ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

斜めにだって歩けます―ついに発売『FF』ピクセルリマスター!その実態に迫るとくれせんたぼーび【特集】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト



ピクセルリマスターという新ジャンル。しかし

 

ついにファイナルファンタジーの過去作をドットで再現した「ファイナルファンタジーピクセルリマスター」が各種アプリサイトから発売された。発売されたのだが、どうも買う気になれないのはわたしだけだろうか。ファイナルファンタジーの初期の作品は好きだ。特にファミコン時代のファイナルファンタジーは神と言っていい。素晴らしい作品群だ。システムが完璧で、ストーリーもばっちり。そして音楽も見事だ。それを、ドットで味付けを統一してリメイクするというプロジェクトである。この事についてファンとして真面目に検討したい。まずはそのピクセルリマスターというコンセプトの是非についてだ。ピクセルリマスターとは何か。ファミコン当時の世界観を残しつつ、ドットで再現され世界観という認識であっているだろうか。おそらく間違いはないだろう。まずこのドットで再現された、という点だが、はっきり言って何が違うのか説明に苦しい。過去のリメイク作もドットだったからだ。特に1と2はそうだろう。3を3Dリメイクと呼ぶらしいが、まあそれはよい。ファミコン時代のファイナルファンタジーをなぜ再度作り直す必要があったのか?少なくとも1、2にはその必要はなかったはずである。強いて言うなら5、6も要らないだろう。3、4はその意義は大きいことは分かる。あのリメイクはたしかに微妙だった。オープニングムービーを追加したという点だけしか利点がなかった(辛口すみません)。ファミコン時代のファイナルファンタジーをDSでプレイできるという点にメリットが集中していたといっていいくらいである。そして今回はファイナルファンタジー3が買いという風潮がある。確かにそうなのだが、私達当時のファンからすると、あらためてファイナルファンタジー3をプレイする理由はなんだろう?当時のプレイフィールを求めて、だろうか。当時の空気感に浸りたいユーザは少なくない。なぜなら最新のゲームはあまりにも美麗で、そして操作が難解だからである。つまり当時のファンのある一定数は最新のファイナルファンタジーについて行くだけのスキルを持ち合わせていない。それが7リメイクのときに盛んに言われていた問題だ。クラッシックモードと呼ばれるそれはやはり往年のユーザが操作に難色を示していることを如実に表している。そういう意味では、このピクセルリマスターは必然のように見える。少なくとも過去の作品に触れてきたライトユーザーには響きそうである。最近のゲームはよくわからない。ソシャゲもなんだかハマらないという中高年には打って付けだろう。事実、それなりには売れているようだ。そして、海外のプレーヤーにもその魅力を再発見させることにも、ある一定の成功を収めている。ならばなにがわたしは不満なのか? 端的に言えば、当時の空気感を大切にするならば、やって欲しくないことがあるからである。それは大きくわけて3つある。まず1つ目、これはわりと許容できることではあるのだが、それは音楽のリマスターである。当時の音源をそのまま使ってくれなければ意味が無いのだ。あのえ8bitサウンドを再現してもらわなければ、ノスタルジーに浸ることは難しい。そして2つ目。これは感覚的な話になるのだが、今回のピクセルリマスターは、ドットが売りとなっているが、当時のドットをそのまま使っていない。ドットすら現代風にリマスターしている。それが……嫌なのだ。本家による正式なリマスターにも関わらず、なぜか漂う偽物感。リマスターされた画面から感じられるのはコレジャナイ感であった……。やれば楽しいと思いたい……。そして最後の3つ目。これが一番許せないのだが、魔法や敵ビジュアル、そして各種エフェクトを現代風にアレンジしているところだ。そんなことで?と思われるかもしれない。だが、思い出してほしい。このゲームのメインターゲットは誰か?当時の思い出に浸りたいユーザではなかったか。そうなると現代風アレンジは余計である。蛇足と言っていい。そんなもの、誰も求めていないのである。ただし、これがノスタルジーを喚起させることを目的にしたゲームデザインでないとしたらどうだろう。つまり、ノスタルジーに浸りたい層をメインターゲットにしていないという可能性である。それは何か?それこそが、海外ユーザである。7リメイクで改めてファイナルファンタジーに注目があつまるなか、次の続編もまだまだ先。頼みのFF16は早くても来年の冬だ。そんな中、あらためて過去作に触れてもらおうという場繋ぎ的なコンテンツだとしたら?つまり、ファイナルファンタジーは知っていたけどファミコン時代のソフトは触れたことがないという層である。それは?主にファイナルファンタジー7で初めてファイナルファンタジーに触れた海外勢である。そう考えるとツジツマが合う。つまり、そういうことなのだ。メインターゲットは海外勢。日本の往年のファンはメインターゲットではない。過去作のリメイクに興味ある人はどうぞというスタンスである。悲しいが、このリマスターは私たち往年のファンに100%向いていない。本当に。それは、ある意味で悲しいことだが。そろそろ結論。わたしはファイナルファンタジー3が好きだ。5も最高だったが、やはり3は別格と言っていい。だからこそ、今回のリマスターにどのように向き合うべきか真剣に考えたわけだが、残念ながら現時点でわたしとリマスターとの接点を見出すことは難しいと言わざるを得ない。もしかすると、その往年のファンに100%向き合っているのは数あるファイナルファンタジー作品の中で、ファイナルファンタジー14だけかもしれない。過去作へのオマージュ、BGMの効果的な再利用。キャラクターの再登場。これらは全て過去を知る往年のユーザ(私たち)に向いている。だからこそ、今回のピクセルリマスターにわたしは心の底から期待することは叶わないのである。あなたはどう思う?

