ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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日本人は年功序列の弊害の重さをわかってない | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



まさに真実だ。しかし。

年功序列が原因だとする論調はどうだろう。年功序列があるからいまのレガシー問題が生まれたのだろうか。しかし、素晴らしい指摘だと思う。中でも日本の企業における経営者は、その会社のジェネラリストであり、その会社のことを掌握できるプロであるが、他方で、他の会社で通用するか?というと、懐疑的であるという指摘には脱帽だ。その通りと思う。仕事柄、中小企業の社長によく会うが、まさにそんな感じがする。私の務める会社もそんな感じだ。むしろ、いかに、自分の会社にどっぷりと浸かり、乗りこなせるかというスキルが、経営者として最も問われている素質なのだと痛感する。それは、他の会社では全くもって通用しない。他の国では、経営者は専門家らしい。中国でもそうなのだろうか。なぜ日本はそうなってしまったのか。過去の高度経済成長期はそれでよかったという。しかし産業革命以来の技術革新であるインターネットの普及は日本型の年功序列では太刀打ちできないビジネスモデルであった。そして能力のある若手ないし、若い才能が次々と日本企業を追い越してトッププレーヤーになっていった。日本にもそういう天才はいるだろう。ぱっと思いつくプロの経営者は誰か。わからないが、堀江貴文氏を想定してみる。彼はあらゆる事業に対して柔軟である。そしてスピーディだ。そこに日本型の年功序列型の組織は感じられない。あるのは能力主義のそれのように感じる(実際はわからないけど)。堀江貴文氏を嫌う人もいるだろう。彼はワンマンで、優しくない人種だと揶揄する向きもありそうだ。だがことさらDXが叫ばれる今、彼ほどその分野におけるプロはなかなかいないのでは無いだろうかと思う。もちろん、日の目を見ないだけで敏腕の経営者はたくさんいるだろう。けれど誤解を恐れずにわたしの感じることを述べると、日本のプロの経営者はすべて、自分ルールで動いている。その自分のルールがいかに自分が輝くための最も簡単で確実で効率の良い方法論だということを熟知している。日本におけるプロの経営者は、自分を活かすプロと言い換えることが出来る。自分活かし、ビジネスに邁進するバイタリティを備える日本のプロの経営者たちはそれぞれの独自のノウハウによって、この荒波をサヴァイヴしている。そこにはやはり、アメリカや海外で通用する世界基準のやり方は存在しない。いや、そもそも、世界基準に合わせようとしていない。標準化されないがゆえの、世界に羽ばたけるトッププレーヤーであるかのような印象だ。日本のプロの経営者は、特異性に富んでいる。独特だ。海外のそれはもしかするとスキルを身につければ誰でも出来るような体系的なそれなのかもしれない。経営者はごく一般的な専門職なのだ。日本で言うところの。事務職みたいなものかもしれない。確かに事務職は日本の社会ではある程度フォーマット化されているので、渡り歩いて行ける印象がある。日本におけるプロの経営者はいかに特異性を磨き、自分を輝かせるスキルに長けているかという視点が重要視されており、企業の組織を一言で言えば、独自性に富む経営者(社長)と、そこに連なるのはどれだけ社長の意向を素直に実行できるか訓練されたジェネラリストたちで構成される。社長の特異性を理解し、言語化し、上手く乗りこなせること。それが経営陣がもっとも求められるスキルである。だからトップ層は変わり者が多い。変わり者は自己流が多い。それゆえに時代の変化に対する柔軟性に乏しい。自分ルールがあるからだ。自分を輝かせるためのノウハウは、インターネットの普及した現代の均一化され効率化されたビジネス社会のそれとは真逆である。一流の職人が一つ一つ丁寧に仕上げる国宝級の作品と、iPhoneを比べるようなものだ。圧倒的に後者を取り扱う会社が世界を席巻している。はたと気づく。例えば日本が誇る一流企業である任天堂はどうだろう。一見、日本型の職人のような優秀な仕事ぶりである任天堂は、同時に世界規模の人気を誇るコンテンツを多数持っている。規模こそ違うかもしれないが日本が唯一Apple社に対抗出来る存在は、任天堂かもしれない。オリジナリティがありつつ、日本型の年功序列が機能している(ように見える)会社、任天堂。もしかすると、なにも、外資系によくある実力主義に邁進することがわたしたちの道ではないのかもしれない。インターネット至上主義はこれからのスタンダード、と言われてはや久しい。GAFA帝国が崩れようとする昨今において、もしかするとあらためて年功序列が機能するような時代が来るかもしれない。もはやレガシー問題を解決することは困難だろう。この記事もそれについては諦めている雰囲気がある。だってこれだけ世界が変化しても変わらないのだ。それが日本人なのだ。自分を信じるがあまり変化に対応できない。裏を返せばどんなに世界が変化しても日本は変わらずに生き続けられる。それは強みであるはずだ。強みを生かすことこそ、これからを生きる唯一の方法論であると私は思う。だって、苦手なことをやってても、勝てるわけないじゃん?

 

それじゃぁまたね(了)