ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

20代男性の4割がデート未経験の「本当」の理由(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース



未婚男性の4割がデート経験がない。ということは6割はある訳で。それって何が問題なの?

 

    未回答はあると思うけど。少なく見積って半分。そもそもデートってどこからがデートになるんでしょうか。そう言ったカテゴライズがもう古いという感じ。そして、恋人はデートをするものだという価値観も古い感じ。意気投合して仲良くなって結婚する。その流れは今も変わらない。けれど、その結婚の前にデートしなくてはならないというルールもまた、ないのだ。というのも、私がいつも遊んでいるオンラインゲームで出会い、結婚した人達がいるが、その彼らのデートとは、もっぱらオンラインで行われるそれである。もちろん、全く会わずに結婚まで行くケースは稀だろう。だが、デート=リアルに会わなくてはならないというルールはもはやない。単に気が合えばいいのである。もっと言うと、気の合う同年代の異性と出会えれば、それでいいわけだ。

 

   昔から僕自身も、なんでデートしなくちゃいけないのか?と疑問に思う方だった。好きな人と2人きりで遊べたらそりゃ楽しいよ?でも、それをデートか?というカテゴライズには何だか窮屈さを感じていたし、楽しく遊べたらそれでいいじゃんと思っていた。それが異性ならなおさらだ。それが異性でお互いに結婚に意欲があれば、それは結婚すればいい。それだけのことである。そこに必ずしもデート経験の有無は必要ではない。

 

   にも関わらず、デートしないというデータだけを引っ張り出してきて「けしからん」と言うのは、あまりにも乱暴であり、いかにもメディアが好みそうな恣意的な分析ではないか。つまり、そういう風に感じている大人たちにそれらしい結果をデータで示すことで「それみたことか!」と膝を打たせたいわけだ。そして「俺の若い頃はな……」などと、昔話に花を咲かせることが出来ればいいわけである。ん?SEKAI NO OWARIのHerbitみたいな世界線ですね?

 

    そもそも、マスクしろだの、密になるなだの、政府が主導した結果でもありますよね。そりゃコロナにかかる危険性を考えたら、誰とも会いたくないとなります。友達関係すらネットで完結する令和の現代で、ましてやリスキーすぎる異性との交流はやはりリスクでしかないわけです。そのリスクを犯してもなお、会いたい相手であれば話は別ですが、それもなし。ましてや理想の恋人はみんな、2次元の住人ということもしばしば。それじゃあどんな期待を持って他人の、それもよくわからない異性と交流しろと?そのほうが考えにくいと思う方が普通ではないでしょうか。

 

    わたしたち日本人は日本人を虐めることがよほど好きなようです。未来を閉ざし、日本人を減らすことに対して積極的な国。それが日本。そして、そんな勢力に全力で抗う人達はみな、非現実のデータに心を奪われ、ますます心の中に閉じこもってゆく。この流れはもはや止めようがありません。止めようとする人はいますが、それ以上に加速させようとする人達のほうが明らかに勢いがあります。それは後ろ向きに大脱走するかのような生き方に見えることでしょう。でもそれしかないのです。なぜなら、頼れる大人、信用出来る大人はいない。ましてや周りにもいない。それならは楽しかった過去に戻って夢見る1人の子どもでいたいと思うことは自然な防御反応だからです。みんな、ギリギリのところで現実との折り合いを付けながら、同じくギリギリの生活を強いられている。そして僅かに輝く楽しみを握りしめながら、暗く長いトンネルをあゆむ姿。それこそが、今の令和の私たちのある姿です。

 