 

それじゃあまたね(´▽`)ノ(了)


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グーグル銀行がコンビニ銀行を脅かしかねない訳 | 野口悠紀雄「経済最前線の先を見る」 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース



Googleが銀行業に参入することの変化

難しいことはよくわからない。詳しいことは専門家に任せるとして、わたしはこの記事から次のことを学んだ。Google等の巨大IT企業が金融に参入することは、銀行を淘汰するのではない。彼らが進めているのは銀行との協業である。つまり銀行と手と手を取り合い、あらゆるサービスの効率化を図るものだ。その2社が目指すもの。それはスマホで送金ができるサービスの構築であり、送金等にかかる銀行間の手数料の減額ないし無料化であるということだ。それは何を意味するのかこの記事を見るまでよく分かっていなかった。しかし、それはハッキリしたらしい。どうやらそれは銀行のなかでも、銀行ATMで収益を上げている銀行に限定される。つまり、イオン銀行セブン銀行ローソン銀行等の全国のコンビニATMを運営する銀行がそれにあたる。それらはATMの手数料で成り立つ銀行だ。Googleの金融参入によりもしもATMを使う人が激減することがあれば、これらのビジネスモデルは崩壊する。つまり、コンビニ銀行は大打撃となる……ということらしい。そうすると今回の参入で困りそうなのは一般の銀行ではなく、コンビニ銀行だけになるかもしれない。イオン銀行セブン銀行と聞けば、銀行の中でも特に売上の好調だった2社らしい。だがそのどちらも今後の成長期が望めないのなら、最近のイオンの没落ぶりを目の当たりにしている地方住みのわたしからすると目も当てられない状況が容易に想像できる。さらにセブンイレブンについてもコンビニの中では勢いはあるものの、一昨年のセブンpayの大失敗からこちら大きな新サービスを軌道に乗せることは出来ていないように見受けられる。簡単に言えばジリ貧のような体裁だ。次の打つ手がない。ローソンやファミリーマートに関してはもはや同じコンビニ業とはいえあまりにも大きな差をつけられているようにも感じられる。つまりデパートやスーパーの凋落と同じように泥舟に乗ったコンビニ業界と、それに同じく同席するコンビニ銀行業界がどんな風に沈んでしまうのだろう。どこかで起死回生!をするのだろうか。これだけキャッシュレス、スマート決済が定番化する中、この分野を総取りする企業は分かりやすく巨大IT企業たちとなりそうである。それは一見日本企業が世界の企業に負けないように予め日本にも同じ土俵を整備したように見える政府の見え方が一変する。つまり、海外企業の付け入る隙を与えたのである。同じ土俵に上がれば、資本力で海外企業に勝てるわけなどあるまい。つまり、海外企業が日本を席巻するためのお膳立てという見立てだ。別に政治家を責めるつもりはないが、どうしたって中途半端に規制緩和したり、海外のルールに従うような政策は、日本企業を育てるというよりもむしろわかりやすく弱体化させ、転落させる。そこに潤沢な資本力を持つ海外企業が参入しやすい土壌を整備しておき、あとはまるで爆撃機の絨毯爆撃のように日本を焼け野原にしていくのだ。悲観論を言って尊皇攘夷を述べている訳では無いが、あまりにもわかりやすく滑稽な状況に、わたしたち日本人はなすすべもなく、このまま海外企業に飲み込まれていく選択肢しか、いまのところはない。それは悲観論でもなければ、願望でもない、ただの事実として私たちに訪れる近い未来のようである。便利だからGoogle使おう〜!とはもはや言いたくないし言うべきではないのだと、わたしたち日本人はそろそろ気づくべきだ。

