ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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ラディカル(過激な)改革は ラディカルか?

34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

綴ります。

納得感のある事柄があって

「なるほどなあ」と思う。

けれど、いざ、自分目線になると

それを選ばないってないですか?

 

この記事をみて

まず思ったのはそれでした。

 

引用です。

・都市全体を売りに出す(土地が有効に活用されるようにする)
・世の中の全ての財産を共有化して、使用権をオークションにかける(私有財産制をやめてみる)
・自分の財産評価を自己申告制にして税金を支払う。より高い財産評価をする人が現れたら所有権が移転する(独占の弊害を取り除く)
投票権を貯められるようにする。そして、自分にとって重要な課題のときに、貯めた投票権を集中的に投票する(一人一票よりも投票者の選好の強さを反映できるようにする)

 

「その手があったか!」

とはなる。けれど

「…でも、どうやってるの?」

「誰がやるの」

「…え?ぼく?いやいやいやマジ勘弁」

 

ね?

 

わたしの人生では

このパターンがわりと多いなと。

あれしろこれしろ。

これした方が絶対にいいから。

そんなん言われると

「……めんどくさい」

ってなるの。

私の中にその問題が

喫緊の問題としてとらえられない。

「ふーん」

である。

やらない。

わたしの考えは違うところにある、

と思いたくなる。

それは、多分、

わたしらしさを

守っているからだ。

理解の外のことを言われると

とりあえずメモする。

けれど、それを今みるのはいや。

あとでいいじゃん。

ってなる。

 

それでずっと埋もれてしまう。

でもね。

わたし、それを見返すこと。あるよ?

ちゃんと思い出せるよ?

私の中のマイルールで

理解できないことがあると、

一旦横に置くの。

そして1日寝かせる。

翌日、フラットな感性のときに

見る。

心が落ち着くまで時間がかかるの。

落ち着かないと、理解できないから。

理解できないと、

だめだから。

 

本書によれば、フェイスブックが毎年生み出している価値のうち、プログラマーに支払われる報酬は約1%にすぎないそうだ。そして価値の大半は、「データ労働者」であるユーザから無料で得ているのだという(一方でウォルマートは生み出した価値の40%を従業員の賃金に充てている)。

この問題をどう考えればいいだろうか。個人情報の保護を強化しよう、あるいはプラットフォーマーという優越的な地位の乱用を規制しよう、というのが従来的なやり方だろう。

一方本書の著者らは、デジタルプラットフォーマーに供給されるデータはわれわれの「労働」であると説く。となると、われわれは、データ提供という「労働」から対価を得るために、「データ労働者組合」を作ってはどうかという。非常に興味深い概念である。

 

理解できないことは

横に置いてもいい。

けれど、それを考えることを

放棄することはいけない。

対案を考えること。

理由を聞くこと。

自分を低く評価しないこと。

そんなことを気づかせてくれる。

私が持つさまざまなデータを使うのなら

その対価を払ってください。

わたしの時間を使うのであれば

それに見合う報酬を求めてもいいはずだ。

わたしの人生だって有限だし

わたしの人生だって有価値だ。

別のブログでも書いたけど、

考えることを放棄してはならない。

思考停止は、したくない。

GAFAが偉いのではなく

ロジカルに考えることを放棄しない人が

偉いのだ。

大きいもの。

長いものに

巻かれて安心してるようじゃ

世の中渡っていけない。

考え方は、変えられる。

そう信じて。

 

ラディカル(過激な)改革は

ラディカルではない。

正当な主張である。

そんなことを

気づかせてくれた良記事でした。

 

じゃあね、またね(了)