    それが正しいか?そうでないか?では無いのだと思います。もはや、そうするしかない。頼れる人は自分以外にいないから。確かにそれは絶望でしょう。先の見えない不安そのものです。だからこそ、他人との接点を極力減らし続け、自分だけのテリトリーを創ろうとする。その健気な姿を見て「どうしてそうなってるんだ」と責め立てることは本当に正義ですか?逆です。そうでもしなければなりたたない自我をまず認めてあげましょう。彼ら彼女らは別に新人類ではありません。わたしたちと同じ日本人なのです。そして、私たちよりも先の未来を生きる人達です。それならば、彼らに言うべきことは、わたしたちと同じ苦労をしなさいではないですよね。わたしたちのしてきた苦労をしなくていいように教え、伝え、先の未来を明るくしてもらうこと。そのことこそが、いまをこんな時代にしてしまったわたしたち現役世代の、やるべき事なのでは無いでしょうか?他責で嘆くことは誰でもできます。誰でも出来る代わりに何も変わりません。なにか小さいことから1つずつ、変えていく。それは、わたしやあなたにもできます。わたしは大きなことは出来ません。でも、せめて私の周りの人達だけは、私の考えを伝え、そして少しでも先の未来を掴み取って欲しいと思っています。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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『FF16』吉田直樹プロデューサーインタビュー。バトルシステムや世界観について新情報が続々。 「オープンワールドじゃないからこそできる突き詰めたゲーム体験を」 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

https://s.famitsu.com/news/202206/22265843.html

この記事はすごく内容に踏み込んでます。

 

  さすがファミ通。知りたいところをほぼ全部聞いてます。これでもう謎もほぼ無いのでは?でも、これで謎が解けちゃってそれはそれで寂しくもあるかも。。いいのかな? オープンワールドじゃないとか、仲間はAIとか。その辺をさらりと公開して置いた方があとからガッカリされるよりマシですよね。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"

 


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【インタビュー】「ファイナルファンタジーXVI」吉田直樹プロデューサーインタビュー - GAME Watch



安心した。彼ほど私たちを理解している人は居ないと確信した。

 

   このインタビューは貴重である。彼の素晴らしい才能は言語化にあると常々思っていたが、それは確信に変わった。もともと彼はトレーラーで全てを語らないタイプのクリエーターだ。そして、発表会で言葉を重ねる努力は怠らないが、やはりその時の印象やイメージが先行してしまうことをとてもよく理解している。そのため、発表会からしばらく経ったこのタイミングでプレスの力を使ってさらに深堀をした内容のインタビューをさらりと公開するのだ。この手腕こそが、我々エオルゼアのファンを導く王道だと言わんばかりである。見事です。

 

   私の中の不安要素は全て、きれいさっぱり払拭された。まず、アクションメインで本当に大丈夫かという不安はアクセサリーでカバーすると名言された。ここはシステムに突っ込んだ話になるため、ここで明かしていいのかと不安になるくらいに正直に答えている。だが、その潔さがむしろ、不安を取り除いてくれるのだ。アクションメインの不安はなくなった。そして、ファイナルファンタジー14ファンからの長年の不安もここで払拭されている。14の開発が今後疎かになるのではないか?という不安だ。それは、紅蓮の後半でメンバーが決まったと言っている。あのめちゃくちゃ盛り上がったあの頃?そう、あの頃だ。ファイナルファンタジー14がこれからもの凄い勢いで伸びていくと誰もが確信したあの頃。その頃にすでにファイナルファンタジー16のメンバーは少しずつシフトしていたと言うのだ。それを言われてなお、ファイナルファンタジー14は今後おざなりになると誰が言えるのか?誰もいえまい。そう、誰もが思うはずだ。今のファイナルファンタジー14のメンバーは過去最高のスタッフである、と。

 

   その上で、ファイナルファンタジー16は14のイズムを継承しているのだ。蒼天のイシュガルドファイナルファンタジー14ファンにおける初期の頃からの1番人気パッチである。それを手がけたスタッフが揃っているのであれば…もはや言うまでもなく神ゲー確定ではないか。言われてみればあの頃の殺伐とした空気感を持っている気がするし、ファイナルファンタジー16は蒼天のイシュガルドだよと言われて「なるほど!」というファンが出てきてもおかしくないかもしれない。あれは確かにファンタジーを基本としながらもしっかりも大人向けの内容を込めた重厚な政治の話だった。あれをオフラインでやれるのだ。そして、召喚獣バトルも追加されている。そういう理解の方が分かりやすい。

 

