ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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小説家が明かす「一文が長すぎる文章」の問題点 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



文書を短く!と、よく怒られたものだ。

一文が長い!、主語と動詞(結論)の間に形容詞を添えていくと……長い長い長い!

結論から言おう。文章のてにおはは、慣れである。慣れなくして上達なし。ただひたすらに書くべし書くべし書くべし!

 

わたしも長い文章をタラタラ書くのはあまり好きではなくて。端的に表せればそれに超したことはない。しかし、硬い文書になればなるほど一文は長く続く傾向にある。だがここで1つ注意しなくてはならないことがある。それは理解されやすい文書と、言いたいことを100%伝えられる文書は、違うということだ。

 

なるべく簡素化させて表現することで理解はされやすくなる。しかし、理解されやすくない感情や状況を伝える場合はどうだ?理解されにくい内容を端的に説明することは不可能である。しかも、それを「伝わる」ものにしなくてはならないとしたら。もはやそれは事例を用いる他あるまい。例えば〜である。

 

まぁ学校の勉強じみてきたのでこの辺で割愛させてもらうけれど、伝わる文章と理解しやすい文書は、結局のところどちらもほとんど同じ理由によって成り立っていると思われ。それはすなわち、書き手の素直な性質。書き手がひねくれていると伝えたい内容もひねくれ、複雑化。書き手が素直であれば出てくる感情も素直だろう。まあ、素直すぎて伝えたいことがすぐに伝わるのだとしたら、わざわざわたしみたいに延々とブログを書き連ねる必要は、そもそもないのだが。

 

もうおわかりですね?わたしは圧倒的にひねくれている人です。ひねくれていて、ねじまがっていて。難解で。だから、理解されにくい人生を送ってきてのです。いまもそうだけど、それでも。この文章を読みといてくれるあなたがいてくれればわたしなそれでよしとする。

 

それじゃぁまたね(了)