 

それじゃぁまたね(了)


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『ファンタジアン』植松伸夫氏ロングインタビュー。ゲーム音楽を作ること、音楽への想い、そして“これから”の話にまで展開したファン必読のテキストをお届け!【サウンドトラック先行配信記念】(ファミ通.com) - Yahoo!ニュース



ぼくが植松伸夫先生を愛してやまない理由。

AppleMusicに音源がリリースされたと聞き、早速聴きながらこのブログを書いている。わたしが植松伸夫先生を知った(認識した)のは、ファイナルファンタジー3だった。その後、4、5と彼の作る瑞々しい音楽に打ちのめされ、音楽を聴くためにゲームを起動することもよくした。あの頃、ドラゴンクエストの音楽と、ファイナルファンタジーの音楽はそれぞれとんでもなくエッジが立っていて、ゲームの中だけで考えるにはあまりにも「はみ出していた」。わたしは子どもの頃から音楽が好きになれるかどうかはゲームを好きになれるかどうかとほぼ一致していたし、好きな音楽があるか?という期待感はわたしを新作FFに駆り立てたのである。もちろんドラゴンクエストもまた同じであった。他には?ロックマンコナミの和風BGM、任天堂のマリオ系だろう。ゲームをやるためのモチベーションに音楽はかなりの部分担っていた。わたしが植松伸夫先生を愛してやまない理由だが、大きくわけて3つある。ひとつはインタビューでも言っていたが彼の引き出しの豊富さだ。あらゆるジャンルの音楽を、植松伸夫というフィルタを通して噛み砕いてもらえる。それは植松伸夫という敏腕シェフのいるレストランののうに安心感があった。だから安心して耳を傾けられたし、期待を上回る何かを期待してきたのである。当時子どもだった私は音楽と接する機会が少なく、それこそ映画館のジブリ作品かゲームくらいだった。だから冒険心をくすぐる植松伸夫先生の愛すべき音楽はわたしの求める音にドンピシャであった。そしてファンタジアンである。ファンタジアンはとても素晴らしいゲームだと断言できる。それだけのクオリティを備えている。しかし、何かが足らず、わたしはもうプレイしていない。それはなにか。ふたつある。ひとつは単純にわたしがオフゲーをやれるだけの時間や情熱がないこと。もうひとつはiPhoneというデバイスとテレビとの相性の悪さが際立った点だろう。後者は大人の事情がかなりありそうではあるのでどうしようもないのだが、あれだけAppleが革新性を持って世界を席巻したのは、テレビを駆逐できるデバイスを世に生み出したからである。だが、我々が求めているゲーム環境というのはどうしてもテレビとセットである。または、パソコンである。そのどちらとも親和性のないApplearcadeでは、もはや、期待するだけ無駄だ(MacBookでは出来るのかもしれないけど残念ながらわたしは持っていない)。つまり、ゲームとして完成度が高いことは認めるがゲーム環境としてはけして良いとは言えないのである。月額課金というスタイルもまた奇抜である。過去の名作を定額で、なら話は分かるが、新作を定額でという考えはいささかまだ時代が追いついていないと言わざるを得ない。前者についても同じでわたしは人間である。人間であれば歳をとるのだ。他人とのコミュニケーションの場としてゲームを再定義している私にとって今更オフゲーをやる理由など皆無に等しい。いまのエオルゼアのようにやることが無さすぎて別ゲーに手を出すようなことでもなければ長続きはしまい。事実モチベーションを保てなかった。