   全く新しいファイナルファンタジーを作るのだという路線ではないとわたしは理解した。こういうと、「なんだ?過去の焼き直しか?」と言われそうだが、多分合っている。ただし、最高クオリティに仕上がっている過去一のファイナルファンタジーだろう。いや、過去一のアクションRPGだろうと思う。そのアクションRPGの作品に、クリスタルや召喚獣などの「らしさ」を追加した作品に違いない。それは、ファイナルファンタジー オリジン ストレンジャーオブパラダイス(相変わらず長いな)に感じたあれである。

 

   まずやりたいことが先にある。それは何か?JapaneseアクションRPG復権だ。その最も高い位置にいる作品はおそらく、エルデンリングだろう。今、スクウェア・エニックスが作り上げた「高クオリティRPG」の看板は、ファイナルファンタジー7リメイクに受け継がれた。そう、ファイナルファンタジー16が背負い込む必要はなくなったのである。そして、自由を手に入れたファイナルファンタジーがまず目指したゴール。それは、「玄人も素人もしっかりと楽しめる国産アクションRPG を作ること(ただし、オンラインゲームではない)」であったように思う。高クオリティであることが命題から外れたとはいえ、おそらく高クオリティで来るだろう。重要なのは、それがマストではあっても、最大の魅力でなくてもいいというポイントだ。つまり、高画質だから「流石ファイナルファンタジーだ」はあるが、「高画質であれば内容は二の次でよい」という意見は無いはずである。つまり、最高の内容で、そこそこの高画質であれば、例え高画質では無かったとしても内容さえしっかりとおもしろいものに出来ていれば「さすがファイナルファンタジーだ」という感想はもらえるからだ。吉田直樹氏が言っているなんでも入れるではなく尖った物をというコメントはまさにここを言っていると思う。誰も両立させることで開発が長引いたり、最終的な赤字になってタイトルが存続できない未来を迎えたい訳では無い。彼の素晴らしい才能は言語化だけでなく、この見事な損得勘定にもキラリと光るのだ。

 

   彼のインタビューを経て、私たちは全ての不安を払拭してもらえた。フォトモードもあると言ってくれた。それはゲーマーにとって必要不可欠な要素である。おそらく動画も撮れるだろう。わたしたちオンラインゲーマーからすれば撮影は当たり前すぎて、フォトモードとかグルポがなくても困らないくらいなんだけどね。あるがままを撮影すればいいだけだから!で、もっと色々撮影したければ、エオルゼアにいらっしゃいませ!w

 

  とにかく、一安心できた。これでファイナルファンタジー16は大丈夫だ。ここまでお膳立てされて失敗するはずが無い。数々の失敗を前提にすべてがしっかりと準備されている。その準備をしたのは我らが最強のプロデューサー、吉田直樹氏その人だ。彼の用意周到さは折り紙付きである。もう何も不安になる必要は無くなった。何度も言うが、おそらくファイナルファンタジー16に目新しさは存在しない。だがそれでいいのだ。圧倒的に面白いから。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"

 


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山下達郎は違っても…ベテランアーティストがサブスク解禁する裏事情──音楽業界の現在地|日刊サイゾー



音楽だって、ビジネスに変わりはない。

 

   ビジネスとして考えたら、音楽をリスナーのニーズに応えることは最低限必要な努力ではないだろうか。アーティストは自己の表現や利益にこだわるばかりで、人目に触れる機会を減らすような事があるとそれは単に機会損失に繋がるはずである。山下達郎氏が音質にこだわっている事は昔から有名だ。彼は天才的なシンガーソングライターであると同時に、天才的な(変態的な)オーディオマニア、スピーカーマニアであることは有名である。また、彼の言い分の中にある、音楽に関わりのない人達の利益になってしまうという理屈も分からない訳では無いが、今のあらゆるネットインフラを使わないで暮らしていけるほど世の中は単純ではなくなってしまっていることもまた事実である。音楽に関わりのない人達にお金を渡したくないと言うのは、高速道路を走っている人が高速料金を払いたくないと言っていることと同じではないだろうか。それなら高速道路を使わない!という考え方もあるだろうが、それでは近代的な生活を全て捨てて、原始時代に逆行するようなものなのである。

 

