ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

海外で『ファイナルファンタジーXIV』DL版の販売が一時停止に 現在は販売再開するも、その原因は爆発的な人気拡大か



エンドウォーカーは、人気作となる。

つい先日、14時間生放送が行われたファイナルファンタジー14。その世界に人気ゲーム配信者が登場するというニュースをきっかけにSteam版のアクセス数が急速に増加した。その結果、過去最大の同時接続数を記録。主に海外勢からの人気が高いことを裏付ける結果となったファイナルファンタジー14。生放送でもひろゆき氏が触れていたが、なぜこうも海外ファンの興味を引き付けて離さないのかという疑問がある。番組内ではよしPのトークを絶妙な英語に英訳するゴージの存在がひとつではないかと言われた。もちろんそれもあるが私個人的には海外ファンを強く意識したゲーム作りが根底にあるのではないかと思っている。それはかつてよしPが愛したWoWを下敷きにしているということもあるだろうが、それ以上にエオルゼアを形作る世界観の秀逸さにあると思う。システム面の完成度は1ブレーヤーであるよしPが担っているが、世界設定の織田万里氏による綿密な世界設定がとにかく素晴らしい。そしてそれをベースに紡がれる、ナツコイシカワ氏による一見するとさして派手さはないもののその下に隠された情熱が烈火のごとく燃え盛るような感情的なストーリーテリングによるところが大きいと思う。もちろん、祖堅正慶氏によるサウンドもどこか海外ドラマを見ているような重厚感とヒリヒリとしたリアリティがあり、まるで荒廃した世界をひとり歩くようなワイルドさに満ちている。私がここで敢えて言うまでもないことではあるが、やはりここまでファイナルファンタジー14が世界中から求められ、人々を魅了し続けるのには何か理由がある。それは何か。沢山あるがもっともその理由のひとつにあるのが、吉田直樹氏という人にあると思う。それは才能あるスタッフを集めひとつのチームにまとめあげる辣腕だ。そのことに置いては日本一、いや世界一のリーダーシップを発揮していると言っても過言でないだろう。そして、誰よりもファン心理を理解している。また、同時に彼の中に確固たる自信に裏付けられた情報公開における絶妙なタイミングの取り方にもその魅力を見つけることができる。この点における見事なエンターテインメント性は、他の業態へも影響を与えていると思えてならない。そのうちの一つが、今日、YouTubeで放送された鬼滅の刃である。かの作品における情報公開のタイミングの秀逸さ、その情報提供すらエンターテインメントにしてしまう段取りの良さ。そして、各種グッズの購買意欲向上への動線。そして第2期への期待感の創出。どれをとっても素晴らしいものがあった。鬼滅の刃の運営と、ファイナルファンタジー14の運営の秀逸さを同一に語るのはあまりにも変に思われるかもしれない。しかし、共に日本中で大ヒットを記録し、そのまま世界規模のヒットへと広がっているという意味において、その2つのIPに、共通項を見出すことはさほど難しくはないだろう。日本国内で売れたものがそのまま世界で売れるというわけでは決してない現代おいて、そのふたつの作品はアニメとゲームというジャンルこそ違えど、その中に内包される日本のエンターテインメントという意味においては同一と呼べるものだ。そのエンターテインメント性をNintendoが世界中で売りまくっている「あつまれどうぶつの森」にも同じく見つけることが出来るかもしれない。しかし、エモーショナルか?という点において、鬼滅の刃ファイナルファンタジー14に勝るものはないだろう。それは情報の扱い方、ファン心理を巧みにつくプロモーション展開に見て取れる。全世代かつライトからヘビーユーザーまてあまねくファン層を獲得したのはあつまれどうぶつの森の方であるが、一方の鬼滅の刃ファイナルファンタジー14というコンテンツは圧倒的に大人に刺さる作品群と言えるだろう。日本のコンテンツが好きで常に新しい刺激を求める大人ファンの要望に応える大人の作品であるという意味ではこの2作こそがTOP OF TOPであると言えそうだ。14時間生放送で、よしPこと吉田直樹氏が言っていて非常に印象的だった言葉がある。それは、MMORPGに初めて触れる人こそファイナルファンタジー14のメインターゲットである。ということだ。それはまさにわたしであり、多くのユーザーが初心者から始めるということからも容易に想像がつく。つまり、今回のSteam版の騒動のように、いざ、人気のプロプレーヤーが参入した時に、ユーザーフレンドリーであることが重要なのだ。月額課金すらLv60まで無料である。つまり、始めるのにお金の心配は皆無だ。そして、あらゆるヘルプ機能が施され、MMORPG未経験者であってもエオルゼアに降り立つ際の不安要素は皆無に等しいのである。かつてゲームは、プレイしようとすれば、ハードを買ってさらに、ソフトを買わなければならなかった。しかしインターネットの普及によってそれは必ずしも必要条件ではない。そこにSteamという仕組みが設けられありとあらゆるソフトがそこにラインナップされている。ゲームに適したパソコンと、それなりに快適なインターネットさえあれば、誰でも直ぐにプレイすることが出来る環境作り。それこそがファイナルファンタジー14を手がける吉田直樹氏が重視する要素だろう。鬼滅の刃もまた、どのストリーミングサービスでも視聴ができるように間口を広げたことが今日(こんにち)の大ヒットに繋がっている。いまやヒットは良質な作品だけで作られるものではなく、そこに至る道筋をいかにデザインするか?が求められることを明確に教えてくれていると私は思う。ダウンロード不可になるほど殺到したことは確かに嬉しい悲鳴であるが、おそらくはたくさんのサーバーを追加してさらなるユーザーの増加に備えているに違いない。なにしろ、もう次の山場は予告されているのだ。それこそが、今年の11月に来る最新パッチの暁月のフィナーレ。もはや暁月のフィナーレは大ヒットとなることを約束された人気作と言える道が見える。ファイナルファンタジー14暁月のフィナーレとはそういう計算がすでにし尽くされた、ある意味で恐ろしい作品なのである。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210713224442j:image