なので、ここで提案なのだが、植松伸夫先生の生み出す音楽を、かつての子どもだった私たちに100%届けるにはもはやゲームだと弱い。せめてドラマか、アニメ、もしくはあのジブリのような映画にして欲しい。それくらいのポテンシャルがある。このファンタジアンにはある。かつての子どもだったわたしたちに送るファンタジー冒険活劇としての劇場版としてこの作品を世に出して欲しい。その際の曲として、これら珠玉の名曲は十分に機能するだろう。ゲームの中だけで聞くにはもったいなすぎるほどに、「はみ出している」。これは植松伸夫先生が無類の音楽好きであることが雄弁に物語っている。ゲームのストーリーパートを映画という形に再構築して音楽を生かしてはもらえないだろうか。Appleの専売特許にしたい気持ちは痛いほどわかるが、この作品はそんな小さな会社のエゴに収まる作品ではなさそうである。おほん。植松伸夫先生を愛してやまない理由。2つ目。それは植松伸夫先生が音楽を好きだということが伝わってくるところだ。つまり、音楽に対する愛が伝わるところ。それが魅力である。音楽に対する愛のかけ方には2通りある。ひとつは自己表現として使える道具としての愛着。もう1つは音楽が与える無限の可能性に対する尊敬の念。植松伸夫先生の愛は圧倒的に後者である。わたしが音楽に期待するところもまさに同じだ。音楽が、メロディが、和音が、聞き手に与える感動という波を操作するその様はまるで魔法のようであるかのように美しく、そして可憐に舞う。その見事なメッセージに気づいた時。私たち受けては涙するのだ。この曲に出会えて本当に良かった、と。歌詞のある曲はメッセージを、文字に載せられるが、ゲーム音楽は歌詞がないことの方が多い。そのサウンドに込められた愛、恋、喜び、悲しみ、それらを汲み取るとき。まるでそれまで気に求めていなかった異性からのラブレターを受け取って恋に落ちるかのようなドキドキがある。この音は私に何を伝えたいのか?それを探ることは物語の行間を読むことに等しい。それができるのは世界はひろしといえど植松伸夫先生を超える人はまずいないだろう。そのくらい、音楽に物語性を盛り込んでくるのだ、植松伸夫先生という人は。植松伸夫先生を愛してやまない理由。3つ目。最後のひとつはずばり、植松伸夫先生の人柄だと思う。彼の可愛らしさ、彼の人間ぽさ。坂口博信さんに簡単に口説かれる人の良さ(笑)。そのどれをとっても可愛い。可愛いがすぎる。その可愛さを求めてわたしはこうして彼の生みだした音楽を聴くのだ。今回はわたしが植松伸夫先生を愛してやまない理由を説明した。全ての曲を好きなわけではない。だが必ずと言っていいほど、1曲は好きになる曲がある。1曲じゃないことの方が多い。それはその作品のテーマとなる曲である。今回のファンタジアンで言えばやはり、「キーナ」である。あれは本当に名曲だ。このゲームはまだ完結していないようだが、やはり1ファンとしてはしっかりプレイしたい。それにはまず、Appleさん。専売特許を辞めていただきたい。プレイステーション、ないし、NintendoSwitchにて再リリースしてほしい。そうすればわたしは必ずやるだろう。どんなに時間が無くとも、コミュニケーションにならなくても。あ、でも。今回AppleMusicに全曲出してくれたのは良かったね。Appleらしい戦略だと思います。AppleMusicユーザーとして全面的に支持します!植松伸夫先生のコンサートで先生に直接話しかけちゃったわたし。うふふ。しかもタッチしちゃった。あれはわたしの最高の思い出です。FF14のオケコンでも会えたし♡ 植松伸夫先生の博物館を建てましょう?