    現に彼のプロデュースした竹内まりや氏の過去の曲はサルベージされ、リブートされる形で世に広まってしまった。その利益すら、違法的に取られていると言うのであれば、その違法的に取られた莫大な金額は主に海外にたれ流され続けるだろう。それは音楽家たちがかつて頭を悩ましていた、コピーCDとの戦いを思わせる。コピーコントロールCDと銘打った音源は、パソコンユーザーからは大層嫌がられ、仮に違法アップロードをしないとしても、リスナーの利便性を大幅に制限するものであった。CDメディアは半ばなし崩し的にコピーされ、ネット上に溢れかえった。そのことが、彼ら音楽家たちの利益を凄まじい勢いで損なっていったことはもはや言うまでもない。それは音楽だけでなく、映像作品にまで広がり、あらゆる表現はデジタルデータとされて限りなく無料に近づいていった。それは今のインターネットインフラに乗れなかった日本の現実をそのま表している。

 

   あれから数十年。平成の終わりと共にそれらの戦争は終わり、残ったのは枯れ果てた荒地だった。もはや音楽で利益を上げるビジネスは風前の灯であっただろう。しかし、そんなときひとつの救世主が現れたと私は記憶している。音楽を窮地から救ったのは誰か(何か)。それこそが、Appleであり、Spotifyである。そして、それらが推し進めたサブスクリプションサービスであった。

 

    それらは確かにユーザーライクなビジネスモデルだった。そのおかげで瞬く間に世界中を席巻した。特に無料で視聴できるSpotifyの勢いは凄まじく、音楽を限りなく身近なものに変貌させた。その分、1曲の利益は薄められ、限りなく無料に近いものになった。だが、薄利多売の精神によって世界からジャンルや言語、国の壁は完全に取り払われたと言っていい。世界中の人が日本の音楽を聞き、日本の音楽の再評価に繋がって言ったのである。そのもっとも恩恵を得た作品は何か。竹内まりや氏の「プラスチックラブ」であり、そのプロデュースをした山下達郎氏その人なのである。

 

     昨今のCITYPOPの人気をもたらした理由のひとつに、山下達郎氏と彼の作る美しい楽曲があることは疑いようのない事実だ。もちろん、彼以外の名曲もその拍車をかけるに機能した。だが、山下達郎氏以外の作品は早々にサブスクリプションサービスに登場したことに対して、山下達郎氏の作品はいまだ存在しない。その予定もない。求められている時にその求めに応じないのは、不義理なのか。それとも、アーティストとしての矜恃として褒められることか。それは日本人が過去に何度も経験してきたジレンマである。だからといって、過去に習い、矜恃を固辞することばかりがその答えではない。例えそれを反故にしたとして不利益を被る結果となるなら、それは固辞する事が正解だったという回答を得られるだろう。それを試さない限り、それが成功なのか失策なのか、それすらも分からない現実は変わらないままである。それならば固辞を翻すことがあってもわたしは彼を卑怯者と笑わないだろう。むしろ、よくぞ英断をしたと拍手喝采を送るはずである。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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「面倒だけどやるべきこと」を習慣化する方法をかわいらしいアニメで分かりやすく解説したムービー - GIGAZINE



やる気スイッチなんてない。

  やるべき事は、大抵がやりたくない事である。だから後回しにするし、なんなら忘れたフリをして記憶から消してしまう。それでは、やるべき事はなされる事はない。そして、やらなくてもいい事ばかりをして時間を過ごしてしまうのだ。

    

   大変に耳が痛い。僕も仕事ではやるべき事をまず書き出して、1番やりたくないことから手をつける事にしている。やりたくない事を午前中に終わらせ、午後からはやらなくてもいいけど、やっておいた方がいいことに集中するのだ。そのためにはまず、やるべき事(=やりたくない事)を先に終わらせておく必要がある。そうする事で、その後の仕事に心の負担を残すことなく、午後は自分のペースで、クリエイティブな進め方をすることに全振りすることが出来るのだ。これは、この記事のいう、いいルーティンをする時の思考にとても近い。

 

