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緊急事態宣言の是非「全く不要だった可能性」指摘も 専門家の見解分かれる〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース



緊急事態宣言は必要だったのか?という問は検証しなくてはならない。

この問に対するそもそもの疑問は自粛要請にある。経済的な打撃を与えるからこそ政府は躊躇した。にもかかわらず、専門家会議はあくまで感染症の専門家だけで構成され、感染症を抑え込むことのみがクローズアップされた。結果、未曾有の大ダメージを企業に与えたことはもはや誰の目にも明らかだろう。

 

国内と諸外国とで分けて考える必要があるが、諸外国から考えればインバウンド需要がある。観光客だ。中国を中心としたアジア客を取り込めなくなった。誰も来なくなり、売上はストップ。外がダメなら内を、と国内需要がその分うまく機能すればまだよかったのだか、国内需要も緊急事態宣言により消えた。かろうじてのこった需要も、自粛要請によってもののみごとにかき消されたのである。

 

結果としてすべての需要はなくなり、完全に経済は停滞。インバウンド需要が無くなることは目に見えていていよいよ危ないと身構えたときに国内需要を止めたその張本人こそ緊急事態宣言であり、政府の自粛要請であった。

 

確かに自粛要請は効いた。ステイホーム週間と名付けられた大型連休はまさにその言葉が広まった結果だ。人気がまるでない光景があちこちで広がった。広告宣伝に長けた誰かの入れ知恵であることは容易に想像が着くが、おそらくかなり巨額の広告費が投じられたのだろう。ステイホーム習慣における広告スポンサーは、政府関連と、ゲーム会社のそれ1色だったことを思えば納得がいく。

 

事実、政府の出したステイホーム習慣PRは功を奏してほとんどの人が家に篭った。ある意味日本人らしい団結力を示した。昨日の安倍首相の会見でも、日本基準という言い方がそれを物語っている。韓国に対抗しただけという見方もあるだろうけれど。

 

仮に緊急事態宣言が必要だったとするならば、それはもう少し早いタイミングだったと思う。少なくとも4月は遅すぎだ。遅すぎたが故に必要でなかったとも言える。解除の際にある程度の道筋が立てられたことはよかった。5月末といいながら今日で全国の緊急事態宣言は解除された。それを見越しての月末指定なのであれば素晴らしいスケジューリングだと個人的には思う。だがよく耳に入ってくるのは様々な補助金、協力金の支給のスピードの遅さだ。それは国と地方の足並みが揃っていない、あるいは、意思疎通ができていないことによる弊害であるという意見が多方を占めている。まあ私もそう思うけれど。

 

あと気になるのは、第二波の捉え方。今秋であると言い切る記述はその理由に乏しいと思う。少なくとも気温や季節性のウィルスであるとは考えにくい。単にウイルス感染者との接触、または感染者が触ったものからの二次感染がメインである以上、夏こそが第二波と考えるほうが自然ではないか。

 

最も懸念されるのは、台風や地震などの災害発生時の避難場所による三密だろう。それらは夏に多いからだ。ともすると今年も昨年同様、大型の台風が連続する可能性の方が高い。下手したらまた、停電や断水、交通網の断絶による物資の供給が難しい状況は想像にかたくない。

 

いまするべきなのは備えだろう。

大型の台風が来ると想定した準備は

食料や衛生面での備蓄はもちろん、

マスクや消毒液などの医療品も含む。

避難場所に避難しなくても済むような対策だ。予備電源も要る。低い土地や浸水の恐れがある地域は特にそのリスクを考慮すべきだ。それこそ医療崩壊して大惨事になりかねない。

 

緊急事態宣言はどうだったのか。

自粛要請は正しかったのかを考えることも大事だ。しかし同時に今回の経験から得た教訓を活かして未来を見据えた幅広い準備こそ

いますべきことだ。

緊急事態宣言の責任を誰かに押し付けても意味はない。自分の命を守ることと、それらの責任論はあまりにも無関係なのである。

 

それじゃあまたね(了)