ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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人生の折り返し、47歳「中年の危機」の向き合い方 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準



人生はながい。しかし、折り返し地点は、ある。

ミッドライフ・クライシスは、中年の危機と訳される。中年を何歳からに定義するかは諸説ありそうだが、少なくともそういった感情に支配され、気力や体力がみるみる衰えて元気だった頃の自分と比べて自信を失ったり、周りの友人たちがすごい人ばかりに見えて自分が過ごしてきた人生は何だか味気ない惨めな人生だったのではないかと疑念に取り憑かれてしまうこともある。それをミッドライフ・クライシスと言うのであればそれはそうなのだろう。人間、30歳の中盤に差し掛かると目に見えて衰え始める。気分が落ち込みやすくなり、自分はまだやれる、と思っているアクティブな人ほど、その心にかかるダメージの深さは比例して大きくなってしまう。どうやら、人は寿命を迎える前に社会的な死を迎えてしまう人が一定数いそうである。それがあくまで社会での死を意味していて現実には何不自由なく悠々自適に暮らせていた時代ならそれもまたよいだろう。単に悲哀に満ちた背中を晒すくらいで害はない。そんな伴侶を持つ奥様はいたたまれないだろうけれど。それにしたってそうやってステレオタイプな悩みを多くの人たちが共感できていたことは、今考えれば横暴であるし、幾分かはまだマシな世の中でなかったか。社会的な死を肯定的にとらえ、自らを霞を食べて生きる仙人と見なし、あらゆる欲から開放された生き方。だがそれは少なくとも安定した生活が出来るという大前提によって支えられた1種の幻想である。安定した生活の保証という幻が見せた蜃気楼のようなそれは平成の終わりと共に消えてなくなった。いや、2011年頃からそれらのまやかしはまやかしとして認識された。人々はどこか今までに感じたことのない違和感と不安に苛まれつつ、どこかでそうじゃないと心の中で否定した。つまり、自分だけは大丈夫というプラスのレッテルを貼ることで不安から逃れようとした。だがどうだ。そんな方法論ではまるで歯が立たないどころか、現状は悪くなる一方である。コロナ禍がいまの日本をダメにした訳では無いという共通認識は持っていはいるものの、それはリーマンショックで決定されたのか、東日本大震災で確定したのか。少なくとも消費税増税という出来事がそれに拍車をかけたことは間違いがなさそうである。ミッドライフ・クライシスと言えば何だか懐かしい響きすらある。それは中年の危機は誰しも訪れる普遍的なものだという指摘は、その中年の危機が訪れるまでの20年間は安泰であるという前提で成り立つ。または、20代は貧乏になる権利を持ち、苦労はするもののそれなりに充実した日々を送るものだという前提だ。だがどうだ。いまその若い世代が充実していると誰が言えるのだろう。どの世代もそれなりに苦労はあるし、どの世代が1番大変かと言われれば、いまや若い人たちと言っていい。職場の先輩方は参考にならないし、隣を見てもみな一様に迷っている。誰も答えを教えてくれないばかりか、逆に答えを求めれられているのがいまの若い世代。若い世代の感性が時代にあっているからという理屈では、彼らを納得させることは出来やしないだろう。彼らもまた時代に翻弄されている。わたしたち中年の危機は確かにある。だがそれによって気づきを得、先に進む(ドリブンさせる)力を内側に秘めている世代こそ、中年ではないだろうか。若ければ若いほどいいと言われた時代ではない。年齢では無いのだ。気づくか気づかないか。努力を続けられるのか。そうでないのか。その2つの差によってのみ、私たちは評価されるといっていい。がむしゃらに走り回ればいい訳では無い。面談すらはばかれる現代において、時間的コスト、工数を減らしつつ、マルチタスクで日々のスケジュールをこなして行く事は若い人たちの得意とする分野ではない。彼ら彼女らは自分にとっての正解を導く力に秀でている。しかし、集団における正解。国家における答え。民族が向かうべき未来の選定。これら次々に噴出する新たな課題解決にわたしたち中年は、力を使うべきなのだ。それはマスメディアが用意した答えをキャッチするという意味ではない。マスメディアの壁を乗り越えて見える景色を自分の目と耳と足で体感出来る者だけがこのさきのルール変更における勝利の鍵を手にすることが出来る唯一の存在。それこそが日本の未来をしょって立つ新たなリーダーの選出であり、そのためにはトライアンドエラーを繰り返すものだけが真実の答えに1歩ずつ着実に近づいていくと信じて。なんてね。

 

それじゃぁまたね(了)


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