シティポップの世界的ブームの背景 かれらの日本という国への目線 - インタビュー : Kompass(コンパス) ミュージックガイドマガジン by Spotify&CINRA



シティポッブはあの頃の恋心だ。

わたしは音楽の中で好きなジャンルをふたつ上げよ、と言われれば、間違いなく上げるものに、渋谷系とシティポッブがある。その2つがどこかで交わっていていることに気づいた時はかなり興奮を隠せなかった。あれは、確かピチカート・ファイヴを聞いていくうちに昭和の音源に向かっていく中で気づいて言った事実だった。強いて言うなら、フリッパーズ・ギターからは主にイギリスやフランスなどの良質ポップを知り、ピチカート・ファイヴからは日本の和物を再発見するきっかけとなった。そしてオリジナル・ラブもまたその片鱗を感じさせた。そこから、はっぴいえんど山下達郎竹内まりや杉山清貴などに触れて言った。その頃私はサニーデイ・サービスが流行っていた頃だったのですんなりと入り込めたように思う。その頃感じていたのはまさに、のちの「レアグルーヴ」だった。私だけが理解出来るレアなグルーヴ。レアな魅力。レアな音源、ではない。有名な曲だ。しかしそこの中に魅力を見いだしてその良さを噛み締めることの出来る感性を追求していくそのさまはまさに自分探しそのものであった。あの頃の私は「なぜ他人がいいと呼ぶものをわたしは良いと思えないのか」という疑問にひどく囚われていた。メインストリームを否定する気持ちもなくはなかったけれど、それよりも深い世界がここにはあるのに、なぜ浅い世界で満足しないといけないのか?という疑問だ。子供用プールで遊べと言われているような物足りなさがメインストリームのサウンドにはあったし、私の好きな渋谷系やシティポッブと呼ばれる分野にはわたしの好奇心を刺激する訳の分からないディープな世界が広がっていた。まさにそれはわたしが愛してやまないエオルゼアの世界に終わりがないこととと似ている。エオルゼアで出会うレアグルーヴを求めてわたしは今日もエオルゼアを旅するのだ。それは言い換えればかつての渋谷系やシティポッブに求めていた刺激と同じものである。知らないからこそ知りたい。知らないからこそ興奮する。そんな相反するようなミステリアスな世界が、渋谷系やシティポッブにはあるのだ。あれから数十年。ダフト・パンクらに見出された80年代風のサウンドはいつしか和物レアグルーヴを発見した。それがこの記事にあるようなプラスチックラブなどである。そこには高度成長期に湧く日本の特有の高揚感、ゴージャス感があり、その中にはヨーロッパやアメリカへの強いあこがれがある。それが滲んでいるので、海外の人達は満足するのだ。つまり、「かつての我々の文化は優れていたのだ」と。それを懐かしむ思う気持ち。自分たちの文化がを認めたい気持ちと、レアグルーヴならではのミステリアスな魅力が合わさってリバイバルをしたのだとわたしは理解している。そこに日本のアニメが加わっている。日本の80年台のアニメの主題歌のクオリティにノックアウトされるのだ。シティハンターときめきトゥナイト、……枚挙に遑がない。私もまさにその年代のアニメにノスタルジーを禁じ得ないひとりだ。だからこそ海外の人達が和物レアグルーヴに高揚感を感じる気持ちは痛いほどわかる。分かりすぎる。だからこそ心の乾きを潤わせてくれるオリエンタルな響きがそこにあるのだ。それは欧米の輝かしいあの頃の文化の反響音のような遺産である。日本人の感性がすごいとか、日本の和物が世界一だなどおは決して言うまい。強いて言うならコレクター気質の恐ろしさだろう。つまり、オタク文化である。日本に素晴らしい所があるとすればまさにこの部分にこそある。シティポッブがリバイバルされる度に、わたしはせつない気持ちになる。あの頃は楽しかった……そんなふうに懐古趣味に浸りたい自分がいるのとも認めよう。だが、過去の話に浸って楽しい時間を過ごしたところで、明るい未来が来る訳では無い。どんなに辛くとも、どんなに乾いていようと、殺伐とした未来を見つめる中でこそ、わたしは次の世界を渡っていけると信じている。そんな戦いの日々に疲れた時。私の心を癒してくれるオンガク。それこそが、和物レアグルーヴの役目なのだ。もう一度言う。渋谷系とシティポッブは和物レアグルーヴの宝庫であり、世界が忘れてしまった愛に溢れたあの頃の記憶の外部記憶装置だ。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210710200952j:image