   いいルーティンとは、理想の自分を手に入れる全てだ。理想の自分になりたいと思わない人はまず居ないだろう。いるのは、理想の自分になれないと諦める人と、諦めずにルーティン化できる人。この2種類である。確かに、ルーティン化してしまえば、脳の中の考えるというリソースを省略できる。そうすればあれやこれや悩む前に行動することが出来る。そのルーティン化した行動はもともとが、理想の自分になるための行為であるので、自然と自分は理想に近づいていく、という訳だ。これがなかなかどうして難しい。ルーティン化を実現するにはステップがあるからだ。

 

   ダラダラとすごしてしまうルーティンはさておき、自分にメリットのあるルーティンを考える時、まず、「それが本当に自分にメリットのある行為なのか?」という壁が存在する。もしかして、もっといいやり方があるのでは無いか?という問に明確な答えはない。あれもこれもやっては諦め、その結果、「何をやってもダメ」と絶望するのだ。その点について自称ルーティン化が大好きな僕から言わせてもらうと、「1番を決める癖を付けること」と、「1度決めたら他のことは忘れる」が大切だ。

 

   そもそも答えなんてないのだから、より良い答えを探したところで惑うだけ。惑ってしまうと、脳の余分なリソースを割いてしまう。するととたんに、「やるべき事」が「やりたくない事」だという認識が広がってしまう。そうなるとせっかくのルーティンも水の泡だ。なぜなら「無駄に感じるから」であり、「もっといい方法がある(これからみつける)」という言い訳に繋がる。それではダメである。

 

  そこで、先の言葉を思い出してほしい。「1番を決める癖を付ける」である。今の私にとってこの方法が1番なのだと決めたら、それを貫く。そのためには1番を決めるための心のルーティンが必要になってくる。つまり、「どうやって1番を決めるのか」というルーティンワークだ。これがなかなか難しい。

 

    僕は子どもの頃から「1番好きなもの」を聞かれた時に困ってしまう人だった。例えば「1番タイプの異性は?」「タイプのタレントは?」「一番好きなブランドは?」「一番好きなアニメは?」「一番好きなアーティストは?(これが1番苦手だ)」…枚挙に遑がない。だから当時の僕はある程度質問を事前に想定する癖を付けてその質問に備えることにした。つまり、「1番好きな〜」を聞かれたときにすぐに答えられるように、その時一番好きな物を決めておく、というルーティンだ。

 

   これは簡単そうで難しい。誰も、「今1番好きな~を教えて」と聞かれた時に即答できる人は少ないように思う。いや、僕は即答出来ないことがすごく恥ずかしく感じた。答えられずに後で「あ!あれが好きだ」と思い出してももう遅い。その話題は終わっている。それに、運良く会話の前に思い出しても「それ何?(知らない)」というもう1つ別の恐怖の会話が待っているのだけれど。

 

   そして僕は2重に準備することになる。つまり、「本当の一番好きなもの」と「一般的に理解されやすい好きなもの(1番ではない)」である。今思えば、その考え方は、カラオケでの選曲でも使っていた。僕の好きな曲はカラオケでは歌われないマイナーなアーティスト。だからそれとは別に皆が聞き馴染みのある「一般的なアーティストリスト」を作るのである。(今思い出すと、紙に書いて財布に入れたりしてたなあ。携帯を持つようになってからはメモみたいなリストがいつもあった)。

 

   話がだいぶ逸れてしまった。閑話休題。つまり、予め決めておくという癖を付けておけば、常に心の中で「1番好きなものは何か?」を自問自答する癖を付けることができる。つまり、ルーティン化だ。そうして1番を決めるためのルーティンを手に入れた僕。1番を決めるにはいつだって長い時間と自問自答の繰り返しが必要なのだ。

 

  そうして決められた1番はそうそう揺るがない。なぜならかなり長時間をかけて練りに練った1番だからだ。ようやくここで話が繋がる。つまり、理想の自分になるためのルーティン化の第1の難関「1番を決める癖を付ける」が完成するのだ。

 

   まあ、このことは同時に2番目の「1番を決めたら他のことは忘れる」もほぼ叶ったと言っていいのだけれど。そうしてある種の盲目のような視点を自らに課す。最悪間違うこともあるだろう。盲目的に選んだ1番が必ず1番である保証など無い。だがこの方法はかなり優れている点がある。それは、盲目的に1番を信じて行動しているという点だ。

