ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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ひろゆき「仕事にするなら"好きなこと"より"そんなに好きじゃないこと"のほうが絶対いい」 毎日やっているとさすがに飽きる | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)



好きを仕事にするな。やりたいことをそこそこやれる仕事がいい。

ひろゆき氏の発言を端的に言えば、好きなことを仕事にすると好きなことが嫌いになってしまう。趣味はあくまで趣味であって、仕事とは切り離した方がいい。そのいい例が、ゲームが好きな人がゲームを作る会社で働くとゲームをする時間が無くなるという事実だ。最悪、ゲームがそれほど好きではなくなってしまう人もいるかもしれない。音楽もしかり。私の趣味は前からゲームと音楽だと言っているけれど、結論からいえばどちらも仕事にしていない。強いていえば、音楽に携わる人と少し関わったことがある程度で、ゲームに関しては皆無に等しい。つまり、私にとっての好きであるところの「ゲーム」と「音楽」はどちらも趣味であって仕事では無いのである。そして、ひろゆき氏の言葉を借りれば、「その方が幸せ」なのだ。ここを深く掘り下げたい。趣味とはなんだろう。そのことをやり続けても苦ではないこと。暇さえあれば続けている事柄である。このことから分かるように趣味は無意識であり、習慣である。習慣化された趣味は時間的余裕がなければならない。短い時間をやりくりして行う趣味でもいいのだが、やはり仕事とは区別して考える方が自然である。なぜなら、趣味は仕事の疲れや悩みを消す効果のある行為だ。それなのに、仕事と趣味の境界線が曖昧だとどうなる?それは趣味として捉えることができなくなるだろう。そうなると、また別の趣味を探してこなければならなくなるからだ。また、趣味は自己鍛錬である。仕事では得られなかったスキルを得られる。そのことで、仕事が上手くいかなかったとしても、別世界で趣味というスキルを持つことで精神的な充足感を高い数値で維持できるようになるのだ。私の場合、ゲームはわたしの自己実現のひとつとなっている。自己表現の一環として存在しており、それは、わたしにコミュニケーションの鍛錬を促してくれる。それは仕事では絶対に手に入らない心の充足感である。そしてもうひとつの「音楽」。これは特に最近ではTikTokの発表と密接に関わっている。つまりどういうことかと言えば、私は常日頃から心に響く名曲を探している。それは心の中を浄化させる力があるからだ。しかし音楽に期待することはそれだけではない。若い感性の獲得や、若い人たちとの接点を作り出す機会創造がそれだ。我々大人は死に向かって毎日衰えていく定め。その事は誰にも止められない。しかし、若い人たちとの会話で得られる自分にない知識や考え方、感じる事等は私の中に存在するそれらとは全く違っている。異なっている。だからこそ、得られる物があるし、私の中の何かを日々アップデートしてくれるのだ。まさにこの事こそ、わたしの趣味である。話が逸れたか?そろそろ結論といこう。仕事はお金を稼ぐために必要な行為である。一方の趣味は自己実現のための修練であり、習慣である。それらは似ているようで異なっており、本来は重複するものではない。なぜなら、仕事はお金を稼ぐことに主眼が置かれており自己鍛錬の側面はあるものの、長く続けなくてはならないベーシックな行為だからだ。生きるためにするのであって、そこに好きも嫌いもないのである。一方の趣味は、その真逆の属性を持つ。好きかどうかだけに主眼を置いた行為であり、自己実現そのものである。それはお金では替えられない経験を積むためのものだ。それは心の充足感そのものを目的とする行為である。お金をもらえればそれに超したことはないが、心を満足させることが出来るか?という点が最も重要である。すなわち、趣味と仕事には明らかな相違点があるのであって、やはり同じに考えることは難しいらしい。ひろゆき氏の言うように別に考えてまずは日々の暮らしを立てた方がいくぶんか幸せになれるようである。わたし?幸せですよ?

 

それじゃあまたね(了)


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