ひろゆきが教えるシンプルな成功法則「自分が勝てるところで勝負しましょう」(ひろゆき) | マネー現代 | 講談社(1/3)



勝てる分野がそもそもわからない。

勝てる分野で勝負せよ。とはよく聞く言葉だ。だが、それは何か?わかる人は多くはない。むしろ、少ないだろう。この部分に切り込んでみたい。わたしの勝てる分野は何か。自分なりの感覚を持ち、直感で最適解を得られる力?いやいや、直感で最適解ではないものを選んだとき、そのあとすぐにそのことに気づいて修正できる修正力だろう。危機を危機として認識し、そのままにしないで改善策を打てるところだと思う。問題を避けたり、問題が起きないように取り計らうことはできない。しかし問題が起きてからそれをどうすれば解決出来るかという点についてその最適解を選び取り、即実行できるという行動力かもしれない。だが、冒頭にもあったように、これがわたしの勝てる分野かどうかが重要である。わたしはこう見えてアラフォーであるが、アラフォーの周りの人間よりは柔軟な発想が出来るという自信がある。成功体験や自分なりの方法論に縛られがちなアラフォー世代において、わたしはあらゆる方法論を試すことが出来る柔軟性を持っている。その分野でなら勝てる。つまり、ひとところに留まることなく、あらゆる可能性を否定せずに出来ることからトライしていく。スピーディよりも、ゆっくりながらも的確に最適解を選びとる勇気。それを強みと言いたい。逆に苦手なものもハッキリしている。細かい作業全般だ。だが、この弱点についてはすでに克服している。スケジュールを書き出して、一つ一つこなしていけばいい。時間はかかるかもしれないが、焦って失敗するよりは全然マシである。つまり、失敗を恐れずに失敗できるところ。そして、失敗から学んで成功まで諦めないところ。それが私の強みである。成功者は誰よりも失敗した人であるとは誰の言葉だったかしら。営業という仕事もしかり。成績のいい営業は、誰よりもNOをたくさんもらう人である。営業はNOをもらうことを恐れてはいけない。NOをもらうことから始まるからだ。であるならば、諦めなければいい。諦めなければ夢は叶うという成功者の言葉がもっとも分かりやすく発揮される仕事。それが、営業である。営業にもいろんなスタンス、いろんなチーム体制があると思う。しかし、もっとも必要な要素は諦めずにアタックする精神力であり、バイタリティである。断られても断られても諦めずあと1件、あと1時間と面談、電話を重ねる。その先にある理想のクライアントとの出会いを夢見て。クライアントの夢を実現できると信じて。勝てる分野が私にあるとすればまさにここだ。諦めずに現状を楽しめるところ。無理せず自分らしく居られるところ。へこたれないタフさ。年齢に関係なく接することの出来るフラットな性格。つまり、わたしがすべきなのは、私自身を常にフラットに保つことである。それさえ出来ればあとは時間が解決してくれる。そのシンプルさこそがわたしであり、わたしの強みだ。私が全ての問題や課題を解決出来る訳では無い。そんなのは思い上がりである。出来ることは限られているのだから、与えられた範疇でやれることをする。そのために歩みを止めないこと。疲れないようにしっかり休息を摂ること。仲間との関係を友好に保つこと。お客さんを丁寧に扱うこと。それらはすべてわたしの夢を実現することに繋がる。私の強みは、私自身のことを私がしっかりと正面から捉えていることかもしれない。ここまで来るのに時間はかかったが、もう大丈夫だ。わたしは強い。わたしはもう迷わない。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210706220649j:image

なぜ今、週休3日を政府は言い出したの? 経済学者も先のわからない時代に、選ぶべき仕事とは | Business Insider Japan

 

