ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

ムジカのキオク。♪note:https://note.com/ryoushitsumusica ◆YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCWvTBOe1O9GICLtyreUu-6Q

アマゾン創業者「ベゾスCEO退任」でマスコミが報じていない2つの重要ポイント 後任が「AWS担当」である本当の意味 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)



Amazonという会社は、これまでもこれからも好きになれそうにない。

元々Amazonを歓迎する気になれなかったのは、安さを売りにするわりに、決済方法が少なかったことが大きい。決済方法に多様性を認めればAmazonにとってそれだけ多くの手数料を支払わなければならなくなり、結果として単価が上がってしまうというのもわかる。また、商品ラインナップに、一般ユーザーによる出品も普通に並んでいることも買い手にとっては分かりにくかった。この点についてはいまやどこのECサイトも当たり前になっているので、Amazonが悪いとか言うつもりは無い。やはり、世界規模で展開する会社が安さやサービスを売りにするためには、ローカライズしたくてもできない小回りの聞かない部分がよくよく出てくるものだ。だが、その、あまりに徹底された効率化は不気味だし、Amazonの求人募集などはその最たるもので、とてもじゃないが、Amazonで働きたいとは思えないような過酷な労働環境が透けて見えた。私の地元では自動車産業が盛んなので、期間工という働き方について、割りと身近にいる。それもまた効率化を極限まで高めたような働き方のそれなのだが、まさに、Amazonのスタッフから感じられる雰囲気はまさに期間工のそれであるように思える。給料はいい。稼げる。しかし、とても人間扱いされているとは思えないのだ。もちろん期間工は実際に見たり聞いたりしているものの、Amazonは見た訳では無いので、私の予想を超えてクリーンでホワイトな職場だったりするのかもしれないけれど。少なくとも、ジェフ・ベゾス氏の周りはそうではなさそうだ。Amazonは世界一の企業だ。しかし大企業であるがゆえに、社内での生き残りをかけた戦いは熾烈を極めている。シャドーと呼ばれる自分の後継者がいたり、少人数のエリートたちを重宝する凄まじい実力主義の会社だとどこかの記事で読んだことがある。世界一の会社ではあるが、入りたい会社世界一でもないらしい。確か、Netflixが、福利厚生を充実させてて人気だとかなんとか。ジェフ・ベゾス氏のあの、なんとも言えない合理思考の塊のような風貌からは、とてもじゃないが(個人的には)、好きになれそうな人間ではなさそうである。ジェフ・ベゾス氏が好きになれない、だから、Amazonを好きになれない。Appleは? Facebookは? Googleは? それら巨大IT企業はそれぞれにカリスマ的経営者をトップに携えている。思えば私は、Appleは、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったあたりから好きではなくなった。Facebookは映画を見てからまだなんとなく好感を持っている。リブラであれだけ叩かれた事も含めて、マーク・ザッカーバーグ氏の人間みのある感じは好きだ。Googleのラリー・ペイジ氏らは名前くらいしか知らないが、広告、および、Webマーケティングで世の中を変えてやろうという野心については脱帽しているところがあるので、好きだ。データを吸い取られる、とはよく言われたGoogleChromeだが、それはもはや、カメラが普及しだした頃の魂が抜き取られるという迷信と同じものだと思えてしまう。もちろん、わたしたちはユーザーであるのと同時に、Googleにとっては私たち自身が商品となっている事はもはや疑いようのない事実ではあるのだけれど。しかしわたしたちの行動がGoogleに筒抜けとなってビックデータとなって高値で売られているとしても、私個人がそれを扱えるわけでもなく、そのデータによって世の中が良くなっていることもまた事実だと思っている(便利だし)。搾取されているという感覚は無くはないのだが。実害が無いのだからいいではないかという視点と、Googleが日本企業を破滅に追いやっているという危機意識もまた同時にあるので、やはりGoogleが好きかと言われればすごい会社だという認識からは出ない。GAFAの中でまだマシだなと思えるのはGoogleだったりする。あくまで個人の意見だけれど。ヒトがお金儲けのために行うビジネスにおいて、好きや嫌いという人間関係のような感覚は本来すべきではないのだし、利害の一致というベクトルだけによって、ある意味でドライにクールに繋がれる海外企業は能力主義のそれであり、資本主義の精神そのものと言える。資本主義とはお金(資本)さえあればなんでも出来る社会の仕組みであるが、そこには、人情とか、人間味とか、仲良くとか、そんなものは最初からないのだろうなと思う。そういう意味では欧米的だし、やはり日本人にはそぐわない部分も大きい。世界規模で戦うのならそれも仕方がないが、コロナ禍でもはや外国との繋がりがますます薄れていく中、国内だけで完結するビジネスこそがこれからは求められると思ったりもする。まるで中国がやるように海外企業をシャットダウンし、自国完結するビジネススタイル。やり過ぎるといまの中国みたく、孤立してしまうこともあるけれど。その中庸さ加減なら日本人の得意とするところではないだろうか。いい意味でちょうど良い。悪い意味で中途半端。それこそが、日本人らしい、ビジネスのあり方であると思う。何も欧米的に、白黒はっきりさせることだけが生き方ではない。日本人としての誇りや、日本人として生きる文化、歴史、それらを改めて見直しながら、少しずつ日本のニューノーマルを作っていく。私たちが今できることはそれであり、そんな選択の時期に生きているのだと肯定的に考えれば、いまのこの荒廃したかに見える日本社会も悪いものでは無いと思いたい。選べるのだ。わたしたちが。この先の日本のあり方を。日本人は礼儀正しい。日本人はきっちりしている。トップダウンではなく、しっかりと個人を尊重した集団行動なら世界一だ。最近のオリンピックの退任の話題を見ていてもそう思う。これほどまでに民主的な国が他にある?私は知らない。ミャンマーを例にしなくても、もしかしたら、アジアでナンバーワンかもしれない。日本人で良かった。日本に希望がないとする論調もある。しかしそれは他の国に比べればまだ日本の方がマシと言えるだけ幸せだと思う。

 

それじゃぁまたね(了)