 

それじゃぁまたね(了)


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「スポティファイを作ったのはアーティストのためではない」元幹部が発言(BUSINESS INSIDER JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

誤解を招く言い方である。

アーティストのためではないとは何事か。言い換えると、アーティストにお金を払うためにあるのではないとも取れる。それは大問題だ。なぜならSpotifyは音楽を誰よりも愛し、素晴らしい音楽を作るアーティストを応援するために運営していると自社のCMで明言しているからだ。つまり、応援はするけどお金は払いたくないということになる。応援はアーティストの音楽を宣伝することであり、人々の耳に触れさせることである。それが巡り巡ってアーティストの認知度を高め、アーティストを応援することになる。Spotifyが目指すのは応援であり、金銭提供ではないという。有料サービスであるAppleMusicと比べると1再生で0.01ドル支払われるのに対し、Spotifyは250再生してやっと1ドルらしい。単純に1再生あたり0.004ドルだ。Spotifyが無料サービスであることを考えてもかなり安い。お金が好循環しないサービスはサステナブルなのか。そもそもSpotifyは儲ける気がないのか。たしかにSpotifyには広告がほとんどない。あるのは自社の有料サービスへの誘導だけ。サブスクリプションサービスは乱立している。ほかのサービスと差別化を図りユーザーを囲い込むことでサービスの継続を促すことが必要だ。だが、その差別化の中でアーティストの利益が損なわれているのであれば、アーティストのためでないのであれば、何のためのSpotifyだろう。聞く人のため。会社が儲けるため。そのために楽曲を提供するアーティストはひもじくても良い?三方よしでないサービスを今後も続けていくことは出来るのだろうか。この記事の意図するところはなんだろう。下げ記事といえばそうかもしれない。しかし、ひとりのSpotifyユーザーとしてちょっと残念。朝によく聴く人なので余計だ。……昔の話をしよう。昔、音楽がiTunesで販売されるようになり始めた頃、世の中では音源の無断アップロードが蔓延り、CDが売れなくなった。あまり大きい声で言えないが借りたCDを空のCDに焼けば買う必要は無い。そんなふうにCDはどんどん売れなくなった。Winnyというファイル交換ソフトも摘発された。そんなとき、わたしはアーティストを応援するつもりでCDアルバムを買った。なるべくたくさん買うように務めた。アーティストを応援することは突き詰めればお金を払うことである。わたしはそう思っていた。その気持ちに今も変わりはない。たしかに当時よりは払うお金は減ってしまった。CDも買わなくなった。CDプレーヤーすら今の私の家には存在しない。すべてAppleMusicに取って代わった。AppleMusicは月額制の有料サービスだ。だから例え1再生0.01ドルでもアーティストに入るのであればわたしは繰り返し繰り返し再生してアーティストにお金を払おう。もっともっとたくさん聴きたいから。アーティストにお金が回ればもっと新曲を聞くことができる。そうやって巡り巡ってわたしの好きなものが生きていける。そんな世界こそわたしのすきをすきと言える世界だ。最近、パラリンピックのテーマソングの件で小山田圭吾さんが槍玉に上がっている。実はわたし、彼の大ファンだ。いや、だった。学生の頃に聞き狂った1人である。それは、現実に対するカウンターパンチのような、現実を打破するような力を当時の楽曲からもらったのである。そこに、小山田圭吾さんはたくさんの力を注いでいた。たしかに褒められた人格ではない。そもそも人格者ではない。アナーキーな人だ。アナーキーであればなんでもやっていいという訳でもない。過去のやんちゃを暴露され、そのことについて謝罪することは当然だろう。それでいい。彼もいい大人になったのだ。自らの矜恃を守るよりもっと大切なものを守ったのだ。わたしは彼は辞退してもいいのでは……と思った。昔の彼ならなんの迷いもなくそうしたに違いない。だが現時点ではそうしていない。それをしたということは、もう音楽で勝負するしかない。万人の琴線に触れる音楽を作ってきた人ではない小山田圭吾さん。人選ミスだろう。デザインあの曲もかなり危ういバランスで成り立っていた。ファンタズマのあの作り物のデザイン性の上に成り立っている。その後のdropの延長にある。確かにそれはひとつの方向性だった。彼の中にある音をシンプルに鳴らした結果だった。だが同時にそれはかなり利己的でポピュラリティからはかけ離れていた。その後、彼はずっとひとりで自分の中にある音を時折鳴らす人になった。そんな人にデザインあはスポットライトを当てた。ただそれだけだ。彼は変わろうとしない人だ。その彼が今回の件で少し「変わった」のかもしれない。攻殻機動隊ARISEの楽曲も、わたしは聴いていない。今回はどうだろう。おそらくスターフルーツサーフライダーのような楽曲だろう。デザインあのような物だろう。当たり障りのない空気のような音楽に違いない。わたしはそれが寂しくもあり、切なくなるのだ。どっちに転んでも、今の世の中は、彼のような歪なキャラクターを、空気を読めない人を、徹底的に排除する。わたしも弾かれるひとりだ。だからひっそりと目立たないように過ごしてきた。こうしてブログやTwitterでもわたしの意見を広めようとは思っていない。むしろ私の本心などどれぐらい発信しただろう。人と違うことを忌み嫌う世の中でありつつ、心の底では個性を求めているいまの時代。僻み、つらみ、妬み、そんな負の感情に流されず、人それぞれがそのまま生きられる時代になってほしいと切に願う。

 

それじゃあまたね(了)


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海外で『ファイナルファンタジーXIV』DL版の販売が一時停止に 現在は販売再開するも、その原因は爆発的な人気拡大か