社会が変化していく中で実は最も変わらないといけないのは自分自身である。

変化と聞くとイノベーションとか、革命とか、なにか自分とは別の何かの力が働いて物事が動くとか変化するイメージを持っている人が多いように思う。分かりやすくいえば、Appleが生み出したiPhoneが私たちの生活を豊かにしたように。Googleのサービスが私たちの生活を便利に変えたように。この週休3日制はそういう話ではない。誰かはわたしを変えてはくれない。変えるのは自分自身だ。それを実現できるのは自分だけである。学び直しというテーマは、わたしにもかなり身に覚えのある言葉だ。2019年の夏に私が思ったテーマがまさに学び直しである。この先まだ長く働くにはスキルが足らない。そのスキルを磨くべくわたしは転職を決意。本当なら転職せずにスキルアップできる方が賢いと思う。むしろそれが出来る方が幸せに違いない。だがわたしは残念なことに自分に甘かった。そしてもう一度一念発起するなら、環境を変えねばならないと強く思った。たとえそれが自分自身の苦難の道筋の始まりだったとしても。実際にそれは苦難そのものだった。けれども、それは間違いなく私がやりたいことであり、やりがいのある分野であったと同時に、わたしに決定的に足らなかった分野であった。コミュニケーション能力しかり。営業力しかり。それらの足らなかった分野の知識をわたしはどんよくに吸収することにしたのである。なぜか?この先もずっと働き続けるために。せっかく頑張らなければならないのであれば好きな分野で頑張りたい。そう思ったのである。そしてわたしは当社比約3倍の働きを強いられた。いや、今も強いられている。大分、慣れてきた感じはするけれど。人間、どんな辛い試練も1年もやってれば慣れてしまう。それが新しい基準となって私の血肉に確実になって成長させてくれるのだから、願ったり叶ったりではある。もちろんいまだ道半ばではあるが、私のやりたいことは確実に1つずつできるようになってきた。わたしは組織の中でのし上がっていきたいという欲はまるでない。それを向上心のなさと決めつける人もいるだろう。しかしそれはわたしの長年の自己分析によるものだ。わたしは人の上に立つような人間ではないし、それをしたいわけでもサラサラない。それよりも、経験したことの無いことを経験することで私の内部に新たな知識を蓄えさせ、私自身のバージョンアップをすることに主眼を置いている。マネージャーという仕事も知識や経験になるのでは?という質問は受け付けない。何度も言うが私はその手の知識はあっても使いかたが分からないので宝の持ち腐れになってしまう確率の方が高いのだ。結論からいえばわたしはマネジメントの知識はゼロである上に、生来のコミュ障が祟って、長く長期的な関係性を維持することはとんでもなく苦手なのである。苦手分野で勝負するほどわたしは愚かではないつもりだ。苦手を克服して成長を期待できるのはせいぜい20代までである。残念なことにその年代をふた周りも超えそうな歳のわたしなのだ。無理を言っでも仕方がないというのがわたしの結論である。週休3日があればわたしはどうしたいか?と言われればやはり副業兼業に乗り出したい。それは流行りのなにかというよりは、わたしの住んでいるコミュニティにおいて必要とされる分野。そのくせ中々担い手の居ないような、そんな仕事である。今ぱっと思いつくのは街の観光案内PRの仕事だったり。そんな類のものだろう。または、ゴーストライターでもいい。別に私個人が世の中に出ていく必要はないのである。街に人を呼び込むというよりは、何らかの課金システムを用意してそこに誘導するような仕事が理想である。考えるだけならタダである。言葉にして発しておくと、夢が現実になることもあるということを知っているのでわたしは妄想を言葉にすることを自分に課している。余談だがドリームMAPも好きで、もう3回ほど先の未来を描いている。最新のMAPは2024年なのでまだだいぶ先まであるがもう既にある程度叶ってしまっているのだから本当にすごいと我ながら思ったりする。この記事にあるような考え方は理想論に聞こえるかもしれない。理想論と言うとなんだか、無駄な論議に思えてくるかもしれないが、理想論でも語っておくと夢が実現する可能性は高まると私は思っている。仮に政府が週休3日制を導入したとするとこの話は絵空事ではなくなる。まあすぐには導入されはしないだろうが、今まで週5日でやっていたことを4日でやろうというのだ。そのハードルは低くはないだろうが出来なくもないだろう。わたしが去年に約3倍の働きをして1年でそのことに慣れてしまったように。慣れた、というよりは、力の抜き所を覚えたという方が正しいのかも知れないけれど。いつも気を張っていればいいというものでもないし、結局のところ、自分のペースでやるのが1番効率がいいのであって、自分の精神や肉体とも相談しながら無理なく進めていくことこそ、1人の会社員として守るべき最低限のルールだと私は思っている。目標達成など二の次だ。なんて言うと世のマネージャー職の人に怒られてしまいそうだけれど。しかし、達成させるためにどうするかを考えるのがマネージャーの仕事であり、我々のような平社員が背負うことでもあるまい。それは分不相応というものである。我々平社員は言われたことをただやると言うのではなく、言われたゴールに対していかに少ない労力で最大の効果を発揮するかである。労働力とはコストパフォーマンスに優れていなければならない。週休3日制の話に戻そう。週休3日制、大いに結構じゃないか。まぁ、この記事が指摘するように給料は減るだろう。減らしてはならない!といくら政府が言ったところでそれは無理と思った方が自然だ。給料が減るので逆にそこは大手を振って兼業副業に邁進できるというものである。ただまぁ、兼業副業については時間給のような仕事ではやりたくはない。そうではなくて、コンテンツを生み出していくら、とか。空いた時間にサッとできるような分野が望ましい。私なら広告やコピーライト、取材やポスター、映像コンテンツなどである。趣味に毛が生えた様なものかもしれない。けれどわたしには勝算がある。コンテンツを生み出すときに最も重要なものは、客観的な視点である。それをわたしは持っているし、それを表現する力もある。あとはチャンスが来るのを待つだけ……と思いたいが、まぁせいぜいアンテナを張っておくとしよう。いますぐにどうにかなるようなものでもないのだ。少しずつ夢の実現に向けて準備を進めていこう。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210701223430j:image

「FFXIV」クリスタルブレイブのIF話や「NieR」レイドで吹っ飛んでくるビルの話題も!「漆黒のヴィランズ」までの物語を吉田直樹氏にインタビュー|ゲーム情報サイト Gamer