 

   つまり、1番を決めた時点で行動している。決めてからやらないという選択肢はない。なぜなら他に方法はないからだ。そうすると、たとえそれが失敗だったとしても、「この方法論は失敗だったという結果を手に入れることには成功する」わけである。これはまぎれもない成功だ。失敗が分かればそれ以外の方法を試せばいい。また失敗したとしても、同じ失敗では無いはずだ。誰が同じ失敗をもう一度やろうと考えるだろうか。

 

   僕の場合は、毎日のおはらら、毎夜の𝙏𝙞𝙠 𝙏𝙤𝙠、日曜日の掃除機かけとリングフィットアドベンチャーである。あとは今やっているブログである。これは不定期ではあるが。

 

   やるべき事は見えないだろう。やるべき事は無数にあるからだ。そしてやらなくていい事も無数にある。しかし、人間に与えられた時間は有限である。まずは与えられた時間の中で何をするのが1番幸せなのかを全てあらいだす。そして、やりたくないけど、やるべき事を洗い出す。それらをすべて同じテーブルに乗せて出来ることと出来ないことに、分ける。そして、出来ることから1個ずつ試せばいい。ぼくはそうやって今の僕になった。出来ないことをわざわざやる時間など僕にはない。やれることだけに全振り。それが僕のやり方だから。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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『FF16』発売日が2023年夏に決定。最新映像でバハムートやオーディン、ガルーダなど多数の召喚獣が登場【State of Play】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com

 

16で見せたい世界とは。

   本日行われたstateofplayでついに追加情報が発表されたファイナルファンタジー16。今回の発表は、あくまで追加情報である。主にバトル周りの追加情報だ。ただそれだけの情報すら、この1年近く発表されて来なかったのである。吉田直樹氏の「来年の春には…」という宣言は概ね合っていたということになる。当初は3月かなって思ってたけど。

 

    いやいや、情報提供が滞ったところで、発売日は宣言されたわけだ。来年の、2023年の夏である。何月何日まで言わなかったことには吉田直樹氏らしい様々な計算がありそうと感じた。彼はこういう大事なことは伏せるのだ。それは期待感を煽りたいという目的もないわけではないだろうけれど、それ以上に発売日をズラしてファンを悲しませたくないという吉田直樹氏のらではのファン目線の賜物であるとわたしは思っている。さすがである。思えば、ファイナルファンタジー14暁月のフィナーレを延期すると発表したときの彼の本当に申し訳なさそうな顔つきを見る限り、それはビジネスマンの顔ではなく、単に1ファンが発売日を延期されたことで悲しい気持ちになるそれだった。まさに自分事として悲しんでいたのだ。だからこそ、様々な非難が巻き起こってもおかしくない事態であったところ、ほぼ無風という結果となったのである。吉田直樹氏が泣いて謝るのだから仕方ない。1番悔しいのはきっと、他ならぬ彼に違いないと分かるからであった。

   

   さて、ファイナルファンタジー14の話はこれくらいにして、今日のファイナルファンタジー16の話をしよう。「ドミナンス(読み方合ってる?)」と題されたトレーラーは、主にゲームシステムを示すものとなった。アクション性の高いバトル、映画さながらの迫力の演出が絡みつつもプレイアブルと断言した。つまり、見るだけのムービーではないということ。ムービーの中に入り込み、自らの手によって操作することができるアクションゲームであることの宣言である。今回もっとも高い熱量で伝えられた情報はそれであつた。逆を言えばそれだけである。つい、ファイナルファンタジーと聞くと、ドラマティックなムービー、圧倒的なストーリーを期待するあまり、トレーラーにも過剰な演出を求めてきた。つまり、ムービーでサプライズしたいというニーズは少なからずあったように思う。その最たる例が、ファイナルファンタジー7リメイクのそれだった。それらのムービーショックがあったか?と言われれば、その点については無かったと言わざるを得ない。確かにバトルシーンは見られた。とんでもなく高精細なグラフィックで描かれたバトルシーンは思わず面白そう!と両手をたたいて歓迎したくなるものだった。はやくプレイしたい。そんな気にさせるのには十分すぎるトレーラーであったと言える。だが、わたしはここで敢えていいたい。吉田直樹氏のする事は基本的に全肯定するわたしであるが、それでもなお、ファイナルファンタジー16として描きたかったモノ。世界観。得られるであろう体験まで踏み込んで欲しかった。それを映像だけで説明して欲しかったと思うのだ。