エンドウォーカーは、人気作となる。

つい先日、14時間生放送が行われたファイナルファンタジー14。その世界に人気ゲーム配信者が登場するというニュースをきっかけにSteam版のアクセス数が急速に増加した。その結果、過去最大の同時接続数を記録。主に海外勢からの人気が高いことを裏付ける結果となったファイナルファンタジー14。生放送でもひろゆき氏が触れていたが、なぜこうも海外ファンの興味を引き付けて離さないのかという疑問がある。番組内ではよしPのトークを絶妙な英語に英訳するゴージの存在がひとつではないかと言われた。もちろんそれもあるが私個人的には海外ファンを強く意識したゲーム作りが根底にあるのではないかと思っている。それはかつてよしPが愛したWoWを下敷きにしているということもあるだろうが、それ以上にエオルゼアを形作る世界観の秀逸さにあると思う。システム面の完成度は1ブレーヤーであるよしPが担っているが、世界設定の織田万里氏による綿密な世界設定がとにかく素晴らしい。そしてそれをベースに紡がれる、ナツコイシカワ氏による一見するとさして派手さはないもののその下に隠された情熱が烈火のごとく燃え盛るような感情的なストーリーテリングによるところが大きいと思う。もちろん、祖堅正慶氏によるサウンドもどこか海外ドラマを見ているような重厚感とヒリヒリとしたリアリティがあり、まるで荒廃した世界をひとり歩くようなワイルドさに満ちている。私がここで敢えて言うまでもないことではあるが、やはりここまでファイナルファンタジー14が世界中から求められ、人々を魅了し続けるのには何か理由がある。それは何か。沢山あるがもっともその理由のひとつにあるのが、吉田直樹氏という人にあると思う。それは才能あるスタッフを集めひとつのチームにまとめあげる辣腕だ。そのことに置いては日本一、いや世界一のリーダーシップを発揮していると言っても過言でないだろう。そして、誰よりもファン心理を理解している。また、同時に彼の中に確固たる自信に裏付けられた情報公開における絶妙なタイミングの取り方にもその魅力を見つけることができる。この点における見事なエンターテインメント性は、他の業態へも影響を与えていると思えてならない。そのうちの一つが、今日、YouTubeで放送された鬼滅の刃である。かの作品における情報公開のタイミングの秀逸さ、その情報提供すらエンターテインメントにしてしまう段取りの良さ。そして、各種グッズの購買意欲向上への動線。そして第2期への期待感の創出。どれをとっても素晴らしいものがあった。鬼滅の刃の運営と、ファイナルファンタジー14の運営の秀逸さを同一に語るのはあまりにも変に思われるかもしれない。しかし、共に日本中で大ヒットを記録し、そのまま世界規模のヒットへと広がっているという意味において、その2つのIPに、共通項を見出すことはさほど難しくはないだろう。日本国内で売れたものがそのまま世界で売れるというわけでは決してない現代おいて、そのふたつの作品はアニメとゲームというジャンルこそ違えど、その中に内包される日本のエンターテインメントという意味においては同一と呼べるものだ。そのエンターテインメント性をNintendoが世界中で売りまくっている「あつまれどうぶつの森」にも同じく見つけることが出来るかもしれない。しかし、エモーショナルか?という点において、鬼滅の刃ファイナルファンタジー14に勝るものはないだろう。それは情報の扱い方、ファン心理を巧みにつくプロモーション展開に見て取れる。全世代かつライトからヘビーユーザーまてあまねくファン層を獲得したのはあつまれどうぶつの森の方であるが、一方の鬼滅の刃ファイナルファンタジー14というコンテンツは圧倒的に大人に刺さる作品群と言えるだろう。日本のコンテンツが好きで常に新しい刺激を求める大人ファンの要望に応える大人の作品であるという意味ではこの2作こそがTOP OF TOPであると言えそうだ。14時間生放送で、よしPこと吉田直樹氏が言っていて非常に印象的だった言葉がある。それは、MMORPGに初めて触れる人こそファイナルファンタジー14のメインターゲットである。ということだ。それはまさにわたしであり、多くのユーザーが初心者から始めるということからも容易に想像がつく。つまり、今回のSteam版の騒動のように、いざ、人気のプロプレーヤーが参入した時に、ユーザーフレンドリーであることが重要なのだ。月額課金すらLv60まで無料である。つまり、始めるのにお金の心配は皆無だ。そして、あらゆるヘルプ機能が施され、MMORPG未経験者であってもエオルゼアに降り立つ際の不安要素は皆無に等しいのである。かつてゲームは、プレイしようとすれば、ハードを買ってさらに、ソフトを買わなければならなかった。しかしインターネットの普及によってそれは必ずしも必要条件ではない。そこにSteamという仕組みが設けられありとあらゆるソフトがそこにラインナップされている。ゲームに適したパソコンと、それなりに快適なインターネットさえあれば、誰でも直ぐにプレイすることが出来る環境作り。それこそがファイナルファンタジー14を手がける吉田直樹氏が重視する要素だろう。鬼滅の刃もまた、どのストリーミングサービスでも視聴ができるように間口を広げたことが今日(こんにち)の大ヒットに繋がっている。いまやヒットは良質な作品だけで作られるものではなく、そこに至る道筋をいかにデザインするか?が求められることを明確に教えてくれていると私は思う。ダウンロード不可になるほど殺到したことは確かに嬉しい悲鳴であるが、おそらくはたくさんのサーバーを追加してさらなるユーザーの増加に備えているに違いない。なにしろ、もう次の山場は予告されているのだ。それこそが、今年の11月に来る最新パッチの暁月のフィナーレ。もはや暁月のフィナーレは大ヒットとなることを約束された人気作と言える道が見える。ファイナルファンタジー14暁月のフィナーレとはそういう計算がすでにし尽くされた、ある意味で恐ろしい作品なのである。