改めてFF14について語ろう。

ファイナルファンタジー14MMORPGである。MMORPGとはたくさんのプレーヤーがひとつの世界を共有しつつも、同時に存在できる奇妙な世界だ。それぞれに共通のメインストーリーが存在する。キャラクターごとに固有のストーリーがあるわけではない。楽しみ方で言えば世界中から集まったプレーヤーたちとの一期一会が1番の醍醐味だろう。思わず異性と気軽に交流することもあるだろうし、突如外国圏のプレーヤーと繋がることもある。そんな驚きを家にいながらにして味わえるのが、MMORPGの素晴らしいところだし、わたしも好きな理由の一つだ。わたしはファイナルファンタジー14が初めてのMMORPGなのでほかと比較することはできないが、わたしがこの世界に降り立つことを決意した1番のきっかけは、ソロでも楽しめるという懐の広さだろう。マッチングシステムでダンジョンを攻略していく部分はあっても、それを除けばソロプレーヤーでもストーリーを進めることが出来る。MMORPG初心者の私にとって、見ず知らずの誰かとマッチングしてダンジョンに突入することは、二重の意味で難問だった。ひとつはネット上で知らない人と遊ぶことの恐怖。もうひとつは、知らないダンジョンを初見でプレイしていいのかという不安だ。後者については予習という文化があるので、予習すればある程度は軽減される。しかし、予習はあくまで予習。本番とはまるで違う。同行したプレーヤーが予想に反する動きをることもありわたしは混乱させられた。あとは画面を広く表示させ続けることで俯瞰Viewで見れればいいがそれも初心者には酷く難易度が高い。自分が今どこにいて何をしているのか?どの敵を叩いているのか?といった至極基本的なことすら、わたしは理解するのにかなりの時間を要した。はっきりと言ってしまえば、ダンジョンを完全に覚えてしまうまで、それは出来なかったと言っていい。今思えばチャットを打つ余裕すらなかった。挨拶をマクロでしていたので1部のプレーヤーからは話せないのかとイラつかれたりもした。あまりの不安と恐怖に、ダンジョンを攻略することは1日1個と決めていたし、音楽があると焦ってミスるので、音楽も全て消していたほどだ。もちろん今ではそんなことはしない。だが、知らない人達に怒られないようにするためには無難な動きをしなくてはならず、初心者のわたしは何が無難な動きなのかもわからないままに、ひたすらほかのプレーヤーについて行く……いや、タンクだったので、誰かに教えてもらわなければ進むことすらできなかったのである。初心者はタンクとヒーラーを選んではいけない。そんな今となっては当たり前の感覚すら、当時の私には微塵も備わっていなかったのである。新生、蒼天、紅蓮と全てタンクで駆け抜けた私。途中、新生の1部の初見殺しなダンジョンに遭遇して挫折しかけたわたしだが、何度かやるうちに出来るようになった。不安でしか無かったわたしを不安の縁から救ったのは当時の私を拾ってくれたとあるFCの人達の温かさである。MMORPGでは色んな人がいる。だが、ソロで参戦したわたしには友人はいない。誰かに教わるという機会もない。そんなないない尽くしのわたしにとって、当時のFCのみなさんの気さくなトークや雰囲気はとてつもなく暖かく感じられた。それまで都会に1人で上京した田舎者という立ち位置だったわたしが、仲間という心温まる存在に助けられ、ようやくMMORPGの面白さを理解することが出来た頃、わたしにとある事件が起きる。それまで仲良しに見えたFCのメンバーが、2つのグルーブに分裂してしまったのだ。つまり、FCの人気者だったサブリーダーが、リーダーと決別し、仲良しメンバーを何人か連れてFCを脱退したのである。そしてFCハウスの目の前に別のFCハウスを建てたのだ。その時は仲違いではないことをアピールしていたが、やはりというか当然FCはギクシャクし出した。そして新しいFCの名前は初期メンバーの数をなぞったものとなり、その初期メンだけが重要であるかのようなFCが出来てしまった。そしてわたしは誘われなかったので最初のFCに残留した訳だが、居心地は最悪であった。リーダーもろくにログインしなくなり、メンバーも次々に脱退。ついにわたしも脱退することにした。もちろん、新しいFCに参加することもしなかった。わたしはこの事件を通じて、仲間がこうもあっさりと分裂してしまうことを知った。顔を知らない他人同士だからこそ大切にすべき人と人との絆はそこにはなく、ネット特有のドライな関係性だけがそこにはあったように感じた。とたんに怖くなったわたしは別のサーバーにキャラクターを作成して逃げるようにその世界を閉じたのである。もう嫌な思いをするのはたくさんだ。人を信じるから裏切られるんだ。それならひとりがいい。これまでもそうして来たんだからこれからも1人で生きていく。そう思った。そこでふと思う。1人なら好きな性別も自由に好きなキャラクターを作ればいいのではないか?誰かに言われるわけじゃない。誰かを求めるくらいなら、自分自身を理想の自分にしてしまえ。例えリアルの自分と勘違いされたとしてもそこはゲームなのだから、最悪の最悪、また逃げればいい。そんなふうにわたしは思った。結論から言うと、逃げる必要はなかった。そればかりか、理想の私は多くの人に愛され、その存在を認識されることとなった。もちろんわたしにとっての多く、はそれほど多くはない。わかっている。けれど、わたしにとってはとても多くの人たちに認識された。リアルの私が体験した事のないような大多数の人達に愛されるわたし。最初こそ罪悪感や違和感が拭えなかったりもしたが、しばらくするとそれもなくなった。それよりも、わたしは私が好き!という感情はたくさんのひとの好きに繋がっていく感覚を覚えたのである。好きは好き。好きはじゆうだ。好きと言ってくれるから好き。好きはありがとう。好きだという言葉は響きあい、広がっていく心の輪だ。結論を言う。ファイナルファンタジー14MMORPGである。そして、MMORPGの醍醐味はたくさんの人と出会えること。それはわたしを見つけることである。好きな私を見つけることである。今日も好きだよわたし。好きと言ってくれるあなたも好き。好きの輪を広げて私の周りをすべて好きで埋めて行こう。それがいまのわたしの願いです。好きです。ファイナルファンタジー14

