ムジカのぶろぐ。By @ryoushitsu

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『FF14』ネタバレ全開の『漆黒のヴィランズ』秘話を吉田P/Dが赤裸々に語る(前編)。構想時には『覚醒エオルゼア ...



主人公は自分である。

ファイナルファンタジー14のプロデューサー兼ディレクターの吉田直樹さんはそう言った。言い切っていた。そしてこう続けた。吉田直樹さんの好きなドラゴンクエスト3もそうだから、と。そして、世界を救う主人公は自分でなければならないと言う考え方は、ドラゴンクエストの生みの親である、堀井雄二さんから受け継いだという。それを聞いた時、わたしはファイナルファンタジー14の漆黒のヴィランズが名作であることを語っているはずの記事だったことをすっかり忘れ、吉田直樹さんがここまでファイナルファンタジーの地位を地球規模の高い次元まで高めたのはまさにそこにこそあるのかもしれないと思った。ドラゴンクエスト3の良さと、ファイナルファンタジー3の良さの融合、そしてそこにインターネットの力によるオンラインゲームならではの新しいコミュニケーションの可能性をミックスしたのがファイナルファンタジー14である。味付けは当時を知っている大人向けである。大人はコミュニケーションに飢えている。社会で散々楽しくもない毎日を送っている大人にとって、このコミュニケーションは心のオアシスそのものだ。そして、オンラインゲームは果てがない。また、昨今の出かけられないという世情も上向きに作用していることは言うまでもないだろう。つまり、ありとあらゆるニーズがこのエオルゼアに集結している。そしてその味付けはドラゴンクエストファイナルファンタジーの魅力を知り尽くし、さらにオンラインゲームの醍醐味もすべて熟知したマエストロ吉田直樹さんだ。面白くないわけが無いのだ。今回の漆黒のヴィランズが名作となったのは、吉田直樹さんが敷いた鉄壁のインフラの上に、ナツコイシカワさんのエモーショナルなストーリーテリングが炸裂したことに起因する。ハイデリンゾディアーク編のサーガとしてのフィナーレを迎える前日祭のような盛り上がりのそれは当時を知る人からは熱狂的に支持され、当時を知らない人達(わたしもそのひとり)には後追いでその完成度の波が押し寄せるという波状攻撃が作用した。これこそがここまで長期間に渡ってこの漆黒のヴィランズの人気を押し上げてきた理由である。今聞いても胸が熱くなるほどの人間愛、家族愛、それぞれの愛に満ちた幸せな時空がここに広がっているのだ。わたしが漆黒のヴィランズに対して感じたある種の既視感の正体は、世界設定の鏡像世界に説明されてしまう。ストーリーテリングのいい意味での濃い味付けは、当時を知る人達へのファンサービスであるからの味付けであると説明できよう。グラハの人気は元々から高かったが、そこにダークホース的にエメトセルクというキャラクターを配置したことがいい意味で対比になった。光と闇の対比を分かりやすく絵にした形である。世界を救うのは自分であって、他の誰かではない。その当たり前のように思えるけれどなかなかゲームの中に落とし込むことが出来ない要素(特に今のような高クオリティゲームなら余計に)をうまくゲームの中核に組み込むことが出来たことが要因である。ファイナルファンタジー以外では、モンスターハンターがそれに当たるかもしれない。ドラゴンクエスト11の主人公は、自分とは言い難い。ドラゴンクエスト10は……まぁいい線いっていたと思う。個人的にはオンラインゲームとしての完成度がイマイチだったと思うのだけれど。子どもっぽいというか。エオルゼアは大人っぽい?いや、厳密に言えばドラゴンクエストを学生向けとするなら、ファイナルファンタジーは……んー、20代前半向け?大人向けであるとは言い難いけど。いわゆる一般人向けになると、洋ゲーとかになってしまうので、よほど日本人向けにはならない気がする。特に女性人気は期待できまい。よほどゲームが好きな大人女子ならいいかもだけど。わたしみたいに、ライトユーザーはやはりどこか可愛らしさとか子どもっぽさがほしい。子ども過ぎると良くない。世界設定が幼すぎると、心の底から主人公になることが難しくなってしまうからだ。

ここまでファイナルファンタジー14における吉田直樹さんの成功の理由を考察し、改めて納得した私であるが、最後に少し不安なことを明記しておきたい。それはファイナルファンタジーの最新作、すなわちファイナルファンタジー16に対する不安だ。もし、ファイナルファンタジー14の成功の理由が上記のことなのであれば、そのすべての成功の理由を期待できそうにないゲーム。それが、ファイナルファンタジー16だからである。ゲームの主人公は私ではない。よく分からない中年のオジサンだ。ゲーム全体に漂う味付けこそ大人向けであるそれは、さっき私が言った洋ゲーのそれである。つまりよほどのゲーム好きな男性ゲーマーか、1部の女性ゲーマーには響くかもしれない。けれど、その声に答えるにはファイナルファンタジーというブランドでは子どもっぽすぎる。つまりアンバランスなのだ。ドラゴンクエスト3と、ファイナルファンタジー3という過去の名作を下敷きにすることは出来ないだろう。それをやるとファイナルファンタジー14になってしまうからだ。そして、極めつけはオンラインゲームではないということである。オンラインゲームの伝道師である吉田直樹さんは現代におけるオフラインゲームをどのようにデザインするのだろう。つまり、今まで誰にも出来なかったオフラインゲームを高クオリティで表現しつつ、さらにゲームとしての遊び心地をそれぞれ高水準で融合させることを求められている。しかし、オンラインゲームユーザーの吉田直樹さんにそれは荷が重すぎるのではなかろうか。もちろん期待はする。けれど、最近高評価されているオフラインゲームはアニメを多用したようなゲームだ。天穂のサクナヒメがそのいい例になるだろう。もしくはあつまれどうぶつの森のような手触りである。しかし、そのどちらにも属さないファイナルファンタジーでは、あまりにも部が悪すぎる。つまり、どんなに頭をひねっても、ファイナルファンタジー16が大成功するという未来を描くことがわたしは出来ないのである。未来を悲観してはいけない。だが同時に未来に多すぎる期待をしてはいけないと思う。すくなくとも、吉田直樹さんにはファイナルファンタジー14の制作を今後もしてもらいたいのだ。余力を残しておいてほしいファン心理でもある。そして、ファイナルファンタジー14ユーザーであるところのわたしにとって、ファイナルファンタジー14を止めてまでやるファイナルファンタジー16は、ファイナルファンタジー同士で食い合う共食いになってしまうのではないかというそもそもの危惧もあるのだ。ファイナルファンタジー7で感じたある種の不安感が的中しなければいいけれど……。もう少し説明しておくと、ファイナルファンタジー7リメイクの不安感とは、高クオリティで作ったが故に分作という未完成品をリリースせざるを得なかったという事実を指している。果たして。

 

それじゃあまたね(了)


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