ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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若者に「わかるよ」と簡単に共感すると、中年は逆に信頼を失なう〜わからないものはわからないと言おう〜(曽和利光) - 個人 - Yahoo!ニュース



だから人間関係は難しい。

若者に対する人間関係だけではない。全般だ。わかるよと言われれば何がわかるのかと言われる。嘘はいけないと言う。それでも、分かりますよね?聞かれて、全くわかりません。と答えれば、あなたは私をバカにしてるのかと言われる。では、わかりたいとは思いますが理解に苦しみますと言えば、逆になんで分からないのかと詰め寄られる。それならば、当たり障りのない反応でわかったふりをするのがいいと思ってしまう。わかったような、わからないような、曖昧さに留めることで、煙に巻く寸法だ。だかこれも直ぐにバレる。じゃあどうすればいいのと言われれば、ひたすら聞き役に徹する。そして、理解しようとする振りを続ける。もちろんわからない。逆にバカにされたりする。それでも我慢して聞くふりをする。その結果。私の心の中に少なからず重くダメージが蓄積されてゆく。それをあとでひっそりと処理するのだ。暴飲暴食、激辛、……お酒。やり場のないもやもやを1人でなかったことにする辛さ。わたしはそうやって、理不尽さと付き合ってきた。だから人間関係は難しい。難しいなりにやりがいがあればわたしだって頑張るだろう。そして仲間が出来て仲間と苦楽を共にして絆が生まれる。そんな信念を持った人に会うことがあるが、わたしはそうは思わない。他人とは付き合うだけ疲れる。1人になりたい欲は人一倍。誰かを喜ばせるためのギバーになれと言われてはや数十年。表面上の上辺のギバーを演じ続けた結果、わたしは本当の意味で誰とも共感できない、何も感じない人になっていた。共感ってなんですか?共感すればバカにされ、イラつかれるわたしがなぜ共感をし続けることが出来ると思います?真っ平御免です。正直にあれ、嘘はダメだと言いながら、社交辞令のような礼儀正しさを求める現代社会。それなら、礼儀正しくは努めますので、共感を強要するのだけはやめてくださいって感じ。努力を強いる上司はパワハラのそれだし、若い人がどれだけ失礼に見えても、間違っているとは思わない。若者に迎合したポジショントークをしたいわけでもない。単にわからないのだ、私たち中年にとっては。だからわからないものを分からないままにしておく。分かろうとすればそれは無理がある。無理があれば嘘で隠す必要がでてくる。その嘘が相手をいらつかせ、結局、被害を被るのはわたしである。今日、とある面談で相対した人が強烈であった。まるで話が噛み合わない。そのうえ、スピリチュアルな話が混じっている。話が長く、自分語りばかりしていて全くわからぬ。そして、こちらの話は全く聞いてくれない。そんな人に共感を求められた時の私の気持ちを述べよ。答え。わかりません。いや?うっせぇ、うっせぇ、うっせえわ。って感じかしらん。まるで理解ZEROでした。そしてこう思ったのです。カウンセリングや、ヒーリングを主とするサービスを提供する人は、高確率で、メンタルの特徴がある分野のみに特出していて、聞き手である私の時間や、心情や、スケジュールをまるで無視して来るという事実。15分くらいの面談を、余裕で90分くらいに伸ばせるその神経を疑っちゃう。話したいことを話してる出せ。わたし?ただそれを聞いて共感してる振りをするだけ。なぜそういう人に限って私の時間を拘束するのか。前に会った別のクライアントは、わたしを4時間拘束し、夢を実現するためのあらゆるアドバイスをしてくれた。まるで湯水のように溢れる言葉の数々。本人は与えていると思うとイライラするらしい。なので、本人の口から出ているものは与えているのではなく、漏れ出している吐息。それを勝手にわたしの貴重な時間に注ぎ込み、それが溢れようが、理解されなかろうが、自分語理が出来ればそれでOK。それは究極の自己満足だと思うのです。やめて欲しいなと思っても。共感の振りをするプロである私はおそらく相手側をイラつかせながらも、お互いに居心地の悪い時間を過ごしたに違いないと推測される。わたしは正直にゆうべきだったのか?わかりません。そして聞きたくもありません、と。そうして共感を拒否し、関係を拒絶してしまえばいい、と?そんなんできます?最悪失礼な奴だとかレッテル貼られて(事実どちらも失礼なんだろうけどね、無視しても、共感の振りしても)、さらに上の上司をだせーだの、クレームの幅が広がるだけである。そうなるともはや90分では済まないし、下手したら社長出せ、上司を出せなど、要求はエスカレート。それを私で止めて差しあげたのはある意味でもしかすると、大変な功績なのかも。

 

それじゃぁまたね(了)