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210630215019j:image

「いい悩み方」と精神を消耗させる「悪い悩み方」をわける重要なポイント | 独学大全 | ダイヤモンド・オンライン



悩みとの付き合い方を間違えてはならない。

悩みとどうやって付き合うか。言い換えれば、いかにして悩みを軽くするか?であると思うが、どうだろう。悩みを無くすことはできないことは誰もが理解している。そもそも悩みとは①したいことがあり、それが出来ない状況である。または②した方がいいという方法を、何らかの理由で選択できない状況である。①はやりたいことがあるだけ幸せである。主に、夢や、恋愛等に多く見られる悩みだろう。夢はあるがお金が無い。夢はあるが時間が無い。夢はあるがチャンスがない。好きな人がいるが告白する勇気がない。好きな人がいるが相手にはすでに恋人がいる。好きな人がいるが遠くに行ってしまったなどだ。夢については棚上げして考えると楽になる。お金や時間やチャンスは運と割り切り、今は出来なくてもいつかできると信じることだ。そうして諦めずに努力を続けるスタンスをとればいい。叶わなくとも別の何かに繋がればそれは夢を実現したことに含まれる。恋愛で言えばそれは縁で考えるといい。好きでも縁がなければ成就しない。好きでも上手くいかないという事実は、逆をいえば好きでなくても上手くいくことがあることを示唆する。好きになることが辛ければ、好きになってくれる人を好きになる方が楽である。遠くの理想を追いかけるから不幸になるのであって、目の前にあるチャンスを迷わず手にする方が、幸せになれることの方が断然多いと知るべきだ。せっかく目の前にあっても、それすら手に出来ない人の方が圧倒的に多い。②は痛いほどよくわかる。私にもよくある悩みだ。した方がいいという言い方は、〜すべきというその人にとってあるべき姿についての思想が大きく絡む。男なら〜すべき。女なら〜あるべき。オトナなら〜すべき。とか。それは主に常識と呼ばれたり、社会人としてのコモンセンスと呼ばれるある種の強迫観念であることが多い。私はこの手の考え方に酷く悩まされてきた人のひとりだ。記憶を遡ればそれは親の言うことは聞くべきだ、とか、学校の先生の言うことは聞くべきだ、という子どもの頃の強迫観念から来ていると今は思っている。社会に出てからも様々な思想から来る押し付けともいうべき意見の数々に翻弄されて来たわたしだが、結局はどんなに正しそうな意見でも、自分の人生を決める理由にはならないという結論が私にはある。簡単に言ってしまえば私の人生を決定付けるのは、私の中にある直感である。こむづかしい論理や過去のセオリーや、先人の知恵に少し力を借りたりすることはいいが、最後の最後に頼りになるのは自分の中の直感でいい。それは絶対に後悔しないという自身の過去の経験に基づいた自信から来るものだ。直感で決めると言うと適当すぎると言われそうだが、直感を侮ってはいけない。悩んだ時に鉛筆やサイコロを振るような直感ではない。過去のあらゆる選択時に取ってきた自分の選択がどんな結果をもたらしてきたか?という直感である。過去の自分の経験との検証、または、自分らしい選択方法の検索と言っていい。それをわたしは直感、と呼んでいる。直感は回を重ねるこどに研ぎ澄まされていく素晴らしい感覚だ。それが研ぎ澄まされていく理由には、その都度本気で考え、本気で悩み、選択した結果に満足するというルーティンを怠っていないという事実が存在する。そこに絶対の自信を持つ。例え失敗したとして、そこから知見を得てきたという自信を持つことだ。失敗は失敗ではなく経験だ。本当の失敗とは失敗から何も学ばなかった時のことを言う。つまり、すべての失敗は失敗ではない。失敗で終わらせなければ勝ちなのである。諦めなければいいだけだ。そうれば例え勝負に負けても、ある意味でそれは勝ち続けることができていると言っていい。それこそが成功である。誰かの成功と比べてはいけない。まして、今よりもっとお金があれば……等と無いものを考えはじめると勝てなくなる。お金やチャンスや人間力というのはある日突然生まれるのであって、〜だといいのにという羨望から生まれるものではない。その悩みは不要だ。そんなことを考えても無駄である。そう思えて仕方ないのなら、この記事があるように「書き出して」しまえばいい。まさにわたしがこうしてブログで悩みを書き出すことで「スッキリ」していることと大して変わらない。書けば楽になれる。それだけでいい。何も変わらない?確かにそうだ。だが、心の負担を軽減することはできる。心の負担が軽くなれば考える余地が生まれる。考える余地が生まれることで人は明日を夢見ることが出来るようになる。明日を夢見ること。それこそが夢だ。夢を見るだけの余力が生まれるのだ。それを人は希望と言うのであり、夢を実現させる原動力である。つまり悩みをコントロールすることはすなわち夢を実現させる第1歩であると同時に夢を育むエネルギー源である。なーんてね。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210626020915j:image

