ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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昔「ゲームは数千円で100時間遊べてコスパが良い」 → 大人になって時間の方が大事に 意識の変化をつづった漫画に反響(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース



時間が惜しいならゲームは無駄のカタマリ

    少ない時間で何かを得たいと考えた時、ゲームはどうなのかという議論である。たとえば、それまで30分とかかかって見ていたテレビ番組ではなく、5分で物事を理解できる解説動画や3分で笑えるおもしろ動画にその価値を見い出すようなものだ。現代人の可処分時間はますます少なって久しい。だからこそ短い時間で楽しめるコンテンツが重宝されていることは理解出来る。私自身、映画で2時間取られることは億劫であるからだ。映画で得られるような感動は、実は1曲の音楽から得られると思っているくらいである。そのため映画はよほど気に入った作品しか見ないし、映画そのものは時間的コスパが低いコンテンツだと思っている。では、ゲームはどうなのか。

 

   ゲームは時間がかかる。クリアまで早くて1日、または数日間、長いものだと1ヶ月かかることもある。わたしが愛してやまないファイナルファンタジー14に関して言えば、もう5年以上プレイしている。オンラインゲームにはクリアという概念がないので、クリアにかかる時間は、5年以上ということになる(現時点でのストーリークリアという意味で)。それはあまりにも長い年月である。2時間の映画に時間的コスパが低いと言っている私はなぜゲームにはそう思えないのだろう。その理由のひとつに、主体性がある。

 

   映画や音楽は鑑賞するものだ。つまり与えられる。それを味わったり分析したりすることはあったとしても、それを改変したり、それを使って遊ぶという感覚はない(音楽ならDJプレイというジャンルはあるけれど。いつかやってみたい)。つまり、与えられるということは学校の授業に近い。先生(=作品)から教えられるスタンスだ。つまり映画なら2時間座学を受けさせられている状態である。一方のゲームは、学校に例えると課題に近い。問題を出されて、それをいかにしてクリア(解く)のか、という頭脳プレイ(またはテクニック)を要求されている状態だ。つまり、与えられた課題(この場合はゲーム)について、どうやって短期間に回答を得る(クリアする)かという課題に取り組むといつことになる。そう考えれば、時間的コスパの是非という問題にすんなり答えを導き出せるのではないだろうか。

 

   つまり、こうだ。問題解決をするにあたり、その解決法を知っている、または思いついた人から解決(クリア)できる早押し問題のようなものだ。いかに長時間を必要とする問題であっても、その解決法を熟知していれば、解くまでの時間を大幅に縮小できる。逆に知らなければずっと悩むことになるだろう。練習も必要になる場合もある。それは、ゲームを遊ぶという行為ではあるのだが、それをクリアする(問題を解く)という目的における勉強という側面があることに気がつくだろう。つまり、知っていれば思い出してアウトプットする行為だし、知らなければ知る努力をするインプットになる時間だ。人生の様々な場面でインプットとアウトプットがいかに大切なプロセスか知っている人なら、これがとても有意義な時間になることは言うまでもない。つまり、知らないことを知ることは素晴らしい体験であり、経験となってその後の人生に大いに役立つ知識となる。それを得るための時間が短ければそれだけほかの知識を習得するための時間を稼げることになるだろう。だが、例え知らないことを知ること、または体得するために多くの時間を費やしたとして、それが知らなかった知識を得るためにその人にとって必要な時間だとするならば、果たしてそれは無駄な時間だったと言えるのだろうか。

 

   私の言う知識とは、ストーリー(物語)ではない。こんな問題が起きた時どうすればいいか?という解決法またはその考え方にこそある。つまり、知らないことを知るための冒険(アドベンチャー)である。それを「時間が勿体ないから」という理由で、全て不要であると断言できるだろうか。わたしは出来ない。それこそ知る機会を捨てることになってしまう。わたしの最も忌み嫌うことは、知らないことを知るための機会を失うこと。ゲームは時間が勿体ないからやらないというのは、まさにこの大きな機会損失となってしまうのだ。

 

   そろそろ結論。ゲームは進化した。最近のゲームは用意された物語を順番にこなすだけのお使いゲーではない。メインストーリーはそうかもしれないけれども、オンラインで繋がる知らない相手がどんな人で、どんな風に付き合っていけば仲良く遊べるのか?という試行錯誤はゲームもリアルも寸分も違わない。こと、コロナ禍の今では他人と遊ぼうにも会うことははばかれる。私個人的なことを言えば、大人になって友達ができるとは思ってもいなかった。友達を作って遊ぶことを一切して来なかった万年ぼっちな私がである。つまり、ゲームによってわたしは「知らないことを知るための時間」を得ているのである。これほど有意義な時間はあるだろうか。ゲームはリアルの模倣ではない。リアルに繋がったもうひとつの現実なのである。時間を無駄にしないではなく、機会損失をしない。真に気をつけるべきことはそちらのほうなのである。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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