 

それじゃぁまたね(了)


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シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線 - インタビュー : Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA



シティポッブはあの頃の恋心だ。

わたしは音楽の中で好きなジャンルをふたつ上げよ、と言われれば、間違いなく上げるものに、渋谷系とシティポッブがある。その2つがどこかで交わっていていることに気づいた時はかなり興奮を隠せなかった。あれは、確かピチカート・ファイヴを聞いていくうちに昭和の音源に向かっていく中で気づいて言った事実だった。強いて言うなら、フリッパーズ・ギターからは主にイギリスやフランスなどの良質ポップを知り、ピチカート・ファイヴからは日本の和物を再発見するきっかけとなった。そしてオリジナル・ラブもまたその片鱗を感じさせた。そこから、はっぴいえんど山下達郎竹内まりや杉山清貴などに触れて言った。その頃私はサニーデイ・サービスが流行っていた頃だったのですんなりと入り込めたように思う。その頃感じていたのはまさに、のちの「レアグルーヴ」だった。私だけが理解出来るレアなグルーヴ。レアな魅力。レアな音源、ではない。有名な曲だ。しかしそこの中に魅力を見いだしてその良さを噛み締めることの出来る感性を追求していくそのさまはまさに自分探しそのものであった。あの頃の私は「なぜ他人がいいと呼ぶものをわたしは良いと思えないのか」という疑問にひどく囚われていた。メインストリームを否定する気持ちもなくはなかったけれど、それよりも深い世界がここにはあるのに、なぜ浅い世界で満足しないといけないのか?という疑問だ。子供用プールで遊べと言われているような物足りなさがメインストリームのサウンドにはあったし、私の好きな渋谷系やシティポッブと呼ばれる分野にはわたしの好奇心を刺激する訳の分からないディープな世界が広がっていた。まさにそれはわたしが愛してやまないエオルゼアの世界に終わりがないこととと似ている。エオルゼアで出会うレアグルーヴを求めてわたしは今日もエオルゼアを旅するのだ。それは言い換えればかつての渋谷系やシティポッブに求めていた刺激と同じものである。知らないからこそ知りたい。知らないからこそ興奮する。そんな相反するようなミステリアスな世界が、渋谷系やシティポッブにはあるのだ。あれから数十年。ダフト・パンクらに見出された80年代風のサウンドはいつしか和物レアグルーヴを発見した。それがこの記事にあるようなプラスチックラブなどである。そこには高度成長期に湧く日本の特有の高揚感、ゴージャス感があり、その中にはヨーロッパやアメリカへの強いあこがれがある。それが滲んでいるので、海外の人達は満足するのだ。つまり、「かつての我々の文化は優れていたのだ」と。それを懐かしむ思う気持ち。自分たちの文化がを認めたい気持ちと、レアグルーヴならではのミステリアスな魅力が合わさってリバイバルをしたのだとわたしは理解している。そこに日本のアニメが加わっている。日本の80年台のアニメの主題歌のクオリティにノックアウトされるのだ。シティハンターときめきトゥナイト、……枚挙に遑がない。私もまさにその年代のアニメにノスタルジーを禁じ得ないひとりだ。だからこそ海外の人達が和物レアグルーヴに高揚感を感じる気持ちは痛いほどわかる。分かりすぎる。だからこそ心の乾きを潤わせてくれるオリエンタルな響きがそこにあるのだ。それは欧米の輝かしいあの頃の文化の反響音のような遺産である。日本人の感性がすごいとか、日本の和物が世界一だなどおは決して言うまい。強いて言うならコレクター気質の恐ろしさだろう。つまり、オタク文化である。日本に素晴らしい所があるとすればまさにこの部分にこそある。シティポッブがリバイバルされる度に、わたしはせつない気持ちになる。あの頃は楽しかった……そんなふうに懐古趣味に浸りたい自分がいるのとも認めよう。だが、過去の話に浸って楽しい時間を過ごしたところで、明るい未来が来る訳では無い。どんなに辛くとも、どんなに乾いていようと、殺伐とした未来を見つめる中でこそ、わたしは次の世界を渡っていけると信じている。そんな戦いの日々に疲れた時。私の心を癒してくれるオンガク。それこそが、和物レアグルーヴの役目なのだ。もう一度言う。渋谷系とシティポッブは和物レアグルーヴの宝庫であり、世界が忘れてしまった愛に溢れたあの頃の記憶の外部記憶装置だ。

