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「好きを仕事に」の落とし穴 転職でミスマッチを減らすコツ(MONEY PLUS) - Yahoo!ニュース



仕事とは、需要に対する供給者になること。

言い得ている。仕事で対価をもらうとき、そこには需要がある。需要は自分ではやりたくないことである。つまり、お金を払ってでも他人にやらせたいという需要だ。それをやってくれる人がいるから成立する。つまり、需要を満たす供給者であることが仕事である。仕事はやりたい人がやることだ。そこには泥臭い行動がひしめいている。ほとんどがそうであると言っていい。だから仕事を依頼する方はお金を払うのだ。誰も泥臭いことなどしたくはないだろう。だから、自分の手を汚さずにお金を払って他人にやらせる。そうすればその人が汗水流してやってくれる。お金を払った方は時間と苦労を省くことが出来る。それが需要である。そこにお金が媒介するのだ。そう考えれば、この記事のいわんとするところは明確だ。特に2ページ目の後半の記述が素晴らしい。好きを仕事に、はYouTubeのキャッチコピーだったか。好きなことをとことんやると、それは泥臭くなるとも知らずに。まさにYouTuberなんかそうだ。YouTuberの仕事は、需要はどこにあるのか?それは視聴者が見たいと思う動画を生み出し続けること。具体的には1000フォロワー、かつ、週に4000時間の視聴だ。それをずっとやる。延々と続ける。そこに需要がある。つまりそれだけの人が集まって見続けてくれる土壌(メディア、媒体ともいう)を作り続ける農夫のような存在。自らの畑を耕し続けること。そこに需要がある。誰もやりたがらない。けれどお金を払うのでやって欲しいという需要に対して、見事に供給者となっているのだ。だから広告スポンサーがつく。広告料が支払われる。YouTuberは泥臭い仕事の代表格だ。好きなことならば喜んでやれるはず。そう思うだろうか。もちろん嫌いなことでは続かないだろう。けれども、仕事はやりたくは無いけれどお金を払うのでやって欲しいという誰かがいて初めて成り立つ。そうなると、好きだったはずの動画制作も、やらされている感覚になる。そうなるともはや好きなことが仕事であると言いきれなくなる。そして好きではなくなっていく。けれども、需要を満たすため、供給者であり続けるために自分に鞭を打って働く。それが、YouTuberである。だからめいっぱい楽しんでやる。楽しそうにやる。やらされていると思いたくない自分に対するアンチテーゼが強く働くのだ。そのことで、YouTuberになりたい、と思わせることができる。芸能人と同じである。笑顔の下には隠された苦労と努力と、涙があるとも知らずに。

結論。好きなことを仕事にすることはやめた方がいい。どうせ供給者になるなら、好きなことは好きなことでお金を払って遊べばいい。供給者である以上、供給しやすい仕事を選ぶべきだ。そこには慣れや、自分の特異性が色濃く反映される。そこにこそ着目すべきだろう。自分の特異性を活かせる仕事こそ、天職である。

 

それじゃぁまたね(了)