【FF14】『暁月のフィナーレ』新要素のアートまとめ。新ジョブ、新規フィールド・都市、新たな脅威などをチェック!【随時更新】 - ファミ通.com



あらためて思う。FFとドラクエ

よくよく考えて、ファイナルファンタジー14の新パッチの発売まで約5ヶ月はある。だいぶ先だ。それまで何をして待っていようか。そんな矢先、わたしはドラゴンクエスト11Sをプレイしていないことに気づいた。そして体験版があることも知らなかった。それならやってみようと久しぶりにPS4を起動した私。それからドラゴンクエスト11Sにドハマリしてしまった。わたしはファイナルファンタジーを好きになる前はドラクエ派だった。と言うより、ドラクエしか知らなかった。ドラクエの良さは誤解を恐れず言えばわかり易さだと思う。どこに行って何をすればいいかという指示が的確で無駄がない。ストーリーも凝っていてとにかく安心して楽しめる。シナリオ、ゲームデザイン堀井雄二さん、キャラクターデザインの鳥山明さん、音楽のすぎやまこういちさん。御三方の素晴らしいセンスに彩られ、ゲームとしての完成度が高い。隙がない。特にわたしがいまハマっているドラゴンクエスト11Sはビジュアル面でのクオリティが素晴らしい。ストーリーもいままでにありそうでなかった展開だ。キャラクターデザインも過去の作品を踏襲しつつも新しい試みをしていて好感が持てる。エニックスらしい中身の良さと、スクウェアの美麗なグラフィックスがベストマッチした作品だと感じる。音楽も素晴らしい。ドラゴンクエスト8から始まったスクウェア・エニックス体制による新しいドラゴンクエストの最高到達点ではないだろうか。今まだ最序盤ではあるがとても面白い。特にファイナルファンタジー15をプレイした私からすると、キャンプが出来たり、仲間と楽しく会話しながら冒険したり、写真を撮ったりできるのは、ファイナルファンタジー15で楽しくプレイしていた私からするとすんなり入り込めた。そういう意味からすると、ファイナルファンタジー15で成しえなかった数々の惜しい点を、ドラゴンクエスト11Sでは見事にクリアしていると思う。ストーリーの面白さ、バトルシーンの軽快さ、仲間との冒険の奥深さ、どれをとってもファイナルファンタジー15では実現できなかった魅力に満ちている。比べるのも変な話だが同じスクウェア・エニックスが作っている作品であることを考えると、ちゃんと反省と改善が生きていると感じるのはどちらのブランドのファンだとしても純粋に喜ぶべきだろう。よくドラゴンクエストファンはファイナルファンタジーファンを嫌っているという話を聞くが、わたしのようにどちらも好きだというファンもいる。確かにドラゴンクエスト10は残念なことに楽しめなかったわたしではあるが、このドラゴンクエスト11Sは素晴らしい作品だと断言したい。特にベロニカが可愛い。ララフェル好きとしてはたまらない。見た目は子供ながら中身は大人という私好みドンピシャのキャラクターで、しかも着せ替えを楽しめるうえ、記念撮影も楽しめるのだ。わたしは両手を腰に当ててふんぞり返るベロニカを見る度に「あぁ、ララフェルだ」と感じ入るのである。ベロニカのコスプレでもしようかしら。ファイナルファンタジー14で。とにかく可愛くて私好みなベロニカを育てたくてまんまと製品版を購入したと言っていい。それは過去に好きだったドラゴンクエスト6のバーバラのデザインを見て6を買うことを決めた時と同じだ。また、ドラゴンクエスト8ゼシカもかなり私好みではあったが、いかんせん、ゼシカのあざと過ぎる体つきにややコレジャナイ感を感じてしまい、さらにドラゴンクエストの迷走ぶりを感じてしまった当時の私は結局初めてクリアせずにやめてしまったドラゴンクエスト作品になってしまった(10もクリアしていない)。あれから10数年。ドラゴンクエストは進化した。ドラゴンクエストらしい表現を残しつつグラフィックを向上させたのだ。そしてフルボイスという豪華な仕様。ファイナルファンタジーの最新作があれだけ豪華な仕様だったにも関わらず駄作のレッテルを貼られてしまったのに対して、ドラゴンクエスト11Sは素晴らしい作品となったと言えそうだ。1部でSwitch版を買ったコアなファンからPS4版のSは酷評されているという声も耳にするが、これまで頑なにドラゴンクエスト11をスルーしてきたわたしがこの、ファイナルファンタジー14の最新パッチまで5ヶ月あるというナギ節にこのドラゴンクエスト11Sを選んだことはまさに正解であった。存分に楽しむことにしよう。ここでふと思うのが、ドラゴンクエストファイナルファンタジーのふたつの作品群の辿ってきた軌跡の違いだろう。ドラゴンクエスト堀井雄二さんという生みの親が今も手がけている。ドラゴンクエストは回を重ねる事により深く成熟し、まるでワインのような見事な芸術作品となっている。伝統をしっかりと守りながらも、新しい表現、違った試みを少しずつ取り入れ進化してきた。12ではまたダークな世界観で大人なドラゴンクエストに挑戦するらしい。楽しみである。一方のファイナルファンタジーはどうか。ファイナルファンタジー9を最後に、坂口博信さんはファイナルファンタジーから引退。