ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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コーネリアスでマラソンを走ってみようと思う。(「太陽は僕の敵-The Sun is My Enemy」('93年)のみ): kenzee観光第二レジャービル



少し前の記事になるが。

あらためて振り返っておこうと思う。そう、コーネリアスこと、小山田圭吾さんのことだ。いや、なにも、例の件をぶり返す気などさらさらない。彼は悪いことをしたのだ。それは当時でもかなり批判されるべきものだったが、サブカル特有のカモフラ効果によって世間の目にいい意味でも悪い意味でもとまらなかった。それが今回のようなハレの舞台に立つ時にクローズアップされてしまったのだ。出る杭は打たれるというが、今回のケースはどうだったのだろう。因果応報と言えばいいのか。いずれにせよ、彼は裁かれたわけである。

何度も言うが私はその話を蒸し返したい訳では無い。私程度の小粒のブロガーが何を言ったところでまるで意味をなさないことは自分でもよくわかっている。だからではないが、わたしはこの件については一貫して「仕方がない」と思うようにしているのだ。では、いまさらなんの話しをしたいのか?と言われれば、もちろん別にある。そう、彼が私たちに与えたある種の希望(のようなもの)のことだ。

 

彼をはじめて知ったのはわたしは姉の影響であった。当時、学生たちの間ではメインストリームを愛する一般層のほかに、まだ誰も知らないようなものを深く愛するオタク層が存在した。彼らは深く闇に潜み、彼らの崇拝する偶像を見つけては密かに愛でるという行為を主な活動としていた。そこには、誰かに分かってもらおうとか、この良質な音楽を世の中に広めようなどという外向きの気持ちは皆無に等しかったと言っていいと思う。つまり自分だけが見つけた宝物を誰の目にも触れないところで密かに取り出して目いっぱい愛情を注ぐような。そんな秘匿めいた愛し方だったように思う。それはなぜそうなっていたのかは諸説あるだろうが、ひとつは、誰にも理解されない芸術をわたしだけは理解出来ているのだ(だからわたしはオシャレだ)という考察が存在していた。それは誰にも理解されないわたしをその偶像に見出して、自分自身の存在意義を見出そうとする試みであった。つまり、友達からも理解されない趣味を持っている私は、現実では迫害されているような酷い扱いを受けているものの、自分と同じような境遇でかつ、才能を開花させているアーティストが居た場合、それは自らの境遇を重ね合わることで自らを美化、ないし肯定できる唯一無二の解決策であり、それをもたらす唯一の存在だったのである。つまり端的に言えば、わたしはわたしのままでいいという自己肯定感そのものであった。

 

私たちのような日陰者は、今もいるだろう。しかし、当時はそう言った環境にいる人同士で繋がることは稀であった。奇跡であったと言っていい。だからこそ、自分自身の内面と向き合うことが義務付けられた。しかし、いくら内省しても答えがでないのである。不安は不安を産むばかりで、ちっとも救われる気配などなかったのだ。そして私達は彼らに出会った。そう。フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴオリジナル・ラブらに代表される音楽。通称、渋谷系である。

 

もう少し私を定義する。私は片田舎の地方住みで流行りの音楽など触れることはほとんどない街で育った。流行りの音楽を聞こうとするなら、電車で片道1時間半の都会にでないと行けなかったし、それらの情報を事前に知ることは不可能であったのである。つまり、最新のオシャレを知るには自ら都会に出向き、自らの力で情報収集することが必要だったのである。以上回想終わり。

 

そんなわたしにとって、音楽とは、わかりやすいオシャレそのものであった。昔から母に連れられて向かったスーパーで気になっていたのは目の前のお菓子よりも、店内でかかっていたBGMの方だったし(ボーカルなしのやつね)、ラジオを捻っては流れてくる往年のヒット曲の中で本物の音楽(主にビートルズディスコサウンド)に感動して曲名とアーティスト名をひたすらメモする子どもだった。そんな私からすると、本物=手の届かないもの=夢という図式だったのである。そして、わたしは彼ら渋谷系の人達がしていることを、即座に理解した。あぁ、この人たちは本物を理解している、と。そして、こう思ったのだ。本物を再現しようとしているのだ、と。

 

小山田圭吾さんは、小沢健二さんとコンビを組んでいた(最初は5人)。それがフリッパーズ・ギターである。その彼らから本物を知る喜びを得た私は彼らを天才かのように崇拝した。誰も理解できないでいたのは彼らが劣っていたわけではなく、聴く人の審美眼が鈍っていたからであるとさえ思っていたのである。その後、解散して、小山田圭吾さんはコーネリアスと名乗った。それは彼の好きな映画から取った名前だが、1人ユニットという形式すらわたしには理解の範疇を超えてカッコよく映った。分かりやすくいえば、一人でいることの肯定であったように思う。彼が一人でいるにも関わらずカッコ良さを提示できていることにわたしはむせび泣くほどの高揚感を得た。彼のように1人でもカッコよく生きたい。そう思ったわたしは地元を飛び出して一人暮らしを都会で始めることとなったのである……。

 

今回のオチと言うかまとめ。彼の音楽は確かに今聴くと限りなく本物に近いニセモノだった。それを、良しとしている雰囲気すらあったように思う。つまり、嘘で塗り固められた虚構のHERO。それが小山田圭吾さんであった。そこには努力なんてかっこ悪いというマイナスの側面もあったことはここで明記したい。わたしは彼のそう言う悪い所を真似てしまって大変に苦労してしまった。しかし、何度も言うが後悔はしていない。そして、感謝しているのである。彼は、あの当時、紛れもなく私たちのような日陰者のHEROだった。田舎者のHEROだった。彼の粗暴が悪かったとしても、それはアンチヒーローとしてカッコよく映った。そんな有り得ないほどのブラックヒーローがいてもいい。そういう事実は私たちを勇気づけた。その事は今でも変わらない。間違いなく、93年当時の彼はヒーローだったのである。特に田舎者の私たちにとっては。それだけはここに明記しておきたい。

 

それじゃあまたね(了)


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