 

   というのも、ファイナルファンタジー16が描きたかったことはまだ謎が多い。大人のダークファンタジー。それはいい。しかし、その辺に対する答えが、超巨大召喚獣同士のバトル!であれは、それは疑問であると言わざるを得ない。つまり、枝葉だ。怪獣バトル好きでしょ?は、イコールで大人のダークファンタジーであるとは僕は思えないのである。そういう要素があってもいい。がしかし、それがファイナルファンタジー16が最も伝えたかった「新たなファイナルファンタジーのあり方」であるのなら、それは疑問と言わざるを得ない。ファイナルファンタジーとは何か。ファイナルファンタジーをもう一度大人の、我々の、そして、日本人の、日本のファンタジーとして世界に発信することが求められるまさに最高難易度を誇るゲームコンテンツである。それが単に高画質で作り上げた怪獣バトルだと言われると、特撮好きな大人を喜ばせるだけではなかろうか。あくまで、これはファイナルファンタジーの最高峰でなくてはならない。ファイナルファンタジー15がそうであったように(たとえ、それが未完と揶揄されたとして)、新たな挑戦を含んだものであって、常にチャレンジャーであることが求められるはずだ。

 

  この部分について、まだ謎が多いこともあるのでここでどれだけ語っても無駄であることは承知している。この辺りで終わりにしたい。だが、このファイナルファンタジー16として何を見せるのか?と言う問に対する答えを吉田直樹さんのコメント(文字)で見ることが出来た。それは、「絶叫マシン、ジェットコースターのような体験」だそうだ。めくるめくアクション、めくるめく展開、息をつかせない派手なシーンの連続。それらはかつて少年だったわたしたちの今の胸を踊らせるような全く新しい体験なのか。かつての子ども心をくすぐるだけの懐古主義的エンタメのリブートなのか。そこについての問はまだわからないままだ。

 

   追伸。スタッフ一覧が公開されている。中身を見るとなるほどファイナルファンタジー14からのメインスタッフが揃っているようだ。コンポーザーに祖堅正慶氏を起用していることはサプライズだろう。ますますファイナルファンタジー14との差別化が、オンラインゲームか、そうでないか、だけになってしまうのではないかと危惧しているのは私だけだろうか。これは、ファイナルファンタジーの最新作である。エオルゼアの最新パッチではない。祖堅正慶氏を嫌だと言っているつもりは無いけれど、吉田直樹氏がこの人生をかけた大きなプロジェクトが成功することを今から願ってやまない。と、同時に、ファイナルファンタジーはどこへ行こうとしているのか?という問いは未だ霧の中である。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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《累計プレイ時間6150時間超》FF11サービス開始20年「完結したのにまだ現役」のモンスターゲームが生まれた理由(文春オンライン) - goo ニュース



帰る場所がある幸せ。

   ファイナルファンタジー11をプレイしたことはない。その当時、オンラインゲームが流行りだしていたことは知っていた。当時、漫画喫茶も急速に人気になり始め、同時にパソコンゲームも盛り上がっていった。なぜ僕はファイナルファンタジー11をプレイしなかったか?その時、僕はファイナルファンタジー11をプレイする環境になかった。わかりやすく言えば、ハイスペックなPCが無かった。そして、一人暮らしの家にはADSLしか引かれていなかったのである。その当時の僕はゲームからも遠ざかっていた。

 

