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能力が低い人ほど自己肯定感が高い理由 | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン


能力が低い人ほど自己肯定感が高い理由 | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

 

自己肯定感は高くしなくてはならないという幻想。

   この記事を読んではたと気がついたことがある。それはまさに自己肯定感との戦いは、不毛であるということだ。自己肯定感が低いのは自分に自信がないからである。自信が無い人が自信を持つためにどうしたらいいかという悩みをよく聞く。わたしもどちらかと言えば自己肯定感は高くないほうだ。だから余計にその思いは強く、なぜこうも日本人というものは自信が無い人が多いのかという疑問を持っていた。(今もそうだけど)

 

   しかし、この記事は自己肯定感の低さはデメリットではないと明言している。自己肯定感が低いか高いかという基準は、単に自分を誇大評価している人は高いのだし、自分を過小評価している人は低い。ただそれだけなのだという。そこに高ければ幸せになれる確証もなければ、逆も然りであるというのだ。つまり幸せになるために自己肯定感は決して高くある必要はないのである。

 

   この矛盾が正しいとするならば私たち日本人はどれだけ多くの無駄な努力をして来たのか?と思えてくる。つまり、欧米諸国こそが正義であり、アジア圏の日本人は下位の存在であるとする論調である。わたしもその点においては同じ考えを持っていた。特にスティーブ・ジョブズ氏がiPhoneを生み出した頃にそれは決定的になったと言えるだろう。なぜ、日本の企業はそれを生み出せなかったのか。SONYは?任天堂は?その他の家電メーカーはすべてiPhoneというプロダクションの完璧さに打ちのめされた。そして失望した。もはや、日本人が勝てるものは何も無いのだ、と。それこそ、日本人はまだ2007年の時点では元気があった。しかしその気持ちも2009年のリーマンショックで砕かれ、その後の2011年の東日本大震災によって若い層まで絶望感が浸透していったのである。それこそ、日本人の自己肯定感という言葉は文字通りきれいさっぱり消えてなくなった瞬間であった。

 

   あれから数年。いまだ日本はその自己肯定感のゼロ金利から抜け出せていない。コロナ前の日本は少しずつ上向いていたとする論調は楽観論でしかない。その頃からわかりやすく不況の大きな波が来ていたし、コロナを理由に日本人は滅亡しかかっているとさえ、囁かれて久しい。しかし、蓋を開けてみれば、世界を見渡してもここまでコロナに対抗している国は珍しい。いや、ないのではないか?オミクロン株の脅威は続いているとは言うものの、それでも別段混乱することなく日本は生き続けている。それも強か(したたか)に、である。いよいよ世界の自己肯定感は打ち砕かれ、もともと低かった私たちのそれを大きく下回ったようだ。

 

   話を戻そう。つまり、日本人の自己肯定感の低さは危機管理能力の高さを、そして、物事を理解する力の強さを示しているのである。もちろん、計算が得意とか、語学堪能とか、新しい技術を生み出すイノベーション能力に長けているかというとまるでそうではない。むしろそれらはすべて苦手だ。また、論理的思考ですら怪しい。もちろん、わたしもその1人を自負している。

 

   頭がいい=自己肯定感が低いという図式がもし、正しいのであれば、それは逆説的にわたしたち日本人は頭はいいということになる。もちろん全員が全てそうではないことはわかる。しかし、海外でよく取り上げられる天才は、押し並べてかなりの異端児である。異端児が世界を変えるという事実はあるだろうが、それは同時に向こう水である。つまり、それほどクレバーに立ち回りができているとは言えないのではないか。(もちろん、クレバーな人もいるけど)

 

   何が言いたいかといえば最初の言葉に尽きるだろう。自己肯定感は高めなくてもいい。それは頭の良さがなせる不安の正体だ。不安は考えれば考えれるほど増える。結果、自己肯定感は低くなる。つまり逆を言えば何も考えなければ不安になることもないし、自己肯定感はべらぼうに高いままである。果たしてどちらが幸せなのだろう?もうお解りの通り、それらの数値の高低差は、幸せになれるか?という結果になんら影響しない。そればかりか、過大な自己肯定感はミスをミスと認めないばかりで、不幸になりやすいとさえ言えるのである。

 

   そろそろ結論。日本人はいま世界を見渡しても幸せな位置にいる。それは日本人が大切にしてきた価値観であり、他人との共存する社会だ。それはアメリカが欲しくても手に入らない世界観である。いや、世界中どこを見てもそれは日本にしかないとすら言えるのだ。だから、わたしたちが仮に自己肯定感が低いとしてそれはかえって誇るべき事実であると言える。その積み重ねこそがわたしたちを、日本人を日本人たらしめる理由の大部分を占めているのだから。

 

それじゃぁまたね*˙︶˙*)ノ"


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