ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「ゲームは勉強の邪魔」と見下す大人達の勘違い | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



ゲームが好きと頭がいいに関連性を見出そうとする記事。

という一言に尽きた。ゲームとはなんだろう。まずはそこから紐解いてみる。ゲームとはなにか。大きくわけて2種類ある。ひとつはプログラミングされた世界の中で用意されたストーリーをただ辿っていくもの。つまり、ソロで始まりソロで終わるもの。もう1つが特定のルールに基づいた試合に2人以上で挑み、戦い、勝ち負けを競うもの。つまり、eスポーツである。このふたつをゲームと一つにまとめてしまってはあまりにも乱暴過ぎだろう。つまり、前者は確かに広がりがない。ゲームとしてPvPの勝負を前提としていないゲームは何も生まない。パズルゲームを達人並に上手くなってもせいぜい動画を配信するときにチヤホヤされる程度だ。それでも次々にあらゆるパズルゲームをこなして行けばそれはそれで需要はあるだろうが。しかし、ここに研究の余地はあっても、将来性は限りなく低い。それがゲームをすると頭が悪くなるという考え方を産んだ理由の一つだとおもう。ゲームは誰かの作った物語をいかに上手にクリアするか?というだけならば。後者はどうだ。相手がいる。それも人間だ。選手としてプロ契約して、プロの名に恥じない試合をする人ならば話しは変わってくる。それは単にゲームという種目というだけで、プロスポーツ選手となんら求められていることは代わりがないからだ。プロスポーツ選手に求められていること。すなわちそれは、人気を集めること。集客であり、宣伝であり、イメージ広告であり。それらをこなせるプロスポーツ選手であれば、その種目がバスケだろうと、サッカーだろうと、野球であろうと、ゲームであろうとなんでもいい。将棋もそうだろう。将棋をゲームだから頭が悪くなるといって卑下するようなものである。

 

確かに最近のゲームはオンラインゲームが主流でありそのほとんどが対人スキルを要する。つまり、コミュニケーション能力である。それを磨くために昔はボランティアだの、スポーツクラブなどに所属した。もちろん心身を鍛えるという意味もある。唯一ゲームが非難されるべきは頭が悪くなるではなく、体力が付かないという点についてだろう。健全な心は健全な体に宿るというあれである。

 

結局のところ、ゲームが上手い=頭がいいという訳ではない。ゲームを勝負と置き換えるなら、頭が良くなければ勝てはしないだろう。そういう条件下においては、なるほど、ゲームが上手い=頭がいいと言えそうだ。どんな勝負も勝つには頭を使わなくては勝てはしないのだから。

 

それじゃぁまたね(了)