ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

福田萌が語る「夫・中田敦彦の海外移住決断に影響したタモリさんの存在」(福田 萌) | FRaU



未知の選択をするときの感覚。

この福田萌さんが感じているのはまさにそれだろう。未知の世界。有り得ないと思ってる選択を、いま、目の前で選ぶことが出来るのだ。もし貴方ならどうする?有り得ない未来はイコールで悲しい結末とは限らない。もちろん、いままでの安心感のある生活からは掛け離れる。つまり、理想郷は見えている。しかし、そこに至る虹の橋は掛かっていないという状態だ。虹の橋がかかってなければ、地面を地道に歩むしかない。それは虹の橋とはまるで違う、沼地である。そこを進む足は取られ、歩みは日に日に重くなるだろう。なぜここを進むと決めたのか。なぜ安全地帯を抜けてここを1人で歩んでいるのか。そんな孤軍奮闘を続けることになるのである。そこに一緒に歩んでくれる家族の存在。家族の支えなければ、その道を進むことは叶わない。絶対に、進めない。それほどまでに、過酷な、そして、孤独な道がそこには広がっている。いつ終わるのか。何時になれば、理想郷にたどり着くのか。もしかしたらたどり着かないかもしれない。運良くたどり着けたとして自分の人生は終わるかもしれない。そんな不安と戦うのだ。戻りたい、そう思うこともあるかもしれない。だが、進んだ距離と同じだけ戻る距離がそれを拒む。肉体的にそれを選ぶことはできても、精神的にそれは選べないのだ。そうなるとどうなる?1歩1歩、暗闇を進むだけだ。もはやそれが前なのか後ろなのかそれすらも分からぬまま。だが、この未知の世界への旅立ちをした勇者(あえてそう呼ぼう)に、わたしなりにメッセージを送りたい。まず1歩を踏み出せたことに賞賛を送りたい。そこを選ぶ勇気は誰でも持てるものでは無いからだ。どこ目線で話してるの、と思う人もいるだろうけど、わたしはその選択をした人の1人なのだ、と自分で自分を分類している。タイミングが少し早かっただけ。この、中田敦彦さんもまた、そのタイミングに来たということなのだろう。人生を旅に例えることは多い。しかし、40歳という節目を前に、思うことは少なくない。つまり、おぎゃあと生まれて学校に通い、社会人となって社会に関わる中で20年近く過ごした頃。その頃にはこれまでの道のりを振り返ることが多くなる。これまではこうしてきた。次はどうするのか。本当はどうしたかったのか。そんな自分自身との会話である。その会話の中で、今私ができること、そして、本当にやりたかった事が見えてくる。そうして、人は残りの人生を選び取るのだ。それは今までの延長線上の生き方かもしれない。しかし、今まで色々経験してきたからこそ、次の選択を全く別の視点にしたくなる気持ちも痛いほどわかる。わたしもどちらかと言えば後者である。前置きが長くなってしまった。本題といこう。1つ目は、新しい自分に出会えるという権利を得たということだ。ここまでに得たものを全てフル活用して新しい扉を開けていけるのは高揚感のある楽しい体験だろう。しかし、その分捨てなくてはならないものも出てくる。全てを持っていくことなど出来はしないのだ。それならいっそ、全てを捨てて1から出直すくらいの気持ちですべてを吸収するくるいで実はちょうど良かったりする。だから1年は辛い日々が続くだろう。しかし、1年頑張れば。少なくとも1年前よりは成長した自分に出会うことがきっと出来るはずだ。それは、今の選択をしなければ得られなかったものと言っていい。今の生活の延長線上で新しい感覚を得られるほど、人間は素晴らしく出来てはいないと私は思う。それが出来ているのなら、とっくに成功者の仲間入りをしているはずだ。それが出来ない人は、私を含めて、環境を変えてしまうほうが、手っ取り早い。もうひとつは、いつでも戻れるという気持ちは捨てたほうがいい。一時の不安を緩和させてくれるその気持ちは、もはや通用しない。一度出ていったものを再び受け入れてくれる程、世の中は甘くはない。それから。最後に。古巣がなぜ安全地帯だったのか。そういう理由に改めて気付かされるだろう。そこには人1人では決してなし得ないほどのあらゆる人の努力と継続の結果である。そこを越えようとしないこと。1人では絶対に越えられない。むしろ、あそこに残っていれば今頃…なんて思う日の方がきっと多い。それを忘れないでほしい。それは後悔ではない。選ばなかった未来の残滓のようなものだ。選ばなかったのだからもはやそれはあなたの見るべき未来ではない。全ての選択には価値がある。たとえ間違ったとして、それが自分のやりたいことなら、それは正解だ。間違ったとしても正解だ。つまりどんな結果が待っていたとして、それは正解なのである。間違えたら、間違えたという結果を得られるのだ。それはその時選択をしなければ絶対に得られなかった答えである。人生は有限である。いつ死ぬかわからない。それならば今思いついたものは忘れる前に選びとるほうがいい。そう出なければ永遠にその機会を失う。忘れてしまう。忘れられないのなら、熱いうちに選択してしまえ。そのくらいのスピード感で丁度いい。わたしは彼ら彼女らの選択が正しいと思っている。わたしはそれを選べないというだけだ。全ての選択は選ばれた時点で意味がある。全ての選択はその人にとって必要であり、その意味で正しいとわたしは思っている。もちろん、何でもかんでもやればいいというのでもないが。しっかりと悩んだ末の答えなら。それでいいと私は思うのだ。この先どうなるのか。この話を私事のように気をつけて見ていこう。…PS・話は変わるけど、N国の党名がコロコロ変わる話…これもいつかわたしなりに解釈したいなあ。

 

それじゃぁまたね(了)