ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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居場所を決めるのは結局自分 プライベートと仕事のバランスで考えるキャリア選択



働くのはじぶん。それならじぶんの内面に聞いてみる。どんな働き方がいいのか。

素直な人だと思う。自分に正直だと思う。ひるがえって私に置き換えて考えてみる。外にいたいか。家にいたいか。私は外にいたい人だ。明るいうちに外を回って夜には帰るそんな当たり前の生活スタイルがいい。むしろ、事務所とか家とかじっとしているのは気が狂いそうになる。休みの日は別だよ?家にずっといて、ゲームしてるんだもの。それでも、ちょこっとでかけたり。近所のコンビニだけどね。バリバリ働きたいか?という質問には、率直にいえば、働きたくない。この点はこの筆者と同じだ。なるべく少ない時間に集中して働きたい。そして早く終わりたい。そのためなら、ガッと業務が集中しても構わない。そしてスパッと終わらせて定時に上がる。それが理想だ。その逆で、業務の進捗状況によっては休みの日すらわたしは消費することもある。その心は効率を重視した働き方。その結果だったりする。自己分析はこんなところか。市場分析はどうか。コロナ禍を予感出来た訳ではないし、わたしはごく自然と営業職についた。しかしいわゆる営業がしたくてそうなったのではなく、もともとがクリエイティブディレクターとしてキャリアをスタートしたわたしだが、読者の反応をダイレクトに感じることのできる仕事に魅力を感じたのがきっかけ。クリエイティブな仕事をしつつ、お客さま(クライアントおよび読者)の反応を肌で感じたい。そうして今の職にたどり着いた。そういう意味では理想的な場所にいる。それを市場分析した結果だと言うつもりは無い。市場分析は何となくだが、紙媒体からスタートしたわたしは、時代の変化を感じて紙媒体から離脱。テレビやインターネットと言った映像、通信の世界に飛び込んだ。そこで泥臭い個別営業を経験して、私の得意とするクリエイティブディレクターとしてのスキルを、その後CM制作という分野で少しだけ身につけた。その後、やはりというか、当然の結果として、クリエイティブディレクターとしても、営業としても未熟さを感じた私は、あらためて紙媒体の底力を感じ、再び紙媒体を主軸とする世界へと舞い戻る。今度は営業を主体としつつライティングや撮影などのクリエイティブスキルを発揮できるポジションに身を置いている。日々勉強だと感じている。刺激ある日々という意味では最高だ。もちろん前述の通り外回りなので、わたしはほぼ丸1日出かけている。直帰することもある。原稿などの作成や、修正指示などはほぼ外出先から行うことが多い。そういう意味ではリモートワークを地で行くような仕事だ。そして、前職でスマホやパソコンなどの最新機器に触れていたわたしは今のスピード感について行くことが辛うじてできている。つまりキャリアイメージを最初から持っていたわけではないが、時代の変化や自分自身に足りないスキル、やりたい分野の強化、不足しているスキルの補強など、自らに課してきた課題に挑戦し続けてきた結果のように思う。もちろん今もその連続の中の真っ只中だ。少なくとも1年前、2年前の私よりも確実に成長しているわたしがいる。この激務に慣れたわたしもいるのだけれど。少なくともダッシュを決めるところと、ややスローダウンするところ、そして、ほっと一息入れるところなど、この限りある時間をいかに過ごすのかという命題を、特に仕事面においてこれまでよりもかなり凝縮した形で追い込めているなと自分自身思う。工数を気にして一日を過ごすことを当たり前に思うことが出来るようになった。これは前職の私からするとかなりの変化だ。それでいて、直帰を許してもらえていること等から、ワークライフバランスに優れた仕事ができているとも感じる。率直に言って会社にわざわざ戻るのは時間のロスが大きいし、そんなことをするくらいならどこかコンビニにでもいて営業リストに電話している方が効率的だし、事務所にいたくないわたしからすると精神衛生上もすこぶるいい。慣れてしまえば、そういったソロプレイヤーも私らしくてなんだかエオルゼアの私と同じだなとちょっと笑ってしまう。まあ、スマホで通話することが多いので、AirPodsは必須アイテムなのだけれど。