 

それじゃぁまたね(了)


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ひろゆきが教えるシンプルな成功法則「自分が勝てるところで勝負しましょう」(ひろゆき) | マネー現代 | 講談社(1/3)



勝てる分野がそもそもわからない。

勝てる分野で勝負せよ。とはよく聞く言葉だ。だが、それは何か?わかる人は多くはない。むしろ、少ないだろう。この部分に切り込んでみたい。わたしの勝てる分野は何か。自分なりの感覚を持ち、直感で最適解を得られる力?いやいや、直感で最適解ではないものを選んだとき、そのあとすぐにそのことに気づいて修正できる修正力だろう。危機を危機として認識し、そのままにしないで改善策を打てるところだと思う。問題を避けたり、問題が起きないように取り計らうことはできない。しかし問題が起きてからそれをどうすれば解決出来るかという点についてその最適解を選び取り、即実行できるという行動力かもしれない。だが、冒頭にもあったように、これがわたしの勝てる分野かどうかが重要である。わたしはこう見えてアラフォーであるが、アラフォーの周りの人間よりは柔軟な発想が出来るという自信がある。成功体験や自分なりの方法論に縛られがちなアラフォー世代において、わたしはあらゆる方法論を試すことが出来る柔軟性を持っている。その分野でなら勝てる。つまり、ひとところに留まることなく、あらゆる可能性を否定せずに出来ることからトライしていく。スピーディよりも、ゆっくりながらも的確に最適解を選びとる勇気。それを強みと言いたい。逆に苦手なものもハッキリしている。細かい作業全般だ。だが、この弱点についてはすでに克服している。スケジュールを書き出して、一つ一つこなしていけばいい。時間はかかるかもしれないが、焦って失敗するよりは全然マシである。つまり、失敗を恐れずに失敗できるところ。そして、失敗から学んで成功まで諦めないところ。それが私の強みである。成功者は誰よりも失敗した人であるとは誰の言葉だったかしら。営業という仕事もしかり。成績のいい営業は、誰よりもNOをたくさんもらう人である。営業はNOをもらうことを恐れてはいけない。NOをもらうことから始まるからだ。であるならば、諦めなければいい。諦めなければ夢は叶うという成功者の言葉がもっとも分かりやすく発揮される仕事。それが、営業である。営業にもいろんなスタンス、いろんなチーム体制があると思う。しかし、もっとも必要な要素は諦めずにアタックする精神力であり、バイタリティである。断られても断られても諦めずあと1件、あと1時間と面談、電話を重ねる。その先にある理想のクライアントとの出会いを夢見て。クライアントの夢を実現できると信じて。勝てる分野が私にあるとすればまさにここだ。諦めずに現状を楽しめるところ。無理せず自分らしく居られるところ。へこたれないタフさ。年齢に関係なく接することの出来るフラットな性格。つまり、わたしがすべきなのは、私自身を常にフラットに保つことである。それさえ出来ればあとは時間が解決してくれる。そのシンプルさこそがわたしであり、わたしの強みだ。私が全ての問題や課題を解決出来る訳では無い。そんなのは思い上がりである。出来ることは限られているのだから、与えられた範疇でやれることをする。そのために歩みを止めないこと。疲れないようにしっかり休息を摂ること。仲間との関係を友好に保つこと。お客さんを丁寧に扱うこと。それらはすべてわたしの夢を実現することに繋がる。私の強みは、私自身のことを私がしっかりと正面から捉えていることかもしれない。ここまで来るのに時間はかかったが、もう大丈夫だ。わたしは強い。わたしはもう迷わない。

 

それじゃぁまたね(了)


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