10からは別の人が引き継いできた。北瀬さん、野村さん……様々な挑戦的なクリエイター達がファイナルファンタジーという作品に挑み、新しいファイナルファンタジーを模索してきた。映画を見るような感動的な10、オンラインゲームとして船出をした11、タクティクスの世界観を取り入れたひと味違う12、野村さんらしい近未来感に彩られた13、我らがよしPが海外のオンラインゲームを超えるために海外目線で再構築した14、13の派生作品から脱皮して旅をテーマにオープンワールドに挑んだ15……。ファイナルファンタジーとは挑戦の歴史だと言える。最新のグラフィックを駆使しつつ、新しいゲーム体験を生み出そうとする日本のクリエイター達の血と汗の戦いの跡である。だから時に歪だし、未完成である。ファイナルファンタジーとは何かに挑んだ結果、空中分解しそうになりながらも、作品性と売上とを両立させることを期待されるビッグタイトル。ドラゴンクエストのように決まった見せ方などない。ドラゴンクエストのようにトップクリエイターが最初から構えている訳でも、ない。いつもあらゆる制約とせめぎあいに押しつぶされそうになりながら、1歩ずつ歩んでいく戦いの歴史。それがファイナルファンタジーであるかのようだ。先日のファイナルファンタジーオリジンもそうだった。面白いかどうか?は未知数。方向性もあやふや。誰もわからない。荒削りな仕上がりになることの方が多い。なぜなら、過去にファイナルファンタジー挑戦したクリエイター達は皆、ファイナルファンタジーから卒業していくからだ。1度きりの大勝負。ファイナルファンタジーに関わるということはまさにそういう覚悟を求められるのかもしれない。刺し違えてでも、ファイナルファンタジーを、自分自身の力を出し切って自分のものにする。そんな覚悟を求められているのではないだろうか。坂口博信さんはミストウォーカー社で、話題作となった新作「ファンタジアン」をAppleアーケードで発表した。あれは紛れもないファイナルファンタジーだった。あれをフルボイス付きの完成版としてPS5で発表出来れば、間違いなく名作となるだろう。わたしがドラゴンクエスト11Sで感じたこの安心感をきっとファンタジアンでも感じることが出来るに違いない。わたしはファンタジアンは残念ながら途中でプレイすることを辞めてしまった。それはスマホで遊ぶというプレイ環境の悪さが際立ったからである。具体的には大きな画面に写し出せないというデメリットである。ミラーリングでやればいいかもしれない。しかし、起動できるか?カクツいたりしないか不安になりながらプレイするのはいちゲーマーとして耐えられなかった。やはりゲームはハードに対する安心感が先ず必要なのである。その点において、ファンタジアンを動かすiPhoneというハードは決定的に能力が足らなかったのだ。PS5を手に入れてプレイしてみて、ますますそう思う。ファイナルファンタジーとは何か。ドラゴンクエストとは何か。一言で言えばそれぞれ日本が誇るゲームタイトルである。と同時に、ドラゴンクエストは日本国内向けであるのに対して、ファイナルファンタジーはどこまでも海外向けである。ドラゴンクエストを好きな海外勢もいるだろうが、どうしても子どもっぽい。ゲーマーの年齢層は子どもか、または私たちのような社会人だ。そうすると子ども向けに作られたドラゴンクエストはどうしても日本的な目線が目立つ。海外の子どもが楽しめる内容か?と言われればその答えは懐疑的だ。一方のファイナルファンタジーはオトナ向けか?と言われればそれもまた懐疑的である。しかし、HDゲームとしてファイナルファンタジー15は日本のゲームの底力を世界中に知らしめた。その結果としてファイナルファンタジー7リメイクの期待感がある。今はまだファイナルファンタジーとして最高レベルの最新作を世に出せていないかもしれない。しかし、そのポテンシャルはある。ファイナルファンタジー7リメイクで分かるように、圧倒的に時間とお金と才能が足らない。世界のゲームと対等に肩を並べるには余りにも足らないものが多すぎる。世界一のゲームを目指す必要があるのか?ニーアオートマタのようにニッチなオトナ向けアニメ風ゲームの大ヒットがその答えになるのかもしれない。オトナ向けのゲーム。それはドラゴンクエストファイナルファンタジーも次の作品で提案してくるだろう。これからはオトナ向けに作らなくては世界に通用しない。任天堂のゲーム作りが素晴らしいのは、子ども向けに特化しているからだ。PS5はそうではない。もちろん、ドラゴンクエスト任天堂でも発売されるだろう。だが、子ども向けゲームデザインで世界に通用させようと思ったら、どうぶつの森であったような、世界共通の世界観でなければならない。それは、ドラゴンクエストでも、ファイナルファンタジーでも出来ないだろう。だからこそ、その世界を好きになってくれる往年のファン。すなわちオトナ向けのゲームとしての挑戦をせざるを得ない。次のふたつの作品こそガチンコバトルとなる。私はそのふたつの作品をどちらも心から楽しみで仕方ないのだ。

 

それじゃぁまたね(了)


f:id:ryoushitsu-musica:20210623001608j:image