せいぜい、パソコンの充電が切れやすいので、いかに充電スポットを見つけるか(なるべく出費を抑えた形で)が、最近の悩みではあるのだが。キャリアイメージをしていく際に、私は何が好きで、何が得意かという軸はある。だが、わたしはそういうプラスのイメージで自分を分析してもいまいちピンと来ない。忍耐強いとか、集中力があるとか、継続する力があるとか思わなくもないけれど、それがイコールでどんな仕事、働き方に結びつくのかわからない。いや、当てはまるものが多すぎるのだ。だからわたしは逆に考えた。絶対にやりたくないことをイメージしたのである。まさにこの記事で言うところの、外に出たくないという箇所がそれだ(わたしは逆に家にいたくない)。事務所や店舗に滞在してずっと居続けるのは嫌だ。頭がおかしくなりそうになる。分かりやすくいえば、来店型のお店や、事務所の内勤、工場などは無理だ。とてもじゃないが、1週間でもゴメンだ。外回りがいい。前に引っ越し屋でアルバイトしたことがあるが、あれはとてもいい。私の出かけたい欲を叶えてくれるだけでなく、知らない場所に行くことばかりでまるで旅行だった。朝早いのはやや辛かったがそれでも夜明け前にトラックで出かけるのはなんだかワクワクした。肉体労働なのでずっとやるには辛いけれど、若いうちはそれもいい運動になった。あれは今思ってもある種の理想的な職場だった。そこから内勤型の仕事を経験したが、やはりというか息が詰まった。店舗だったがよくも2年続いたと思う。それはスタッフ同士が仲良かったからだと思う。そして深夜バイトもあった。けれども終わってからみんなでラーメンを食べに行ったりするほどで、あれはわたしにとっての青春時代だったといっていい。そこからいまの仕事に繋がる雑誌編集プロダクションに就職したのだがあれはもう地獄のような忙しい日々だった。それでも5年続けられたのはわたしにとって刺激的かつ魅力的な仕事だったからに他ならない。とても貴重な経験ばかりだった。今でもあの時頑張ってよかったと思うくらい。それでも当時はまさに試練の連続だったように思う。そろそろ結論。働きたくない、楽に行きたい。そう思うわたしだが、そう自己分析したところで、結局はどうしたって働かなくちゃ生きていけない。楽をしたくても試練や鍛錬を求められる。それならばせめて、働きやすい場所がいい。そして同じ苦労をするなら、仲間がいて、そして、進んで試練や鍛錬を自らに課すくらいのMっ気があったほうがいい。いい、というのは納得できるという意味。そして、そうすることで身につくスキルや自分自身の長所が数年後の私を助けてくれるからだ。楽なほう、楽な方に流されて生きていると数年後の私は、さらに辛い状況に追い込まれていたに違いない。逃げて逃げて逃げ続けることが出来ればそんな楽なことは無いけれど、立ち向かうしかないのであれば早めに立ち向かって傷ついてしまったほうがいい。その傷は痛みがある傷だけれど、それが完治または慣れっこになった頃にはその痛みの何倍もの試練に挑戦することが出来る自分に出会える。それこそがゴールであり、その繰り返しこそがわたしを私らしく輝かせてくれる理想的な職場へ導くのだ。コロナが来ることなんて誰にもわからなかった。それでも。自分に出来る最大限の努力を、休みながら無理しない範囲で選べてきたのなら、どんな時代になろうと進んでいける。そのために必要なものは柔軟な考え方。新しい情報。新しいことへのチャレンジする気持ち。そして家族の理解。そして、友達の存在。いつもありがとう。みんな。たしかに辛いこともある。時に傷つき、倒れ込むことがあっても、それでも、前を向いて出来ることからやる。やる気が出ない時はほんの少しでもやれることから手をつける。むつかしいことは後回しだ。なあに。心配するな、やり始めたらぐんぐんやる気になってむつかしいことも最後にはできるようになる。越えられる。越えられない壁は越えられないからそこにあるのではない。越えるためにある。要はタイミングだ。越えられないのならタイミングが悪いだけだ。それなら少し遠回りしてRPGよろしく、雑魚を倒しながらレベリングすればいい。気づけばレベルが適正となり、すんなり越えられる。わたしはそうやって超えてきた。いま挑戦している壁は若い頃に越えられなかった壁。取っ掛りは見えた。そしてわたしはたくさんの人に助けられながら、あの頃越えられなかった壁を、越えようとしている。いまのわたしは、そういう位置にいる。

 

それじゃぁまたね(了)