   ファイナルファンタジー11を記事で見かける時、僕は懐かしい気持ちになる。ゲームらしいゲームと感じる。それは決して下に見た言い方ではないと言っておく。懐かしさとオンラインゲームが合わさった魅力的なゲームだと認識する。強いて言うなら解像度の低さがやや気になるが、それだって、ファイナルファンタジー12をプレイした当時のゲームを知る自分からすればそれほどデメリットには感じない。単純なことを言えば、僕がゲームをしたいと思う心境で、ゲームを窘める時間があり、目の前にファイナルファンタジー11のフリートライアルが用意されていれば、僕はきっとファイナルファンタジー11をプレイしていただろう。僕の場合、ファイナルファンタジーのオンラインゲームをプレイするという選択肢は、ファイナルファンタジー14一択というわけでもなく、単に、目の前にファイナルファンタジー14のフリートライアルというものがあったからであった。

 

   ファイナルファンタジー11の成功があるから、ファイナルファンタジー14がある。それは揺るぎない事実だろう。11が成功しなければ、もう一度別のオンラインゲームを作る気など起きるはずもない。ましてや、ファイナルファンタジーというスクウェア・エニックスの看板タイトルである。成功したからこそ、14というナンバリングタイトルをオンラインゲームというジャンルにしたはずである。そして、ファイナルファンタジー11が生誕20周年という節目を迎えたことを受けて、僕はある考えが頭に過っている。それは、ファイナルファンタジー14が終わる日のことだ。

 

   ファイナルファンタジー14はオンラインゲームだから終わらない。ごもっとも。ファイナルファンタジー11が21年目を迎えているのだから、ファイナルファンタジー14も終わるはずがないのだ、と。だが、この記事にもあるように、メインストーリーとしての最後を2015年に迎えているのだ。それでもなお、ファイナルファンタジー11の世界は閉じることなく、少しずつ改善させながら、今日も存在している。そこに暮らす冒険者もまだ健在だ。最盛期のログイン数からは程遠いだろうが、それでもなお、ログインし続けているコアなファンが存在している。

 

   一方、我らがファイナルファンタジー14は12年ほど経過している。ファイナルファンタジー11よろしく、最低でも20年は続けてくれるだろう。僕らユーザーが存在する限り続くに違いない。だが、プロデューサーも人間だ。ファイナルファンタジー11の田中プロデューサーがいまも健在であることは幸いである。まさに当時を語れる生き字引だからだ。そこに往年のファンは安心して今日もログインするのだろう。一方のファイナルファンタジー14吉田直樹プロデューサーも健在だ。今年49になったらしい吉田直樹氏があと8年経てば、57歳。まだまだやれる。60歳まではたぶんなんの問題もないに違いない。つまり、11年くらいだ。来年が次のパッチ。7.0シリーズが開始される。その次は2025年、2027、2029、2031、そして2033年は60歳となる。私達も歳をとるが、吉田直樹氏も当然歳をとる。それでもなお、ゲームを作り続けてくれるだろうという予測は容易である。

 

   だが、60歳を節目に、ファイナルファンタジー14の開発から一線を退く未来はどうだろう。在籍はしていても、時折現れるくらいで、別のプロデューサーにバトンタッチしている未来だ。その頃でも僕らはプレイし続けていられるだろうか。考えてみたら、それでもなお、プレイしているだろうという気持ちになったことは、僕個人にとっては幸いなことである。健康にだけは気をつけよう。

 

   つまり、ファイナルファンタジー11を例に考えると、オンラインゲームにしたことによって、プレイする理由が移動した。開発者の手から、冒険者たちの心の中に出来上がっていったという推測である。よほど月額利用料が改定されたり、ハイスペックなパソコンを要求しない限りは。その可能性もゼロではないが、常識の範囲内であろうことは容易に想像できる。もし、スクウェア・エニックスが他社に買収されるようなことでもあれば…。その時はわからないけれど。

 

  私個人で言えば、わたしがファイナルファンタジー14をプレイしなくなる(できなくなる)状況は、私自信が健康上の理由で辞めざるを得ないということだけである。極論を言えば、仮に吉田直樹氏がファイナルファンタジー14から退き、宇宙の果てに旅立つ日が来たとしても、だ。つまり、ゲームをプレイする理由は僕自身の中にあり、外的要因には左右されないのである。逆に言えばそういったプレイする理由をゲームは与えなければプレイして貰えなくなる時代だといっていい。そういう意味で、オンラインゲームはその理由は人の数だけあるのだ。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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