ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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日本は破滅ルートを選んでしまった。2021年が失業 諦念 怨嗟の年になる理由=鈴木傾城 | マネーボイス



将来に対する不安はある。いや、大きい。しかし……。

不安があるからといって頭を抱えて蹲(うずくま)り、この先の未来を見る余裕すら忘れてしまうような姿勢でこの不況の嵐、リストラの嵐をじっと耐え忍ぶことが果たしてできるだろうか。わたしはそう思わない。企業は倒産の2文字をチラつかせ、大規模な店舗縮小、またはリストラを敢行する。それは不採算店舗を減らして利益の見込める店舗に投資を集約するという企業にとって最も合理的な手法である。血を流しているのに無駄にそれを放置したところで生き長らえることなどできはしない。何かで傷を塞ぐか、もしくは諦めて破棄するだけだ。その中にリストラという名で社員が切り捨てられるとして、それはある意味で正しい。企業が延命することが最後は優先される。切られた方は確かに辛いし、絶望感もあるだろう。わたしはそのことを否定もしなければ肯定もしない。それは個人的な主観だからだ。しかし、わたしはたとえリストラされたとして、それはなにか意味があると思いたい。そのような状況になったことは偶然でもなければ、誰かの差し金でもない。全て、必然であり、自らの行動が招いた未来でもある。自分を責めよと言っている訳ではない。家族が、親戚が、友人が、はたまた隣人が……などと、他人ないし自分以外の誰かを理由とする時、人はその瞬間、成長することをストップさせてしまう。成長。まさにこの言葉こそ、今の私たちに問いかけられている言葉だと思う。できないことをできないままにせず、出来ることから着実に1歩1歩踏み出すこと。それを促す社会構造の変化があり、それにわたしたちの暮らしが合わせていくしかないのだ。ただ、この記事が指摘したように、日本は衰退の一途を免れないだろう。何もしてこなかった社会がそれに拍車をかけた。なにも、偶発的な未来ではない。コロナを原因とする他責姿勢ではこの危機を打破できはしないだろう。それは確実にコロナよりも前に来ていたと考える方が適切である。コロナはそれをさらに加速させた。一向に進まなかった社会構造の変化に、一気にエンジンをかけたのである。それは私の住む地方でも明白だ。これまで私たちの地域は、昔ながらのやり方を愚直に守る保守的な地域だった。それで社会が目まぐるしく変化する中、その変化に対応せずに己の地域の中だけで循環させることで磐石な社会構造を作っていた。そのおかげで世の中が繁栄と衰退を一周するなかで、大きな打撃を受けずに生き残ることが出来たのである。しかし、それもコロナによって平均化された。つまり、分かりやすく衰退したのである。もともと変化に対応するスピードが遅い事が仇となってさらに事態は悪い方向へ向かったのである。それが地方の迎えた末路だ。これからは自分たちだけは大丈夫などと夢を見ずに、しっかりと対策をしながら模索していく姿勢が求められるだろう。そうでない会社は衰退の一途を辿るだけだ。そこにこれまでの方法論や慣習など存在しない。あるのは失敗をしても諦めずに挑戦する姿勢と、弛まぬ努力の必要性のみである。それは企業だけの話ではない。わたしたち働く側にも言えるのだ。新しいことや、誰もやった事のないことにチャレンジしていく。そして弛まぬ努力によって自らをアッブデートしていくことが求められる。もはや、時代は変化してしまった。コロナが治まったら、世の中が元通りになったら、そんな夢を見るのはもう止めよう。今のコロナの有り様こそが現実であり、コロナが治まることは決してない。それはコロナがなかった時代の過去の話だからだ。前を向くしかないのである。これは私自身に対する戒めでもあるのだけれど。

 

それじゃぁまたね(了)