。

そういうことに興味がないのであれば、何も考えずに自由に選択して

地獄にはまろうが、運よくヒットしようが、それはそれ。自業自得の法則は

どんな人生にも適応します。

まあ、成功論を言っているわけではなく、

自分に正直に生きたほうが、今は辛くとも

あとあと楽しいし、納得して人生歩んだほうが後で充実感があるんじゃないですか?

っていう単なる、ひとつの意見でして、最近感じていることだからです。

まあ、自分は別に人生の成功者でもありませんし、

恋人もいませんし、人生の果実というべきものを何一つ手にしておりません。

ただ、ひとついえるのは、自分がずいぶん前に思い描いていた、

自分が納得して選択した人生の結果が今であるなら、悪くないなと思っているだけです。

納得してやってきて、それの結果がたとえ惨憺たるものであっても、

納得できるじゃないですか、自分がそうしてきたんだから。

自業自得だから。

だから、ですよ。

納得しないで選択しちゃうと、誰々が悪いとか、親が悪いとか、時代が悪いとか

三者に責任を転嫁して、自分の責任から逃げたくなっちゃうでしょ。

それは時間の無駄ですし、自分から逃げることになってしまう。

かくゆうぼくも、長い間自分自身から逃げていましたからいうんですけど

意味なかったですね。結局、怖がっていただけ。

それで10年ぐらい無為に過ごしてしまいましたが、

それでも、今その無駄加減に嫌気がさして、今前に踏み出そうと思えたのも、

その無為に過ごした10年ですら、自分自身が納得して選んだ選択だったからです。

だから、今、前に進める。

この差は小さくないと思いますが、いかがですか。

自分は何がしたいのか。

自分とは何者なのか。

どうなりたいのか。

そこから逆算して人生を組み立てなくては、

7,80歳になってから大きな夢を持ったところで

人生の果実を味わう時間があまりにも短すぎます。

成功するための努力や苦労を惜しんじゃいけないんです。

苦労は買ってでもしろ、っていうあれです。

若いうちは体力も気力も十分だから、ちょっとやそっとのミスなら

いいんです。まだ、次がいくらでもある。

そのときに自分の「サイズ」を知っておくことは

無益ではなく、いやめちゃくちゃ有益だと思います。

自分は神でもなければ、スーパーマンでもないですからね。

せいぜいひとつの特技が与えられてやっとのショボイ存在ですよ。

それを極めるだけでも人生は短いって言うのに

あーもう、じれったい。

とにかく、夢や将来について語る前に、

自分自身とは何かを考えてみて、そこから逃げないでほしいです。

自分のサイズを測ってほしいです。

答えは外にはない、内にしかない。

答えは心の中にこそある。

外はあくまでアドバイスやきっかけしか与えてくれませんよ。

外に期待しすぎてはいけない。

自分をみつめる、っていう陳腐で使い古された言葉の

なんと重要なことか。

とにかく人生に悩みはつきもんなんだから、

その悩みは悩みで悩み続けておいて、

それと同時に自分自身の身体測定を続けてほしいんです。

って、正面きって言ってやりたいーーーーーーーーー!!!

はあ、はあ、はあ……。

最近、会社で知り合った同年の女の子のことなんですけどね。

ちょっと前の自分を観ているようで、

じれったくてしゃーなくて。

なんとかその殻?を破って差し上げたいのだが

なかなか自意識?もしくはマイワールドの殻を破りたがらない。

自分もかなり意固地になっていたから

すぐには破りたくないんだろうけど、

でも、殻を破った自分からすると

今のほうが断然いいわけなんですよね。

人間は、心にいろんな鎧を着ている。

発することばひとつにしても、

その言葉の裏には、真意が隠れている。

言葉の裏を読まなくては…って、

厄介なのは確かなのですが、

ファイナルファンタジーのセシルのようで、

暗黒騎士の自分に勝つ!みたいな命題が

与えられたみたいで、楽しかったり…。

ちょい、他人を使って自分の成長を図る自分の

腹黒さに……orz

まあ、その子にひとこというなら、

ちょっと立ち止まってみたら?

何かが見えてくるかもよ。

って感じですかねえ。

だって、暇が怖くて予定を埋めてる

みたいな生き方してるんだもん。

それでは。