ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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今月卒業なのに…内定ゼロ コロナで「売り手市場」一変(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース



リスクとどう向き合うか、だと思う。

ここで言うリスクとは、新卒で就職先が見つからないリスクであり、職場の業務が180ど転換するかもしれないというリスクだ。社会の構造がガラリと変わり、仕事のやり方、進め方が変わる中、そもそもの業務そのものが変わってしまった。その兆候があったにもかかわらず、目の前に提示される選択肢が嫌だからドロップアウトする。ないし、あるだろうと予測していた入社説明会が無くなったから就職できませんでした。というのでは、本当にリスクと向き合ってきたのか?という疑問が浮かぶ。この記事の言うように当初の目論見から外れることは、何も、コロナ禍だからという訳ではなく、これまでも、そしてこれからも頻繁に起きうる。つまり、そこまでのリスクを想定していないから、二の矢、三の矢が撃てなくなり、結果、離脱してしまう。そうして、自分がやりたいことは何だったのかという哲学にも似た思想に頭を支配されていつしか身動きができなくなる…。それこそが最悪のシナリオである。その事は誰の目にも明らかだし、自分がそうならないという保証など、そもそも存在しない。何度も言うがこれはコロナ禍だから生まれた特別なケースという訳では無い。想定しうるリスクをいかに回避していくかという行動ができているのか、そうでないのかという単純な準備不足であると言わざるを得ないのではないか。ただ、その準備不足について、努力が足らないと言うつもりは無い。努力では解決しないからだ。努力、というより、想像力である。もしもこのまま会社説明会が全てなくなってしまったら?今はあっても今後限りなくゼロになってしまったら?という最悪から逆算することは努力ではない。あくまで想像力。言うなれば、「だろう運転」ではなく、「かもしれない運転」をせよ、という運転免許試験でよく言われるアレである。もしかすると、若い人は免許も持っていない人も少なくないのかもしれない。そうすると、この名言にたどり着く機会すらないことも有り得る。知らない人は今知っておくべき名言だ。具体的に表現するならば「いつか会社説明会は開催されるたまろう」ではダメだ。「会社説明会は開催されないかもしれない」と想像力を働かせるべきだ。また、「広報や企画の仕事はいつか復活するだろう」ではなく、「広報や企画の仕事はなくなるのかもしれない」と想定する。それは諦めよという意味ではない。そうなった時に自分はどうしたいのか。どうすれば満足できるのかという疑問符を常に内向きに、自分の内面に問い続けることが求められる。それは自虐的になれという意味ではない。人生におけるあらゆるターニングポイントは、そのほとんどが、突如やってくる。そして、その場で選択せよと、迫ってくるのだ。であるならば、予め、そうなることを想定して答えを準備しておく。そうすると、いざ、そういった状況に陥ってしまった時、すぐに判断することができる。判断のスピードが早く、また、その決断に迷いがなければないほど、鋭く、そして力強く次の1歩を踏み出せるのだ。それはスタートダッシュの成功を意味する。そうなれば、逆にピンチをチャンスに捉え直すことすら、できるかもしれない。そんな心の余裕を与えてくれるのが、まさに、「かもしれない運転」であり、リスクマネジメントである。繰り返すが、そこは努力ではない。当たり前のように実行し、その答えが自分にとって、本当に正しい選択なのか?という検証が常に必要とされる行為だ。思考のメカニズムとしてはシンプルで、そして、リスクマネジメントの観点からはとても優秀な方法である。ただし、常にマイナス面に目を向けることになるので、心にかかる負担が大きくなってしまい、不安に押しつぶされそうになってしまうケースも少なくない。リスクマネジメントは最悪からの逆算であるからだ。誰しも最悪を想定したくはないはずである。自分だけは大丈夫、自分だけはきっと上手くいく。そう思って前向きに行動している方が、とんでもなく楽だし、前向きである。一方のこの、かもしれない運転という考え方は後ろ向きの極地である。否定から入る思考法でもあるからだ。しかし、これだけ、世の中が、阿鼻叫喚の最中、使わない✋はないのである。時には甘いものでも食べながらコーヒーブレイクしたり、ね?

 

それじゃぁまたね(了)