ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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「失われた40年になりかねない」2度目の緊急事態宣言が残す禍根 「貯蓄が正義」で日本経済が凍り付く (2ページ目)



貯蓄こそが正義は攻め手としては最悪だ。

コロナに勝つ、ということではないが、現状を打破するという意味で考えた時、それをもっとも成功させる手段のひとつが、あらゆる手を尽くす、である。決して籠城戦をせよというわけではない。私の知る限り、籠城戦で勝利を収めるケースというのはないと思っている。それは時限装置付きの策だからだ。つまりある一定の期間を潰す、ないし、いなすために、敢えて自分自身を苦境に立たせることで相手の油断を誘う戦法だ。もうお分かりだろう。油断を誘ったのち反撃に出る。それがセオリーである。今回のコロナに打ち勝つ方法に置き換えて考える。先程の籠城戦は、つまるところ、貯蓄である。お金の支出を極限まで抑え、耐え忍ぶということを指す。それは時限装置付きの策だ。それはいつまでのことなのか?2月7日か?それが延長されたらどうなる?もはや打つ手なしか?そうなのだ。あくまで籠城戦(ここでは貯蓄に専念する)は、相手(つまり人間が相手だ)が居て、虚を衝くための戦法である。ここで言うコロナとは人間では無いので、一体なんのどの部分に対して虚を衝くのだろうか。そんな物は全くもって意味をなさない。闇雲に浪費せよとは言っていない。しかし必要な策を講じるのに際し、必要な経費が伴うのは当然のことだ。攻撃こそが最大の防御である。この言葉こそいまの私たちが心に刻まなければならないワードそのものだ。あらゆる手を尽くし、あらゆる可能性を考慮してどちらに転んでも大丈夫なように先手を打つこと。それは貯蓄で賄えることでは決してない。無賃乗車(ネットでいえば無料ダウンロード)で乗り越えられるほど、この荒波は優しくはないのだ。そのことはもう去年嫌というほど理解してきたはず。だからこそ、今回の第2の緊急事態宣言を受けても人々はもう自粛など無意味だということを理解した。自粛によってコロナは抑え込むことは出来ない。いまピークを迎えている感染者数はもう止められはしないだろう。それを無視して自由に過ごすべきと言うつもりはない。可能な限り対策をし、なるべく外出は控える。その上でなにもせずダラダラと部屋の中で過ごしていればいいのではなく、ある意味で外出していた頃の2倍、3倍は危機意識を持って、あらゆる可能性や対策に気を配っていくことが大切だ。ここでものを言うのは危機意識である。もしも〜になってしまったら。例えばもしも自分が感染してしまったらという最悪のケースを想定し、そうなったとしてもなんとか生活できるだけの危機感を生活レベルにまで落とし込む。怖がれという意味ではない。怖がってもなにも進まない。事実として。感染者が増えており、病院は針のむしろのような危機的状況だ。いま病院にかかることは得策ではないし、万が一入院となってしまえば、受け入れ先が見つかることはほぼ絶望的と思ってほぼ間違いないだろう。少なくとも私の親戚にも、病院でコロナにかかり、亡くなったという事例がある。これはニュースにもなったわたしの身内の話だ。実際にどう防げばいいか。まずはマスク。そして、なるべく一人で行動すること。最後は手洗いうがいである。この3つを遵守していくこと。飲み会?キャンセルしかない。新年会?同じことだ。友人との約束?それも取りやめ。家族会?万が一を考えればそれもすべて取りやめる。それほど危機意識を持って臨む。そのことであらゆるお店が窮地に立たされているだろう。仕事上とても身近に感じる。しかしだからもいってそれを変更することはできない。お互いにメリットのりデメリットのほうが遥かに大きくなってしまうからだ。地域のお店、贔屓の店が窮地に立たされていることに対して私たちがすべきことは、必要な物資(食糧など含む)をちゃんと地元のお店で買うということ。そして、飲食店を利用する際はいつも寝食を共にする家族単位で行う。その他の家族との交流は全て断る。それが万が一に備えた対応である。話は戻って貯蓄だ。貯蓄こそが正義とは、お金をかけずにできる対策のみをすること、または一切何も対策をしないという選択に見える。そう出ない場合もある?アイディアを駆使してお金をかけずにこの危機を乗り越えられる?それこそ傲慢な考えだ。いまこそ持てる力を結集し、使える予算はしっかりと無駄なく使い、この難局を乗り越えなくてはならない。そこに費用削減とか、ましてや貯蓄という名の無策に陥ってしまっては、籠城戦を無期限に行うことと同じくらいに無謀なことだ。貯金を全て使い果たせと言っていない。ただ必要な経費は惜しんではないけない。もちろん最悪を考えて予備費として整えておくことは必要なリスクヘッジである。だがそれはあらゆる手を尽くした上でなお、余る費用に対してどれだけ余裕を残せるかという考え方であって、嵐を凌ぐのに傘もカッパもなしでどうやってできるというのか。そんなことができるのなら、こんなにも世の中が大混乱に陥ることはなかったのである。そのことが、この問題の難しさを表している。つまり判断を行う経営陣にこのコロナ禍の本当のスピード感や危機感は理解し難いのである。これまでもなんとかやってきた偉い人たちはこれからもなんとかやってゆけるという楽観論があり、それだけで頭の中はほぼ占められていると言っていい。ソースは私だ。そうでも考えないと、これだけ過去にロールモデルを見出すことが難しい環境になかったからではないだろうか。全てを調べた訳では無いため1部不明瞭な箇所があるかもしれないがそれでも、私たちは明日を信じてできることからやらねばならない。それは時間との戦い?いや寧ろ自分自身を改造することを躊躇しない勇気が試されている。わたしはそう毎日感じている。自分を信じてなにか重要な選択をする。まさに。これです。

 

それじゃぁまたね(了)