ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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何かを選ぶことは何かを選ばないことです。

人生は選択の連続だといわれます。

右に進むか、それとも左か。

ああ、どちらにも進まないという選択もありますけど。

それでも、いつかはどちらかを選択しなくてはならない。

人生は先天的に決定されるものではなく、

決定の積み重ねこそがその後の人生を決定付ける、とか。

どこかで聞いた言葉の受け売りです。

それでも、そうなのかなあと思う今日この頃です。

僕は、つい臆病風に吹かれ、第三の選択、「選ばない」に

ついつい逃げてしまう傾向があります。

選びたくない、可能な限り、自由奔放でいたい。

そんな、子どもじみた甘えがあります。

人生は甘くないのに。

これも誰かが言っていた言葉です。

しかし、本当に甘くないんだから仕方ありません。

どれだけ幻想を夢見ようと、

残酷なまでに選択され続け、勝者と敗者に区分けされます。

その程度に大小の差はあっても。

小さな遊びから、人生の決断まですべて。

選ばないなんていうのは、考えを保留しているようで、

ゆるやかにどちらかを選んでいます。

状況を判断して決断したい、といえば、

それなりの処世術に聞こえなくもないですが、

それが「辛い現実を考えたくないから」というのでは、

考え物です。

現実逃避の算法は、現実世界に適用すべきではないからです。

それをしてしまったが最後、くるくると時代の流れから

置いてけぼりをくらいます。

本人が気づかないうちに。

まさに、竜宮城から帰った浦島太郎のように。

10年、20年と無為に過ごす羽目に陥ります。

命が有限であることを考えると、

それほど悲しいことはないかもしれません。

生きたくても、それが叶わない人だっているのに。

五体満足であるだけでも、衣食住が保障されているだけでも

十分に幸せなのに。

まあ、幸せというのもひどく主観的なので、

時代に流されやすく、他人との比較によってしか、

とらえることができないものだからやっかいものですよね。

そりゃ、隣の芝は青く見えるってもんです。

しかし、選ぶことほど難しく、勇気のいる行為はないのではないか、

とも思うのです。臆病者の僕としては。

人生に臆病って、すごい表現かもしれないですけど、

まさに僕は将来に不安がいっぱいで、不安すぎて

なにも考えたくなかった。だから、

現実逃避するための効率的な方法、それだけを考えて

ただ生きてきた。

目的もなく。

いかに楽に毎日を過ごすか。

それだけだった時期もありました。

今でも一週間後とか、一年後とか、

未来を想定して行動するのは不得手です。

それでも今は無理やり目標みたいなものを作ってますけど。

それもまあ、普通の人からしたら、

なんだそりゃ、ってな小さいことです。

それも、掲げるだけ掲げて、本音は実現させるつもりすら

怪しいんですから、どうなんでしょう。

目標を掲げただけで満足している、とはまさにこのことです。

まあ、恥ずかしい限りですが、

自己分析すると、

目標をかなえるには努力のほかに、

難問をクリアしなくてはならないのが普通です。

それも、自分にとってのとてつもない難問を。

それは、相当の苦痛を伴うでしょうし、

一種のギャンブル、人生の賭けみたいなことになります。

それは、今あるものを捨てなくては

手に入らないほど大きなものです。

そんな苦労をしたくない、っていうと

いかに自分がダメ人間かを公言しているようで恐縮ですが、

それもあります。

それと同時に怖いのが、

今あるものを「捨てる」ことを、

「選択する」ということに恐怖を感じるからです。

何かを得るときには、何かを捨てなくてはならない。

これも誰かが言っていた言葉のひとつです。

しかし、その得るであろう「何か」が、

自分が失おうとしている「何か」を

上回るものかどうか、は、

手に入れてみないとわからないのではないでしょうか。

だからこそ、今の自分の周りに少しずつ無駄なものが増えていくのみで、

大きな成果をその手に握ることのできる余裕は

一向にできそうにありません。

そういう意味では、

自分は、卑怯なのかもしれないとも思います。

高い目標を掲げ、目標に向かって邁進している人も数多くいらっしゃるのに、

僕は、棚ボタを狙っているようなものなんですから。

ダメでもともと。

人生に諦めることで、それを上回る小さな幸せを

大きなものとして享受し、

大きな喜びに変える。

そのための「卑屈な人生」を歩む…。

多くは望まないことはある種美徳です。

しかし、度が過ぎればそれは卑怯です。

ここまで自分のことがわかっているのに。

結局のところ、自分に必要なのは、

自信、そして勇気、なんでしょうね。

目標を成し遂げられると自分を信じる力、

そして自分に厳しくあるために、

正しい選択を選び続ける勇気。

なかなか、難しいです。

そのふたつを補える、

そんなパートナーがいればなあ。なんちゃって。

どこまでも他力本願な自分。orz

でも、偽らざる本音です。

ひとりではなにもしたくない。

それが、自分です。

誰かのためにすべてを捧げることは

並大抵の決意でできることじゃないのに。

それを夢見ているのが、僕、という人間かなあ。

それもまた、人生への逃げ道を作っているだけの

卑怯な考え方、なんでしょうね。

あー、人生って難しい。

疲れちゃうなあ。

今、こんなコンディションです。

ちょいエセ哲学的です。

別に「銀河英雄伝説」にハマっているから

ではありませんのでアシカラズ。

ちゃんちゃん。