ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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前のめりな生き方してる人はアブナイ?

貴族のような生活なのに幸せでない現代人の闇 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

前のめりな生き方?

それ、わたしじゃん。

今日も綴ります。

 

この記事によるとこうです。

どんなに物質的な豊かさに囲まれていたとしても、「孤独感」や「不安感」に常に襲われている状態では、人間は幸福を感じることは難しいでしょう。幸福感は、不安感との兼ね合いで大きく左右されます。「今のままで老後は大丈夫なのか?」という将来に対する不安感、周りは豊かだけれど、自分はそれに比べてお金がないとか、学歴やキャリアがないという劣等コンプレックス……。

こうした不安は、幸福感を相殺する原因であると同時に、さまざまな行動のモチベーションにもなります。不安から解放されようとして、人はさまざまな行動に走るのです。

 

不安があると幸福感は相殺される。

不安から逃げるようにヒトは行動する。

いけないことなのでしょうか?

この記事ではさらにこう記しています。

 

誰もがこれからは投資をする時代のように感じ、何かしないといけないという不安感、焦りを覚えます。そして、不安を解消し、安心を得るために金融商品を買う。マスメディアを中心にした、膨大なコマーシャリズムの蔓延によって、私たちは日々脅され、不安をかき立てられている状態と言ってよいのです。

このような慢性的な不安感の中で、しだいに精神がすり減り、うつ病自律神経失調症など、心の病に陥っていく。資本主義社会が成熟するほど、心を病む人が増えるというのは、そんな構図もあると考えます。

いや、分かってるよ?

そんなこと。

その煽りの情報から

取捨選択してるの。

より良い未来を選んでるの。

さらにこんな指摘も。

どうも最近、「教養を身につけなければこれからの時代は生きていけない」というような強迫的ニュアンスで語られていることが多いように感じます。私はこの状況を、「脅迫としての教養」という言葉で表現しているのですが、ついに教養そのものも、現代の商業主義の中で、「脅し」の材料になり果ててしまったようです。

本来、教養は精神的なゆとりの中で育まれるものだと考えます。不安を解消するために身につけるものではありません。教養はそれを身につけようとして得るものではなく、結果として身につくものだと考えます。「脅迫としての教養」は教養そのものが目的ではなく、将来のポジションを得るため、より高い収入を得るため、といった別のところに目的がある。教養を1つの手段として見ているわけです。

ここに大きな疑問があります。

精神的なゆとり?

そんなもの、あるわけないですよね?

そのゆとりをえるために

勉強するんじゃないんですか?

教養は手段です。

スキルです。

なにもしなくて手に入るものでは

ありません。

収入を得るために勉強することの、

どこがいけないのですか?

さらに続きます。

情報感度の高い人ほど、世の中の動きに乗り遅れると大変なことになると危惧し、知らないうちに流行やコマーシャリズムに乗せられてしまいます。

本当は他者の思惑に乗せられているのですが、そういう人に限って自分で選択した行動だと思い込んでいる節があります。そして何でも先取りしている自分に満足していたりします。主体性があるようでない。能動的に活動しているようで、実は受動的。

私はこれを「前のめりな生き方」と称しているのですが、情報社会の中で何かに突き動かされるようにして前に前にと進んでいく。常に前傾姿勢で進み、倒れる前に足が出る感じ。そのままどんどん加速して、脇目もふらずに突き進んでいくイメージです。

受動的?

いいじゃないですか。

気づいたんだから。

動くでしょ。

走り出すでしょ。

やりたいことを見つけたんだもの。

私の人生の指揮は私が取るんです。

 

そして結論は次の通り。

そういう人はどうなるか? スピードが加速度的に上がっていき、最後は次の足が出るのが間に合わず倒れてしまうか、あるいは何か障害物にぶつかってしまう。つまり挫折したり、メンタルを病み、自滅してしまう。そんな人が少なくないように思います。

 

挫折?自滅?それこそが

現状を変えようとする力を

得られるチャンスです。

成功は希望や幸福感から生まれますか?

いいえ。不安や絶望からです。

このままじゃいけない。

現状を打破しなければ。

そうしなければこの漠然とした不安に

追いつかれてしまう。怖い、逃げたい。

不安から逃げたい。その想いが

秘めた力を呼び覚ますのです。

そこに、現状を変える力があるのです。

落ち込んでいてもはじまらない。

落ち込むこともあります。

けれど

前に、

前に、

前に、

この筆者のいうとおり、

前のめりな生き方をしなくちゃ、

わたしはわたしを

維持できない。

わたしはわたしを

諦める訳にはいかない。

不安に勝つために。

 

そんなわたしにあなたは、

希望ではなく。さらなる

不安を与えましたけどね?

言葉は悪いのですが、少し不真面目に、斜に構えてものを見るくらいでちょうどよいかもしれません。ただし、本当に斜に構えてしまうと、斜めから物事を見続けているうちに、見方が歪んでしまうということもあるでしょう。

そこで「人よりも半歩遅れて進む」という考え方をお勧めします。詳しくは拙著『メンタルの強化書』に書きましたが、世の中の流れと一緒になって、前のめりに進むのではなく、あえて「半歩遅れて」物事を見るのです。

少し引いて物事を見ることができますから、全体像がよりはっきりとわかります。そうやって少し時間を稼いで判断する。テンポの速い時代はそれくらいがちょうどいいのです。「前のめり」でがむしゃらに頑張っても、気がつくと誰かの思惑に都合よく踊らされている可能性もあります。そして知らずのうちに心身ともに疲弊してしまうのです。

疲弊せずに暮らすために

まだ体力も気力もあるうちに

頑張ってるんです。

都合よく踊らされる?

そういう人もいるでしょう。

しかし一つ一つ真偽を確かめるほどに

時間は待ってはくれません。

それならば。

手当り次第にはなるけれど。

やれることをやる。

その手数の多さに結果は付いてくるのでは?

考えたって。動けなくなるだけ。

失敗を9つ重ねたとしても

最後の10で上手く行けば万々歳。

 

たしかに疲弊という言葉は

わたしにささりました。

はい、たしかに疲れます。

 

そんなわたしのような生き方に

警鐘を鳴らしてくださり

ありがとうございました。

とても勉強になりました。

 

けれどわたしは止まりません。

経験値を貯めるために。

進みます。

それはセミナーとか、教材とか、

オンラインサロンではありません。

私の中に眠るコトバ。

私の中にないコトバ。

それらを探す無限の旅を。

当てもなく。

彷徨いながらも。

 

前に進む所存です。

 

このブログを読んでくれたあなたは

わたしがどうなるのか、見届けてね。

 

 

それじゃ、またね(了)